第7話 傷跡
「改めまして、私はエイベル様の従者のロシュと申します。よろしくお願いします、ルマ様」
濃紺の髪にアイスブルーの瞳。切れ長の目元が印象的なその男――ロシュは丁寧にお辞儀をした。
「こちらこそよろしくお願いします。ロシュさん」
そう答えるとロシュはにこりと微笑む。そして優しい眼差しを向けた。
「私にとってルマ様は恩人です」
「恩人?」
「ルマ様が止めてくださらなければ、私は昨晩主人を失うところでした。これでは従者失格です」
ロシュは己を恥じ入るように目を伏せた。
「この屋敷、あまり使用人の姿が見えないでしょう? 極力部屋に近付くなというエイベル様の命令によるものなのです。特に昨晩は絶対に一人にしてくれと釘を刺されていて……迂闊でした」
(ああ、それで……)
アルマがこの屋敷に侵入したとき、門の警備はきちんとされていた割に、エイベルの部屋に入るのは容易かった。それもエイベルの指示だったのだ。
「今のエイベル様は我々が必要以上に世話を焼くことを望んでいません。かといって、一人にしておくのも危険です。……そこで、ルマ様」
「何でしょう」
「貴女にエイベル様のお世話を任せたいのです」
「お世話……」
エイベルに膝枕をして寝かしつけたり、エイベルにご飯を食べさせてあげる構図が脳内を駆け巡る。
(し、刺激が強いわ……!)
そんな行き過ぎた妄想をロシュがしっし、と打ち払う。
「そう大袈裟に考えなくて大丈夫です。基本的なことは私が行うので、話し相手になったりだとか、その程度で構いません。エイベル様が元気を取り戻す手伝いをして欲しいのです」
「……なるほど。わかりました」
二人は固い握手を交わして契約を締結する。
こうして『ルマ』は不法侵入の現行犯から『エイベルお世話係』に昇進したのであった。
その後、アルマには二階の一部屋を自室として与えられた。更には新しいドレスも用意して貰った。
そのときにようやく気付いたのだが、首にかかったペンダント以外にはまともな持ち物がなかった。自分がどれほど無計画だったかを今更ながら思い知らされる。
(こんなだからキーランに心配されるのよね……)
そうは言っても生まれ持った性格はそうそう変えられるものではない。
それに、むしろこの無計画さのおかげでエイベルの傍にいられることになったのだ。とにかく今はお世話係としての任を全うすることだけを考えよう。
そう意気込み、新しいドレスに袖を通すと、エイベルの部屋へと初出勤した。
ノックをしてから声をかける。
「エイベル様。ルマです」
いくら待っても反応がない。
「……入りますよ?」
そう伝えて扉を開く。そして絶句した。
揺れるカーテンの隙間、開け放たれた窓からエイベルが外に身を乗り出している。
「ダッ、ダメーーーー!!」
アルマは全速力で窓辺に辿り着き、火事場の馬鹿力でエイベルを部屋に引き戻した。
エイベルはバターン、と頭から床に倒れる。
「……。……ルマ?」
しばらく宙を彷徨っていた赤い目がようやくこちらを見る。
アルマはぜえぜえと肩で息をしてエイベルを見下ろした。
「何やってるんですか!」
「今、外にアルマがいたんだ」
「いません!!」
「向こうで待ってるんだよ。ほら、早くおいでって声が聞こえる」
「言ってません!!」
エイベルはしばらくぼうっとしていたが、しばらくして「……そう」とだけ答えた。
(思ったよりも重症だわ……!)
アルマはすばやく窓を施錠した。
そのとき、窓際のテーブルに置かれた果物の籠盛りに目が留まった。お見舞いの品のようだ。
「エイベル様、怪我は大丈夫なんですか?」
「まあ、死ぬような怪我じゃないし、そのうち治るんじゃない」
「そうですか。……よかった」
倒れた彫刻からアルマを庇った直後はかなり苦しげで、立っているのすら辛そうだった。
それに比べて今は、シャツの隙間から包帯やガーゼが見えてはいるが、日常生活を送る分にはそれほど問題がなさそうだ。
アルマは少しだけ安堵し、籠の中からリンゴを一つ取り出した。
「患者さんのために今から可愛いウサギを剥いてあげますね!」
アルマは傍にあったナイフを手に取ると、華麗なナイフ捌きを披露した。
……そして数分後、ボロボロな岩のような塊が出来上がった。
目を逸らすアルマを前に、エイベルは首を傾げる。
「……ウサギじゃなかったの?」
「料理なんてしたことないから仕方ないじゃないですか!」
アルマはぷりぷりと怒りながら席を立ち、ゴミを片付けた。
「それでも、味には問題は……」
言いながら、エイベルに視線を戻す。するとエイベルがテーブル上のナイフをじっと眺めているのに気付き、アルマは慌てて窓際に舞い戻った。
「ダメーーーー!!」
アルマはエイベルの視界から遠ざけようと、咄嗟にナイフを鷲掴んだ。その瞬間、手のひらに鋭い痛みが走る。
「痛っ」
「ルマ!」
ナイフは手のひらを滑り落ち、カランと音を立てて床に転がる。そっと開いた手のひらからはつう、と血液が垂れ、白い腕を伝っていった。
痛みで顔を歪めながらも、アルマはほっと息を吐く。
(うう、痛すぎる……。だけどエイベルが無事でよかった)
そのとき視界の隅から大きな手が伸びてきて、アルマの細い腕を掴む。
「何やってるの」
怒気を孕んだ声にアルマはびくりと肩を震わす。先ほどまでぼうっとしていたエイベルが怖い顔でこちらを見ているのに気付くと、アルマはたじろいだ。
「あの……?」
「何でこんなことしたの。血が出てるじゃないか」
「えっと……、エイベル様が怪我したらいけないと思って」
「俺のため?」
「はい」
そう答えると、エイベルはますます怖い顔になった。
(どうして怒ってるの? 何かまずいことしちゃった……?)
こんな顔を向けられたのは初めてだ。アルマは思わず涙目になった。
黙って震えていると、ぐいと腕を引かれ、椅子に座らせられる。
「手、見せて」
エイベルは傷跡を確認すると軽く眉根を寄せた。そして戸棚から薬箱を取り出してきて、黙々と手当てを始めた。
薬を塗られ、アルマは思わず「痛い!」と声を上げた。しかしエイベルは手を止めない。
(なんで私がエイベルに手当てされてるの?)
お世話係のはずがお世話をされている。これでは本末転倒だ。
「エイベル様、私は大丈夫ですから」
「ダメ。じっとしてて」
「エイベル様のほうがよっぽどボロボロじゃないですか!」
「こんなもの大したことないよ。別に僕はどうだっていいんだ」
どこか投げやりな言葉にアルマはぴくりと反応する。
(またそれ……)
昨日も言っていた。『俺が死ぬべきだった』と。
アルマは偶然事故に巻き込まれただけなのに、どうしてエイベルが責任を感じるのだろう。どうしてそんなに辛そうな顔をするのだろう。
そんなこと、少しも望んでいないのに。
気付いたらぼろぼろと大粒の涙が流れていた。アルマは涙に濡れた瞳でエイベルを見上げた。
「……ルマ?」
「どうしてそんな悲しいこと言うの。どうだっていい訳ないでしょう。死なないでよ。どこにも行かないでよ。ずっと一緒にいてよ……!」
そう言って泣き出したアルマを見て、エイベルは当惑した。
彼女は何故、出会ったばかりの他人のために涙を流せるのだろう。
(こうして怒った顔を見てると、本当にアルマに叱られてるみたいだ)
「……変なの」
そう呟く。やがて、また無意識のうちに少女とアルマを重ねて見ている自分に気付き、エイベルは表情を曇らせた。
この少女の中にアルマの面影を見つける度、嬉しいような苦しいような気持ちになる。
昨晩ルマが現れたとき、アルマが迎えに来たのかと錯覚した。もう何も考えなくていいんだと、楽になれるんだと思った。
……それなのに、彼女はまだ俺をこの世に繋ぎ止めようとする。辛く苦しい現実の世界に。
「はは……」
エイベルは力なく笑った。もう自分の中の感情がわからない。彼女をどうすればいいのかもわからない。
……だけど。
エイベルは笑いを収めて目の前の少女をじっと見た。
泣きながら怒る彼女の眼差しはあまりに真摯だ。
(……俺と同じだ)
自分だって、燃え盛る炎に向かおうとしていたときは同じくらい切実だった。だから、彼女の気持ちも少しはわかってしまうのだ。
アルマは涙を拭うと部屋の隅から大きな椅子をずりずりと引き摺ってきた。そしてベッドの傍にセッティングする。アルマはその椅子によじ登ると腕組みした。
「ちゃんと反省してください。またヘンなことをしないように私がここで監視してますから!」
「監視?」
「はい。いくら死にたくても死なせてあげませんからね!」
アルマはそう宣言をする。
その言葉通り、その日アルマはエイベルの一挙手一投足を監視していた。しかし日が落ちる頃には、ベッドに両腕と頭を乗せて眠っていた。
エイベルはそんな姿を発見し、フッと笑った。
「監視するんじゃなかったの?」
エイベルはシーツを持ってきてアルマにそっと被せた。
平和そのものみたいな穏やかな寝顔だ。多分悩みとかないのだろう。羨ましい限りだ。
エイベルは少しだけ表情を緩ませると、ただ静かにその顔を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます