第21話 小さな訪問者1

「朝だ〜」


アルマはベッドの上で起き上がると大きく伸びをした。

今日も『ルマ』として、レリュード侯爵邸での一日が始まる。


「なぜか夢にキーランが出てきた気がする……」


どんな夢だったか考えるが、思い出そうとしても思い出せない。

これが夢枕というやつか……? と回らない頭で適当なことを考えていると、あることに思い当たる。


「そういえばもうすぐキーランの誕生日じゃない! 忘れてた……あとで手紙送らないと」


そのときコンコンと扉が叩かれ、チェルシーが現れる。


「おはようございます。ルマ様。お目覚めですか?」

「あっ、チェルシーさん。おはようございます」


チェルシーは素早くアルマの身支度を手伝ってくれた。

買い物に付き合ってもらって以来、チェルシーはアルマの世話をするようになった。近頃では実質アルマの専属侍女になりつつある。


「できましたよ〜」

「ありがとうございます」


今日の装いはフリルたっぷりの白のドレスだ。揃いのヘッドドレスもフリルが着いていて可愛らしい。当然ながら今日のコーデも侯爵夫人からの贈り物だ。

アルマの自室として与えられた部屋には大きめのクローゼットや棚が備え付けられていたが、今や衣類や小物類でパンパンだ。

侯爵夫人の桁違いな貢ぎ癖にだんだん恐怖を覚えるアルマであった。


準備を終え、いつも通りエイベルの部屋へと向かう。

その途中、誰かの大声が聞こえてきた。


「何か騒がしいわね……?」


屋敷の廊下を、ドタドタと足音を立てながら二人の人物が走っていく。


「お待ちくださいジェフリー様!」

「あはは。やーだよ!」


すばしっこく逃げ回る少年の背をロシュが必死に追いかける。


「大人しくするよう言われましたよね! 廊下は走っちゃダメです! 大声も出さないッ! 暴れないッ!」


ロシュは廊下を走りながら大声でそんなことを叫ぶ。ブーメランだということには気付いていない様子だ。

もう少しでロシュの手が少年に届く――その瞬間、少年はフェイントをかけて方向転換する。その動きに着いていけず、ロシュは思いっきり柱に額を打ちつけた。


「……っ!!」


走りながら背後を振り返った少年はけらけらと笑った。そのせいで、前方から飛び出してきた人物の姿に気付いていなかった。


「痛っ!!」

「きゃっ……!」


誰かに激突し、少年は尻もちをつく。

少年は一気に不機嫌になって相手を睨んだ。


「誰だよ今、僕にぶつかった奴……は……」


最後まで言い終わる前に、少年の瞳が見開かれていく。その視線の先には、同じように尻もちをつく少女の姿があった。


「……えっ……」


窓から差し込む陽光が少女を照らし出し、波打つ金髪は光を受けてきらきらと輝きを放っている。菫色の瞳は少年が見たことのあるどんな宝石よりも美しい。

白のドレスに身に纏う少女の姿を目にした瞬間、少年は自邸にある一枚の絵画を思い出した。天から翼の生えた少女が舞い降りてくる絵だ。

少年は少女に見惚れたまま、夢見心地で呟いた。


「天使……?」

「え?」


少年はよろよろと立ち上がると『天使』に近付いた。そして、その手を取った。


「天使さん。君は空から落ちてきたの?」

「はい?」

「羽根はどこにいったの? まさか、僕とぶつかったせいで壊れちゃったの?」

「ええっと……?」


アルマはぽかんとした顔で目の前の少年を見上げた。

年齢は十歳前後だろうか。鳶色の瞳に、瞳と同じ色の髪。見覚えはないはずなのに、その顔立ちは誰かに似ているような……?


そう思ったとき、少年の背後から腕が伸びてきて、少年の首根っこを掴む。身体が浮いたことに驚き、少年はその場で両足をバタバタとさせた。


「うわっ、何するんだ!」

「それはこっちの台詞。人の屋敷で何してるんだ、ジェフリー」


ジェフリーと呼ばれた少年はビクッと身体を震わせて恐る恐る振り返る。白い髪に赤い目の青年が不自然なほどにっこりと笑っていて、少年は「ひぃ」と声を上げた。


「は、離してエイベル兄さん」

「お前が暴れるからだ。ほら、そこのロシュを見ろ。額に大きいたんこぶを作って蹲ってるだろ。哀れだろう?」

「う……うん」

「大人のあんな情けない姿なんて見てられないよな? ちゃんとロシュに謝った方がいい」


エイベルが手を離すと、ジェフリーはトコトコとロシュの元へ向かった。そして神妙な顔になった。


「可哀想なおじさん、ごめんなさい」

「なっ……!?」


可哀想でもないしおじさんでもない。そう言いたかったが、衝撃のあまり言い返すことができず口をはくはくとさせることしかできないロシュであった。


「ところで。……その。エイベル兄さん」

「ん?」


急にもじもじし始めたジェフリーに、エイベルは首を傾げる。ジェフリーはちらりとアルマに視線を向けた。


「どうして天使さんがこんなところにいるの?」

「……え」


エイベルはジェフリーの赤い顔と落ち着きのない態度を見て、一瞬で何かを察したようだった。

アルマはきょとんとした顔で己を指差す。


「その『天使さん』ってまさか私の事?」

「違うの?」

「私は普通の人間。ルマって言うの」

「ルマ……」


アルマがにこりと微笑むと、ジェフリーはぼうっとその顔に見入った。その隣でエイベルはわざとらしく咳払いをした。


「エイベル様。その子は一体……?」

「彼はジェフリー。俺の父方のいとこだよ。今日一日屋敷で預かることになったんだ」


そう言われると、顔立ちが少しエイベルに似ている。

アルマがじっと観察しているとジェフリーはまた赤くなった。そんな様子を面白くなさそうに見ていたエイベルは、ごく自然に二人の間に割り込んだ。


「そうだ、ルマ。お母様がお菓子をくださったんだ。天気もいいし庭園でお茶にしようか」

「わぁ。いいですね!」

「僕も一緒に……」

「人の屋敷で暴れる奴に出すお菓子はないよ。……ロシュ。ジェフリーを部屋に閉じ込めて勉強でもさせておけ」

「かしこまりました」

「そんな!」


エイベルは「じゃあ行こうか」とアルマに声をかけてさっさと外へと向かう。

ジェフリーも後に続こうとしたが、ロシュがそれを阻む。


「ジェフリー様はこちらです」

「嫌だ〜!」


ロシュは先ほどの仕返しのように、いきいきとした表情でジェフリーを連行していったのであった。


***


庭園内のガゼボへと移動した二人は優雅なティータイムを楽しんでいた。

青い空、咲き乱れる花々。そして向かいには穏やかな顔のエイベル。


(こういうのを幸せって言うのね……)


アルマは笑顔でホイップクリームたっぷりのケーキを口に運んだ。


「ルマ、昨日はよく眠れた?」

「はい。朝までぐっすりでした」

「そっか。それならよかった」


あまりに平和なひとときについ忘れてしまいそうになるが、ギディオンから命からがら逃げてきたのは昨夜の話だ。

帰りの馬車で、ブラックフォード公爵邸で何があったのかと尋ねられたが、魔女がどうという話をするわけにはいかず、アルマはかなりぼかした説明をすることになった。


そのせいでエイベルの中で『ブラックフォード公爵は幼女を攫う趣味のある変態』という結論になったらしい。ギディオンの評判を落とすことはやぶさかではないので特に訂正はしなかったが、それが一層エイベルの不安を掻き立てたようだ。

そのため尚更アルマを気遣ってくれているのだろう。


「私は元気ですよ。だってエイベル様と一緒なんですから」


はにかんでそう答えれば、エイベルが驚いたように目を見開く。……そして、目を細めて笑った。


「そっか」


どこからか現れた青い蝶が宙を舞う。アルマは半ば無意識にそれを目で追った。

そのとき、長い指先が滑るように口元をなぞるような感覚がして、アルマはびくっと身体を揺らした。


「え、エイベル様……?」

「クリーム付いてるよ」


ゆっくりと指先が離れていく。

掬ったクリームをエイベルがぺろりと舐めるのを見て、アルマは一瞬で真っ赤になった。


「はは。かわいい」

「なっ……!」


エイベルの雰囲気がいつも以上に柔らかい。すっかり気を許したような眼差しにアルマの鼓動は高鳴る。

その上、片想いだと思っていたエイベルとは両想いだったのだ。その事実を思い返せばますます顔が熱くなる。


頬杖をついたエイベルが微笑を浮かべてこちらを見守っている。そしてもう片方の手で、フォークでいちごのケーキを切り分け、差し出してきた。


「ほら。いちご、好きでしょ?」

「……」


もう心臓は爆発寸前だ。

それでも期待に応えるようにそっと口を開け、そのケーキをぱくりと食べる。

嬉しそうにこちらを見るエイベルの笑顔が眩しすぎて、大好きないちごの味もよくわからなかった。


そのとき、一人の使用人が慌てた様子でエイベルの元にやってきた。


「エイベル様、ジェフリー様が部屋から脱走して暴れています!」

「またか……」


エイベルは苛立ちを顕にしながら席を立つ。


「アルマはゆっくりしていてね」


名残惜しむようにアルマの頭を撫でると、エイベルはガゼボを離れていく。

その直後、向かいの席に誰かが座る気配がした。


(あれ、エイベルったらもう戻ったの?)


そう思い顔を上げれば、そこには鳶色の瞳の少年の姿があった。


「よ、よう。ルマ」

「ジェフリー……だったかしら」

「覚えてくれたんだ。仲のいい友達は僕のことをジェフって呼ぶんだ。ルマには特別にジェフって呼ばせてあげるよ」


ジェフリーは期待の篭った眼差しを向けてくる。

いきなりやってきた上に距離が近い。アルマは表情を変えずに答えた。


「私たち別に仲良くないでしょ。ジェフリー」

「なっ……」


受け入れられないとは思っていなかったのか、ジェフリーはショックを受けたようだ。しかしめげずに話しかけてくる。


「ねえねえ。ルマって好きな男のタイプとかあるの?」

「え。どうして?」

「いいでしょ。教えてよ」


唐突な質問だ。アルマはすぐさまエイベルを思い浮かべた。


「そうね……。顔が綺麗で背も高くてスタイルもよくて身分もあってお金も持ってて運動もできて知性もあって気品もあってかっこよくてかわいいところもあって優しくて……」

「待って待って待って」

「ん?」

「多すぎるよ! そんな人いる!?」

「いるわよ」

「そんな……どうしよう……」


ジェフリーは深刻な顔になり何かを考え始める。

気にせずフィナンシェを齧っていると、ジェフリーは意を決したようにこちらを見た。


「僕の家、お金持ちだよ」

「へえ」

「剣術は得意だし、勉強も先生によく褒められるよ」

「? そう……」


アルマは首を傾げた。この子は一体何を言いたいのだろう。


「だからさ。僕なんか……どう?」

「どう、って?」

「僕ってユーリョーブッケンってやつだと思うんだよ。好きな子には優しくするし絶対に浮気しないよ! 身長は……これから毎日牛乳飲むし。だから……」


ジェフリーは背後から一輪の薔薇を取り出し、アルマに差し出した。そして期待と緊張の入り混じった表情を浮かべる。


「僕のお嫁さんになってよ」

「……」


アルマはそっと視線を落とした。美しい赤い薔薇。その花弁はキラキラと輝いている。

アルマは平然とした顔で答えた。


「無理」

「えっ!? なんで?」

「そのバタフライローズ、ここの庭園に咲いてるやつでしょ。勝手に取ったの? 庭師さんが一生懸命育てた花なのにそんなことしちゃダメじゃない」

「ウッ……」

「そもそも、年下は好みじゃないのよ。子供はちょっとね……」

「年は同じくらいだと思うけど」

「見た目じゃなくて中身の問題よ」


ジェフリーはみるみる涙目になっていく。アルマはさらなる追い打ちをかけた。


「そもそも私、好きな人いるから」


その一言で、ジェフリーの心はバキバキに粉砕された。

ジェフリーが言葉を失っていると、背後から誰かの手が伸びてきて、トン、とジェフリーの肩を叩いた。


「……探したよ」

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