第27話 一方通行の想い
「……あれ?」
ぱちり、と瞬くと真っ暗だった視界に景色が広がっていく。
扉を抜けた先は元いた路地裏ではなかった。足元には街並みと同じ石畳が続いており、欄干の下には川が流れていた。
「ここは……」
ここはおそらく、街の外れにある橋だろう。男女の待ち合い場所によく使われる有名な観光スポットだ。
この時間帯は人が多いはずなのに、不思議と今日は自分以外の人が見当たらない。ついでに、先ほどまで前を歩いていたはずの黒猫の姿も見えなくなっていた。
下方を流れる川を覗き込むと、水面には夕暮れの空と、十九歳のアルマの姿が映っていた。
「本当に大人に戻れたのね」
思いがけずヨアンにたくさんの話を聞くこととなったが、正直まだ理解が追いついてない。
ヨアンは、アルマは魔女だと断言した。ギディオンに魔女かと問われたときは勘違いだろうと思っていたが……。
「本当に……私は魔女なのかしら」
だとすれば、アルマの母も魔女だということになる。だが、どうも腑に落ちない。
アルマが子供に戻ったときの態度を見ても、侯爵夫人に魔法についての知識があるようには見えなかったのが引っかかる。
何か――辻褄が合わない気がするのだ。
「……そうだ、ヨアンくんが魔力を扱う練習をしろって言ってたわね」
人もいないし丁度いい。
アルマは欄干から身を乗り出し、水面に向けて腕を伸ばした。
水を掬い上げるようなイメージを思い浮かべ、必死に念じる。すると、ポコポコと沸騰するように水の泡が浮かび上がった。
しかし、すぐに形を失ってしまう。
「あれ、失敗? もう一回……」
アルマは同じことを繰り返す。
すると再び水面が動き出し、フワリ、と球状の水が次々浮かび上がる。それは次々風に乗り、シャボン玉のように空を舞い上がった。
「わぁ……」
夕焼けの空を映して水の球は赤く染まっている。幻想的な光景に、アルマは目を細めた。
そのとき、吹き付けた強風が水の球を攫っていく。その行方を追って振り返ると、橋のたもとに立つ誰かと目が合った。
「姉……さん?」
父によく似たキャラメル色の髪に、母と同じ緑の瞳をしたその青年は――
「キーラン!」
アルマは元気よく手を振った。
しかし、キーランは目を見開いたまま立ち尽くしている。肩で息をしており、顔も赤い。髪も乱れている。
「……キーラン?」
再度呼びかけると、キーランは涙をこらえるようにぐっと唇を引き結ぶ。
次の瞬間、キーランは橋の半ばまで一気に駆け寄ると、アルマを強く抱き締めた。
「えっと……どうしたの?」
「……」
「く、苦しいわ」
「……」
大人に戻ったというのに、アルマの身体などキーランの腕の中にすっぽりと収まってしまう。それに、力もこんなに強かっただろうか。
「ねえ、キーラン……?」
そのとき、ようやく腕が緩む。安堵を覚えながら顔を上げれば、至近距離で緑の瞳と目が合った。
「姉さん、身体が……」
「戻ったのよ。一時的なものらしいけど。……ねえ、聞いてよキーラン。さっきね、なんと本物の魔女に会っちゃったの! それで魔法で場所を移動したり色んなことを教えてもらって……」
はしゃぐアルマとは対照的に、キーランの表情は険しい。それに気付いたアルマは口をつぐんだ。
「……探したんですよ。どこにも姿が見えなかったから、街中探し回って……」
「えっ? あ……ごめんなさい。すっかりキーランのこと忘れてて……」
その言葉にキーランはぴくりと反応し、僅かに苛立ちを顕にした。
「……そうですよね。姉さんはいつだってそうだ」
「……え?」
「今日は俺の誕生日なのに、所詮その程度の存在なんですね。姉さんにとっての最優先はいつも俺じゃないんだ……」
なんだかいつもと雰囲気が違う。どうしてそんなに苦しそうな顔をしているのだろう。
アルマは戸惑いながらキーランを見上げた。
「キーラン、なんだか変よ」
「別に、変じゃないですよ」
「ううん、いつもと様子が違うもの」
「そんなことないです」
「……ごめんなさい、そうよね。誕生日なのに、ぞんざいに扱われたら気分悪いわよね。私が軽率だったわ」
アルマはそっとキーランの頬に触れた。しかし、キーランはその手を避けるように顔を背けた。
「あ……」
(どうしよう。キーラン怒ってるみたい)
「じゃあ……今から誕生日の続きをしましょう。そろそろご飯にする? キーラン何食べたい? 私は……」
アルマはできるだけいつもの調子でそう尋ねたが、キーランの様子が変わることはなかった。
「姉さん」
「ん?」
「姉さんは俺のこと、どう思ってます?」
「どうって……。大切な弟よ。家族なんだもの」
「……。じゃあ、家族じゃなかったら俺自身を見てくれましたか」
その問いかけに、アルマは目を瞬かせる。
「え……? キーランはキーランでしょ。私の弟の。それ以外の何者でもないわ」
欲しかった答えではなかったのか、キーランはギリッと奥歯を噛み締めた。
「……みんな家族家族って……」
「キーラン?」
緑の瞳がアルマを強く見つめる。
そして、苦しげな顔で告げた。
「俺は姉さんを家族だなんて思ってません」
「え……」
(聞き間違い……じゃ、ないわよね……?)
キーランは感情的に人を詰ったりしない。
タチの悪い冗談を言うような子でもなかったはずだ。
それなのに。
「どうしてそんなこと言うの……」
震える声でそう問う。しかしそんな態度が一層彼の神経を逆撫でたらしい。
キーランは吐き捨てるように答えた。
「だって……姉さんと俺は血の繋がりがないじゃないか!」
「えっ……」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
どく、どく……と心臓が嫌な音を立てる。
(今……なんて……)
何も言えずに立ち尽くしていると、キーランは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「本当に知らなかったんですか? 姉さんは何にも気付かないんですね。……本当に、残酷な人だ」
身体の力が抜けていく。アルマはよろよろと背後に二、三歩下がった。
「姉さん」
「あ……」
「俺、本当は」
「いや……」
聞きたくない。
――もうこれ以上、何も聞きたくない!
そう強く願った瞬間、カッ、と空が光った。
雷鳴が轟き、キーランは驚いて空を仰ぐ。
夕暮れの空には暗雲がたちこめ、激しく雨が降り始めた。
キーランが視線を戻したとき、橋の向こうに逃げ出すアルマの後ろ姿が見えた。
「……姉さん!」
アルマの背はあっという間に遠ざかる。
車軸を流すような雨が一切の音を掻き消していく。
キーランの声はもう、アルマには届かなかった。
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