子供になったアルマは幼馴染の本心を知らない

庭先 ひよこ

第1話 はじまりの夜

長い指先が頭に触れる。

ゆるく波打つ金髪を梳くように撫でられ、少女は顔を上げた。


「ルマ~ルマ〜」

「あ、あの……」

「ずっと僕の傍にいてよぉ……」


青年はぎゅう、と少女を抱き締める。

少女の顔に浮かぶのは照れと困惑の半々だったが、徐々に困惑の割合が増してきた。


「えっと……」


少女の年齢は十くらいだろうか。金髪に菫色の瞳がよく映える。仕草一つとっても、万人を魅了するような愛らしさがあった。


「ルマ?」


少女は見つめられていることに気付き、ぽっと頬を染めた。

すぐそこに青年の綺麗な顔がある。雪のように白い髪に、蠱惑的な赤の瞳。絵画から抜け出たような美男子だ。

こんなに近くで彼の顔を見られるなんて、かつての自分からすれば夢のような話だ。


……なのだが。


(確かに距離を縮めたいとは願ってたわ……)


少女は青年の腕の中で溜め息を吐く。

彼が自分に向けている愛情は、人形やペット、もしくは妹を可愛がるようなものだ。かつて願ったような甘い関係とはほど遠い。


(こういうことじゃなくて、私はエイベルと恋愛がしたいのよー!!)


少女は複雑な表情を浮かべたまま、青年に頬ずりをされていた。


***


――全てはあの日、夜会での出来事から始まった。


光を受けて煌めくシャンデリア。楽団が奏でる優雅な音楽。ホールの中央では演奏に合わせて着飾った男女が踊っている。

そんな会場の中を、華やかなドレスを身に纏った一人の娘が歩いていた。


娘はゆるく波打つ金髪を軽く払う。その仕草に釘付けになった男の視線に気付くと、彼女は菫色の瞳をそちらに向け、にこりと微笑む。すると男は顔を真っ赤にして俯いた。


アルマ・ミルネール、十九歳。

名家であるミルネール侯爵家の令嬢だ。


首元のペンダントに触れると琥珀色の宝石がきらりと輝く。アルマは窓に映る己の姿を眺めると、満足げに微笑んだ。


「私ったら今日も完璧だわ……」

「すごい自信ですね、姉さん」


その声に振り向くと、背後に一人の少年が立っていた。

キャラメル色の髪に新緑を思わせる緑の瞳。落ち着き払った態度に大人びた雰囲気。そのどれもがアルマとは似ても似つかないが、彼はアルマの三つ年下の弟だ。


「キーラン」


弟――キーランは「姉さんのその前向きさは俺も見習いたいですね」と、賞賛とも皮肉ともつかない言葉を吐いた。

しかし「前向き」なアルマはその言葉を額面通り受け取った。


「だって、今日は気合いを入れてドレスアップしたんだから。どう、キーラン。綺麗でしょ? キーランもそう思うでしょう?」

「……」


キーランはアルマを上から下まで眺めたが、その問いかけには答えなかった。


「それなのに本命には相手にされてないじゃないですか」

「なっ……!」

「ほら、あそこ」


キーランの視線の先には白髪の青年の姿がある。それが目に入るだけで心臓がどくんと音を立て、アルマの頬が赤く染まる。


「どれだけ着飾っても、好きな人にアピールできなきゃ意味ないんじゃないですか?」


アルマは熱い眼差しでその姿を見つめた。

そして、ぽつりと呟いた。


「……わかってるわよ」


白い髪に赤い瞳。柔らかな笑顔を浮かべる彼の名は、エイベル・レリュード。有力貴族であるレリュード侯爵家の一人息子だ。

アルマとは幼馴染の関係であり、アルマの長年の片想いの相手でもある。

アルマはこれまで幾度もエイベルにアピールしてきたが、失敗続きであった。


あるときアルマはエイベルを誘惑しようと試みた。露出度の高いドレスでエイベルをドキッとさせるという完璧な計画だった。

しかしエイベルはアルマを一目見るなり、黙ってフロックコートを脱いでアルマに着せた。そして一言。


『ミルネール侯爵家は布を買うお金すらないのか? お金に困ってるなら相談乗ろうか?』


アルマは真っ赤になって叫んだ。


『違うわよ! こういうデザインの服なのッ!』


そしてまたあるとき、アルマは白のハンカチに刺繍を施してエイベルにプレゼントした。


この国ではハンカチを贈ることが必ずしも特別な意味を持つとは限らず、無難な刺繍を施して贈る『義理ハンカチ』なるものが横行している。

それゆえ、刺繍の図柄の見極めこそがモテへの第一歩だと謳われるほどなのである。


そんな中、本命の相手には、贈り手を象徴する図柄の刺繍のハンカチを贈るのが近頃の流行だ。『このハンカチを私だと思って身につけて』という意味合いである。


それに則り、アルマは金と紫の糸をふんだんに使って刺繍をした。不慣れなせいで指は十本余すところなく絆創膏だらけになったが、おかげで力作ができた。

そしてアルマはそのハンカチをエイベルに贈った。


『これ、エイベルにあげる。使ってくれる?』


アルマの髪色と瞳の色を表した色使い。もうほとんど告白みたいなものだ。

心臓が激しく鼓動する。必死に平静を装っていたけれど、心の中は叫び出したい気持ちでいっぱいだった。


緊張と期待の入り混じった思いで返事を待つ。しかし、エイベルは刺繍を見るなりフッと笑った。


(今、鼻で笑われた……?)


『この刺繍のドラゴン、すごい迫力だね。こういうのを芸術って言うのか。男への贈り物にしてはいかつすぎるけど、義理にしてはセンスが尖りすぎてる。なんか……すごいね』

『〜〜〜〜』


意図が全く伝わっていない。

それに、ドラゴンではなくてアルマが大好きなバタフライローズの花だ。

アルマはハンカチを取り上げると、窓の外に投げ捨てた。ハンカチは外の池に落下し、ぽちゃん、と音を立てて沈んでいった。


『あっ、何するの!』

『エイベルのバカ!!』


そう言ってアルマは泣きながら家に戻った。それがつい一週間前の出来事だ。


喧嘩別れしてしまったせいでまだ少し気まずいのだが、アルマにそんなことを言っている暇はないのである。


「姉さんはもう十九ですよね。急がないと嫁き遅れですよ」

「わかってるわよそんなこと」


アルマは三歳も年下の弟を睨んだ。


この国では、十九歳までに婚約を結び、新郎か新婦のいずれかが二十歳になる年に結婚をするのが一般的だ。実際問題、男性側が二十歳になってすぐに結婚するパターンが多い。


年齢差が大きい場合はこの限りではないが、『二十歳=結婚をする年』というのが共通認識なのだ。

つまり、今年で十九である二人にとってはそろそろリミットということになる。


(でも、お互いにまだ婚約者がいないってことは……。少しは可能性があるって、信じてもいいの?)


アルマの頬が期待で熱くなる。

今まで散々アタックしてきたつもりだったが、周りくどかったのかもしれない。結局、こういうのはストレートが一番だ。


(よし、決めた。今日、エイベルに告白するわ……!)


一人で百面相するアルマを、キーランはやれやれ……という顔で眺めていた。

そのとき、ふと周囲の令嬢達の話し声が聞こえてきた。


「ねえ、あの噂聞きました? レリュード公子の話」


レリュード公子。エイベルのことだ。

アルマはぴくりと反応する。


「どんな噂です?」

「確かレイラ嬢と婚約するとか」

「まあ、本当ですの?」


その途端、アルマはさーっと血の気が引くのを感じた。


(婚約!?)


「まあ、噂をすれば」


アルマは令嬢達の視線の先を追った。

エイベルがにこやかな笑顔を向けるのは、ワインレッドの髪の、可憐な娘だ。二人は何やら会話を楽しんでいるようだった。


「まあ、ずいぶん仲が良さそうだわ」

「レイラ嬢と言えば由緒正しきヴィアリー公爵家の娘なのですよね」

「その上あの容姿。社交界の華と呼ばれるだけはありますわ。欠点が一つもないもの」

「それにあの二人、美男美女でお似合いだと思いません?」


令嬢達のはしゃぐような声が突き刺さる。

だんだんピントがずれるみたいに、二人の会話の内容も耳に入らなくなっていった。意味を持たないただの雑音になって、頭の中を反響していく。


エイベルとレイラは目を合わせると微笑みを交わした。

何と美しいワンシーンなんだろう。

そう思えば思うほど、胸が抉られるようだ。


「姉さん? 顔色が……」

「……」


キーランの気遣わしげな声が聞こえたが、それに応える余裕はなかった。

アルマはそっと後ずさると、踵を返してその場から逃げ出した。


「姉さん!」

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