第10話 甘酸っぱい嘘
ここは、レリュード侯爵邸のとある一角。
アルマとロシュの二人は真剣な表情で作戦会議を行っていた。
「どうしましょうか、ロシュさん」
「どうしましょう、ルマ様」
アルマがレリュード侯爵邸にやってきて数日が過ぎた。アルマの徹底的な監視のおかげで(実際には眠ってばかりであまり監視出来ていないのだが)、ここのところエイベルは自殺衝動を見せていない。
とはいえ、未だ精神的にも身体的にも不安定なのには変わりない。
目下、解決すべきことと言えば――
「エイベル様、全然ご飯を食べてないですよね」
そう言うと、ロシュは大いに頷いた。
「そうなんです! ここ一ヶ月まともな食事を摂ってらっしゃらないんです。ただでさえ怪我の影響で体力も落ちているというのに、鳥の餌かってくらいしか食べないんですよ。ダイエット中のレディーでももっと食べているはずですよ。このままでは餓死まっしぐら。由々しき問題です」
「ですよね。かなりやつれてますし……。どうにかして太らせなきゃ」
「その通りです!」
やがてロシュは思案顔になる。
「本当は口をこじ開けてでも食べさせたいところですけど、しつこくしすぎて食べ物の話をするなと言われてしまったんですよね。ですので、今やルマ様だけが頼みの綱です。それにちゃんと眠ってらっしゃるのか、ちゃんと歯磨きしてるのかも気になりますし……」
アルマはちらりとロシュを見た。
この男、年齢は二十代前半といったところか。アルマの実年齢からはそこまで離れていないはずだが、何となく年不相応な雰囲気がある。
(大人びてるというよりは世話焼き? 過保護? ……いや、この感じは)
「……ママ?」
「誰がママですか」
心の声が漏れていた。アルマは慌てて口を覆った。だがもう遅い。
「せめてお兄さんでしょう」
「すみません……」
「わかったならいいです。ルマ様もちゃんと食べて大きくなるんですよ。お菓子ばっかりじゃなくて肉や野菜もバランスよく……」
「わかりました。わかりましたから」
やっぱりお母さんみたいだ。
とにかく、エイベルの絶対的な味方であることは間違いなさそうだ。会話をする中でアルマはロシュへの信頼を膨らませていった。
「それにしても、どうすれば食べてくださるのか……」
「私にいい考えがあります。ロシュさん、厨房をお借りしてもいいですか?」
アルマは自信満々にニヤリと笑った。
***
「はじめまして。今日はよろしくお願いします!」
「ルマ様ですね。どうぞこちらへ」
人の良さそうな料理長に迎え入れられ、ルマは厨房に立った。
単純だが確実な作戦。それは、エイベルの好物を用意することだ。
アルマはいつ何時も、パーティー会場ではエイベルばかり見ていた。おかげで食の好みくらい把握済みである。
(エイベルの好物。それはずばり、エスカルゴ!)
エイベルは夜会で毎回エスカルゴを食べていたのだ。だからこれを出しておけば間違いない。
アルマは料理長の手を借り、エスカルゴのアヒージョを作り上げた。そしてエイベルの部屋へと舞い戻った。
「エイベル様、昼食ですよー!」
エイベルは羽ペンを置いて顔を上げる。どうやら仕事中のようだった。
近頃のエイベルは異様に仕事に没頭している。なにかよからぬことを考えるよりはマシなのだろうが、寝食を忘れて机に向かい、気がついたら気を失っている。これはこれで危険だ。
エイベルに食事をしてもらうこと。これが本日のお世話係のミッションである。
「エイベル様。はいっ、どうぞ!」
アルマはテーブルに配膳をし、えっへんと胸を張る。
「じゃーん、エスカルゴのアヒージョです! 私が作りました!」
……本当は、ほとんど料理長が作ったのだが。
「さっ、食べてください」
そう言ってナイフとフォークを渡そうとしたが、エイベルは受け取ろうとはしなかった。
「……いらない」
「どうしてです? 好物でしょう?」
「何言ってるの。俺、コレ大嫌いなんだよ」
「えっ!?」
「いいからそれは持って帰って」
こうして、アルマは部屋を追い出されてしまった。
***
肩を落として部屋を訪れたアルマに、侯爵夫人はこう言い放った。
「あの子、エスカルゴ大嫌いなのよね」
「ええっ。嘘!?」
(じゃあ、パーティー会場でいつも食べてたのはどういうことなの?)
「あまり好き嫌いはない方なのに、昔からエスカルゴだけは手をつけないのよ。……あ。そういえば突然エスカルゴを食べ始めた時期があったわね」
「へ?」
「あの子が十二歳の頃だったかしら……」
十二歳の頃、エイベルは急に「今日からエスカルゴを食べる」と言い出し、毎食エスカルゴを食べるようになった。しかし、その度に吐きそうになっていた。
あまりにも辛そうなので、何故そこまでして食べるのかと尋ねたところ、エスカルゴを食べるレリュード侯爵を見たアルマが「大人っぽくて格好良い」と呟いたことが事の発端らしい。
「……あの子、アルマ嬢の前で格好付けたかったみたいなのよ」
「ええ……!?」
ということは、いつも無理をして食べていたのだろうか。あんなに平然とした顔をしておきながら。そう思うと少し可笑しい。
(エイベルにそんな可愛い一面があったなんて……)
「じゃあ、エイベル様の本当の好物は何ですか?」
「それはね……」
***
「エイベル様!」
両手に籠を抱えて部屋に飛び込んできたアルマを見て、執務机に向かっていたエイベルは顔を上げた。
「今度は何を……」
アルマはエイベルの元に元気に駆け寄る。しかし、足が絡まって前のめりになった。
「ルマ!」
エイベルは立ち上がり、すんでのところでアルマを受け止める。しかし籠はアルマの手を離れて宙を舞った。
「……あ」
籠の中から赤いものが飛び出し、次々床へ落下していく。軽くなった籠も床を跳ねる。
やがて我に返ったエイベルは床に散らばったものを一つ拾い上げた。
「……いちご?」
ちら、と腕の中の少女に目をやると、すっかり涙目になっていた。
「ああ……落としちゃった……。せっかく食べてもらおうと思ったのに……」
よほどショックだったのか、アルマはこの世の終わりみたいな顔をして項垂れる。
エイベルは手の中のいちごをしばらく見つめていたが、突然口に含んだ。
「き、汚いですよ?」
「三秒ルール。知らない?」
「でも……」
エイベルは奇跡的に籠の中に残っていたいちごをつまむと、アルマの口につっこんだ。
「美味しいよ」
そう言ってエイベルは微笑む。
口いっぱいに甘酸っぱさが広がっていく。
アルマはいちごに負けないほど真っ赤になって黙り込んだのだった。
その後、落ちたいちごを綺麗に洗って籠に戻し、二人は椅子に座って分け合った。
「んん〜!」
アルマは夢中になっていちごを口に運んだ。甘いものなら何でも大好きだが、果物の中ならいちごが一番好きだ。
まさかエイベルと好物が同じだなんて、運命なのかもしれない。そう思うとすっかり上機嫌になった。
にこにこといちごを頬張るアルマの姿を、エイベルはじっと眺めていた。
「おいしい?」
「はい。とっても!」
「……そっか」
エイベルは穏やかな表情を浮かべていたが、その顔にふっと物寂しさがよぎった。
(こんなところまでアルマに似てるんだな)
実を言うと、嫌いなものはあるがエイベルに『好物』と呼べるほどのものはない。
ただ、いちごを頬張るアルマの姿を見るのは好きだった。彼女はいちごを食べるとき、本当に幸せそうな顔をするのだ。
だから幼い自分は、その顔見たさに「いちごが食べたい」と母に伝えて、アルマが遊びに来る度に用意して貰っていた。
(多分、お母様は未だに俺の好物がいちごだと勘違いしてるんだろうな)
……本当はもう、ちょっぴりいちごに飽きているのだけど。
「エイベル様も食べてください」
「食べてるよ」
「嘘。エイベル様のために持ってきたんですからちゃんと食べなきゃダメです。ほら、あーん」
アルマはさっきのお返しのように、いちごを口元に近付けてきた。
「……」
……本当にいちごを食べてもらいたい人はいなくなってしまったけれど、もう少しくらい、いちごが好きなフリをしていてもいいか。
エイベルは少女が差し出したいちごを口に含み、咀嚼した。
今頃恥ずかしくなったのか、少女は照れたように顔を赤くしている。そんな姿が何だか愛らしくて、エイベルは小さく笑った。
「……甘いね」
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