第29話 悟られなかった本心
料理を食べ終える頃には、土砂降りの雨もすっかり止んでいた。
今のうちに帰った方がいいとの言葉で、アルマはウィリスの馬車で送ってもらうことになった。
「お世話になりました」
「またいつでも遊びにきてね」
アルマは一家に別れを告げて家を出る。馬車に乗り込もうとしたとき、どこからか馬蹄の音が響いた。
その音はこちらへ向かってきている……?
アルマが振り返ったとき、いななきとともに鹿毛の馬が静止する。その背に跨る青年は大声でアルマを呼び止めた。
「姉さん!」
「……キーラン……」
緑の瞳がアルマを捉える。
すぐに馬車に乗り込んで逃げ出したくなったが、それよりも先にキーランが馬から降りてアルマの前に立った。
「……姉さん」
強い視線を感じるが、まだキーランと向き合う勇気がない。目を合わせることができず、アルマは俯いてしまう。
するとキーランがその場にしゃがみ、小さなアルマと目線の高さを合わせた。
「さっきはごめんなさい。酷いことを言いました」
「……」
「俺が幼稚でした。姉さんがいなくなって本当に焦っていたんです。その上大人の姿に戻っていたものだから、動揺してしまって」
尚も俯いたままのアルマを強く見つめると、キーランは言い聞かせるように囁いた。
「姉さんは俺の事を大切な弟って言ってくれましたよね。俺にとっても姉さんは大切な人です。……これは、本心です」
そこでアルマはようやく顔を上げた。そのときキーランがあまりに悲しげな顔をしていて胸がずきりと痛む。
それでも、キーランの謝罪を素直に受け取るほどの余裕はまだアルマにはなかった。
「……さっきのは本当なの? 私が、ミルネールの人じゃないって」
「それは……」
キーランは答えにくそうにしていたが、やがてこくり、と頷いた。
「そう……。教えてくれてありがとう」
御者台に登っていたウィリスは振り返り、キーランに声をかける。
「お兄ちゃんはお嬢ちゃんの知り合いかい? 一緒に乗っていくかい?」
「いえ、俺は結構です」
「そうかい」
そこで一度会話が途切れる。アルマは再び馬車に乗り込もうとした。
「じゃあね。キーラン」
「姉さん、待って」
腕を掴まれアルマは振り返る。キーランは慌ててポケットからゴールドの指輪を取り出した。
「あの……これ。姉さんがなくしたペンダントに似た宝石だと思って。それで、その……」
「くれるの?」
「はい」
キーランはアルマの左手を取った。そして、小さな薬指にすっと通した。
それを見て、アルマはぷはっと笑う。
「なんで薬指なのよ。プロポーズじゃないんだから。くだらない冗談でもキーランがするとなんだか可笑しいわ」
ようやく笑顔を見せたことに安堵したのか、キーランもほんの少しだけ表情を和らげた。
だがその顔に一抹の寂しさがよぎったことには、アルマは気付かなかった。
「……そうですね」
悟られなかった本心を隠すように、キーランはにこりと笑った。冗談をきちんと冗談にするために。
「じゃあね、キーラン」
そう言って、今度こそアルマは馬車に乗り込む。キーランがこちらを見ている気配を感じたが、アルマは一度も窓の外を見ようしなかった。
地面に広がる大きな水たまりは星空を映して煌めいている。その星空の中を馬車は静かに走り出す。
一人佇むキーランは、遠ざかる馬車をいつまでも見送っていた。
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