第31話 ある日のレリュード侯爵邸2

「セオさん。今日は日差しが強いですよ。外仕事をしていて倒れたらどうするんですか。これをどうぞ」


そう言ってロシュはセオに貴婦人が被りそうなボンネットを被せた。サングラスとの合わせ技で完全に不審者である。

セオは「気持ちだけ頂きます」と愛想笑いをして、ボンネットを返却した。

ついでにサングラスも外すとロシュはくらりと倒れそうになる。しかし、すんでのところで踏みとどまった。


「大丈夫ですか……?」

「大丈夫です!」


ロシュは時々「特訓させてください!」とセオの顔面に耐える訓練を受けに来ており、今も免疫を獲得している最中だ。おかげで近頃は素顔で向かい合っても失神する頻度が減ってきた。

時間差でたらりと鼻血が垂れたが、ロシュはハンカチでさっと拭う。そして、元通りの顔になった。


「……本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫です。そんなことよりセオさん。ちゃんと食べてますか」

「た、食べてます」

「そんなに色も白くて、ほっそりしてて、今にも倒れてしまいそうじゃないですか!」

「いえ、これは生まれつきで……健康には問題ないので気にしないでください」


しばらく会っていない実母よりも余程世話焼きだ。セオは顔を掻いた。


「庭仕事は力が要るのでロシュさんが思うよりは力があると思いますよ」

「本当ですか?」


疑わしげなロシュにセオは「失礼します」と声をかける。そしてロシュの身体を持ち上げ、軽々と頭上に掲げた。ダンベルのような扱いにロシュは困惑した。


「この通りです」

「わあ。意外とパワータイプ……」

「さっき小屋の扉の立て付けが悪くて閉じ込められたんですけど、扉ごとぶち抜いちゃいました」

「やっぱりパワータイプ」

「えへへ」

「……。……このまま会話するんですか?」


よいしょ、とセオはロシュを地面に降ろした。ロシュは咳払いをする。


「……健康そうでなによりです」

「お気遣いいただきありがとうございます。ロシュさんは気配り上手なんですね」

「ああ……多分、弟の影響ですね。やんちゃな弟が二人もいたので、自然と世話焼きになって……。それに、なんとなくセオさんも世話を焼きたくなる感じというか……」

「確かに、私にも兄が二人いました。だからかもしれませんね」

「なるほど。それは納得ですね」


二人はふふ……と微笑みを交わす。なんとも平和な雰囲気だ。


「なんだかお兄さんができたみたいで嬉しいです。実の兄は、幼い頃は仲が良かったのですが、だんだん疎まれるようになっていったので……」

「セオさん……」


しゅんした顔に庇護欲を掻き立てられる。ロシュはどんと胸を叩いた。


「私のことはどんどん頼ってくださいね!」

「本当ですか? わあ、嬉しいな」


そう言って、セオは微笑む。

太陽よりも眩しい笑顔を浴びて、ロシュはハッとした顔になる。そして、片手を上げて自己申告した。


「……すみません。少々直視しすぎたみたいです」

「え?」


次の瞬間、ロシュはバターンとその場に倒れる。セオは慌てて地面に膝をつき、ロシュの顔を覗き込んだ。


「ロシュさん!?」

「平気です。それより外は暑いので、これを」


朦朧とした意識の中、地面に横たわったまま、ロシュはさりげなくまたセオに帽子を被せようとする。

そのことに気付いたセオはさっとそれを制した。


「いや、その帽子はちょっと……」


センスが悪いとは言えないセオだった。


「ロシュさーん!」


ロシュを呼ぶ弾んだ声が聞こえる。

振り向くと、遠くからやってくるチェルシーの姿が見える。セオはさっとサングラスをかけ、ロシュを助け起こした。

チェルシーはロシュの鼻血に気付いて「ん?」という顔をしたが、特に触れはしなかった。


「ロシュさん。エイベル様がお探しですよ」

「わかりました。すぐ行きます」


ロシュはキリッとした顔になり、屋敷の方と向かっていく。鼻血を流していなければ決まっていただろうに、どうも惜しい。

チェルシーはその背を見送った後、セオの方を振り返った。


「セオさんってロシュさんと仲良かったんですね」

「心配してくださったみたいです。優しい方ですよね。……この屋敷の皆さんはいい方ばかりです。こうして心穏やかに過ごせているのも全部、ルマさんのおかげです」


そう言ってセオははにかむ。その綺麗な笑顔に、チェルシーは内心「サングラスをしていてよかった……」と安堵したのだった。


「ところでセオさん、そのボンネットは……」

「日差し対策にとロシュさんがくださったんですが、その……ちょっとデザインが……」

「ダサ……いえ。なんでもないです。どこで買ったんでしょうね」


二人がボンネットを神妙な顔で眺めていたとき、誰かの靴音が近付いてきた。


「今は何の花が見頃なんだい?」


その声で二人は振り返る。花々に囲まれた道を、一人の紳士が歩いてくる。

二人は目を見開いた。


「旦那様!」


白い髪に鳶色の瞳。どことなく大人の色気漂うこの男はこの屋敷の主人――マリオン・レリュード侯爵だ。

息子のエイベルと違っているのはせいぜい瞳の色くらいだろう。エイベルが年を重ねればこんな感じになるのだろう、と思わせる容貌をしていた。


慌てて頭を下げた二人を見て、侯爵は「そう畏まらないでくれ」と朗らかに笑った。


「今日は結婚記念日だからジョアンナに花でも贈ろうかと思ってね。花を分けてもらってもいいかな」


侯爵は常に多忙で執務室に篭るか外出していることが多く、屋敷でのんびりと時間を過ごすことは少ない。それでも、空いた時間のほとんどを妻と過ごす愛妻家だ。


「それからあの子……ルマ嬢と言ったかな。あの子にもお礼を伝えたくて贈り物を考えているんだが、何かいい贈り物はないだろうか。やはり服とかだろうか?」


チェルシーが「奥様は既に沢山のドレスを与えてらっしゃいましたが……」と伝えると、侯爵は目を丸くした後に、困ったように笑った。


「ジョアンナは思い切りがいい所があるからな。ルマ嬢の負担になってなければいいんだが。……まあ、彼女らしいと言えば彼女らしいか」


その眼差しには愛しい人への慈愛が篭っている。なんとも優しい顔をしていた。


「いずれによ今はジョアンナにあげる花が先だな。……お、丁度いいカゴがあるじゃないか」

「あ、これは……」


デザインのせいかそれがボンネットだとは気付いていないらしい。本来首元で結ぶリボンの部分に腕を通し、侯爵はボンネットを腕から提げた。


「最近のカゴは面白いデザインだな。気に入ったよ。あ、あの花とか良さそうだ」

「その、旦那様。それはカゴでは……」

「お。そのサングラス、洒落てるなあ。私もかけたらジョアンナが惚れ直してくれるだろうか。少し借りてもいいかな?」

「あ、ええっと、これは……」


二人は会話をしながら庭園の奥へと入っていく。


チェルシーが屋敷の方を振り返ると、窓辺に立つ侯爵夫人と目が合った。どうやら侯爵の姿を眺めていたようだ。侯爵夫人は悪戯っぽく笑って、窓辺を離れていった。


(まあ、仲が良いんですね)


チェルシーはふふっと笑う。


(そう遠くない未来、エイベル様もご結婚なさるでしょう。どんな方がこの屋敷にいらっしゃるんでしょうか?)


侯爵夫妻のように仲睦まじく過ごせるような相手だといいなあ。

そんなことを考えながら、チェルシーは屋敷に戻っていった。


***


「……できた!」


針を針山に戻し、ネグリジェを大きく広げて確認したチェルシーは満足げに頷く。


「ルマ様が戻る前に直せてよかった……」


ビリビリだったネグリジェは元通りに繕われていた。棚に仕舞うと、チェルシーは廊下に出た。

外はもう暗い。そろそろ帰ってきてもいい頃だ。そう思いながら窓に近付くと、正門近くに立つエイベルの姿が目に入った。


「あれはエイベル様?」


そのとき、エイベルの部屋からげっそりした様子のロシュが出てきた。その手には大量の資料が握られている。


「ロシュさん、どうしました?」

「ああ、チェルシーさん。ちょっと仕事が立て込んでいて……」

「まあ」

「……というか、エイベル様が一日中上の空で余計な仕事を増やしてくださったおかげですよ。書類は全部ミスしてましたし、コーヒーを割ったり、階段を踏み外して怪我を悪化させたり……散々でした」

「きっと、ルマ様のことが気になるんですね」

「そうでしょうね」


窓の外のエイベルは門を出たり入ったりしている。あまりの落ち着きのなさに、ロシュは「何をやってるんですか……」と思わず突っ込みを入れた。


「ルマ様がいらっしゃってからエイベル様は変わってしまいましたよ。一人じゃろくにお仕事もできなくなるなんて……」

「でも、いい方向にも変わりましたよね?」


チェルシーがそう尋ねると、ロシュはふっと表情を柔らげた。


「もちろんです。私一人ではエイベル様の精神的な部分まではサポートしきれませんから。そういう意味では、ルマ様は頼もしい戦友のようなものなのかもしれません」


そのとき正門が開き、門をくぐって一台の馬車が入ってくる。馬車から出てきたワンピース姿の少女を、エイベルは自ら抱え下ろした。

その様子をチェルシーは微笑ましく眺める。


ある日突然屋敷にやってきた少女は、いつの間にかこの屋敷になくてならない存在になっていたようだ。


「素敵な方にお仕えできるなんて、やっぱり私は運がいいですね」


そう得意げに呟くと、チェルシーは軽い足取りで少女を出迎えに向かったのだった。

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