帆村さんとの会話

 帆村さんとの面会の当日は、午前十時に駅近くの喫茶店で落ち合った。

「やあ、木崎君。久しぶり」

「一か月ぶりだね」

 ぼくたちは隅の席に腰を下ろし、コーヒーを注文した。だだっ広い国道が窓の外を通っていた。くすんだ街並みの向こうに煙突の群れが見えた。

 帆村さんは柔和な表情で話した。

「メールで送ったファイルは読んできてくれた?」

「うん。もちろん」

「どうだった?」

「まあ、面白く読んだよ。合宿の日にも思ったけれど、こんなふうにみんなで作れたら楽しそうだなって思う」

「木崎君もたまに書くんだっけ」

「たまにだけどね。高校のときとか部活で短編をいくつか書いたけど、大学生になってからは全然。バイトで忙しいし」

「書くのって、時間かかるわよね」

「帆村さんも書くんだ」

「合宿のあと、書いてみたくなって一度試してみたんだけれど、もう全然だめだったわ。一段落書くのに一時間くらいかかっちゃって」

「わかるよ。書くこと決まってても、何から書き出すか決まらないんだ。はじめてだとなおさらで」

「そう。基準がないのよね。こういう書き出しにしようって思っていても、パソコン前にしたとたんに消えちゃう。実際に書いてみても全然よくない気がするし。プロの小説家もそうなのかしら」

「プロだといちいち悩んでもいられないんじゃないの。一例だけど、一日六十枚くらいルーティンで書いてるって聞いたことあるよ」

「四百字詰め?」

「そう。原稿用紙」

「やっぱり、仕事にしてる人は違うのね。練習とかするのかしら」

「そういう話は聞かないけど。得意不得意はもちろんあるだろうね。書くこともスポーツみたいなものだから。まあ話すこともそうだけど。日ごろ話せているからって、同じように書くときも簡単に言葉が出てくるわけじゃない」

 素人のぼくが言うことではないが。


「それで、質問っていうのは?」

「あ、ごめんなさいね、関係ない話しちゃって」

「いいよ。今日は暇だし」

 帆村さんは鞄からコピー用紙の束を取り出すと、机の上に置いた。印刷された例の小説のようだった。

「質問っていうのは、この小説の続きのことなの」

「続き?」

「読んでもらったとおり、途中で終わっているわけ。この後どうなったのか、ということなのよ」

 ぼくは返答に詰まった。

「えっと、どっちの続き?」

「どっちって?」

「現実のほうか、小説のほうか。小説なら秋穂に訊いたほうがいいだろう」

「ああ、それなら、現実にどうなったのかって話よ。本人に聞いたんだけど、秋穂君は『第四話』書いてないみたいだし」

「そうなんだ。書かずにお開きになったってこと?」

「そうみたい」

「へえ。あの日のことについては、ぼくもわかってないことが多くて。詳しく訊いていいのかもわかんないじゃん。春花さんたちからも話は聞いたの?」

「まあ、いちおうね」

 帆村さんは困ったような顔をした。なんだか歯切れの悪い返事だ。

「この小説も彼らから?」

「夏樹君に頼んでデータだけでももらったの」

「ぼくらも一応参加者なんだから、ちゃんと見せてくれたらいいのに」

「完成してないからじゃない? 内容もちょっと変な感じだし」

「まあね。ぼくらは関係ないにしても、これ冬実は怒っていいよね」

 ぼくは関係者だからそれなりに面白く読んだけれど、小説として人に読ませるにはどうかという代物だ。わざわざ見せたくないという気持ちはわかる。

 帆村さんは言った。

「それでね、木崎君には、二日目の夜、館を出た後にどうなったのか訊きたいの」

「まあ、書いてあるとおり、冬実の実家に寄ったんだよ。そしたら冬実がいた。言うまでもないけど、冬実は殺されてなんかいなかったし、それ以前に、冬実のお父さんは仕事で家にいなかった」

 帆村さんも「第三話」の内容を鵜吞みにしていたわけではなかったらしく、落ち着いた表情で頷いた。

「夏樹君の推理は大外れだった、というのは聞いていたわ」

「推理なんてたいそうなもんじゃない。想像に任せて書き飛ばしてるだけだ。本気で書いたかどうかさえ、疑わしいくらいだよ。他人の親父を殺人犯にするなんて、よく冬実も許したもんだ」

「話の題材も悪かったわね。最初から全部フィクションとして書ければよかったのに」

「殺人を持ち出したのは夏樹君だよ」

「まあ、そうだけど。えっと、それで冬実さんはどうして実家にいたの?」

「下宿先から館へ戻る途中だったみたい。実家にいたのは、ちょうど夕ご飯食べに行ってたんだって」

「行き違いにならなくてよかったわね。連絡が取れなかったのは?」

「携帯の充電が切れてたんだってさ」

 タイミングの悪い話だ。おかげでぼくたちも少し心配した。夏樹君はあんな奇天烈な妄想を書く羽目になってしまった。

「冬実さんに、特に変わった様子はなかった?」

「なかった、と思うよ」

 特に注目してはいなかった。冬実の無事を確認したところで、自分の心配が杞憂だったとわかって、少し恥ずかしくなったのを憶えている。

 でも、とふと思った。

「いやでも、冬実が書置きのとおり所用で館を離れていたのなら、『第二話』に書かれていたことはどうなるんだろう」

「『第二話』って」

「最後のシーン。冬実が帰ってきたって話」

 金属バット。

 夏樹君によると、冬実による春花さん殺害シーン。

「夏樹君は春花さんが書いたんじゃないって書いてたたけど、やっぱり春花さんが書いたのかな? 話を面白くするために。書くだけなら自由なんだから」

「自由、ね」

 帆村さんは無表情につぶやくと、小説のプリントをめくった。開かれた「第二話」の問題のシーンには、帆村さんのものと思われる小さな筆跡の走り書きがあった。

 ぼくに質問をする一方で、帆村さんは何か知っているように見えた。

 気にはなったけれどぼくは話を続けた。

「すると、『第二話』の最後のシーンが春花さんの創作だとして、それが夏樹君によって現実に起きた謎として解釈されてしまった、ってことでいいのかな」

「そうなんじゃないかと思うわ」

「じゃあ、謎はやっぱり、最初の原稿の謎だけか」

 帆村さんは小説からぼくに視線を向けた。

「ちなみに、やっぱり木崎君の仕業ではないのね?」

「当日に何か仕掛けをしたわけでないのは信じてほしいね。原稿を書いたのがぼくかどうかはちょっと思い出せないけど」

「春花が書いてるみたいに、誰かからのメッセージだと思う?」

「ないだろう。帆村さんが春花さんに言ってたみたいに、アルバムにでも挟まってたんじゃないの?」

 帆村さんは顎に手を当てて考えるようなそぶりをした。

「木崎君は、冬実さんとは長いつき合いなのよね」

「中学から大学まで、かな。最近は顔合わせてなかったけど」

「小学校のアルバムなら、木崎君が書いた原稿が挟まることがあるかしら。木崎君、冬実さんとは中学で知り合ったんでしょう?」

「その前から顔は合わせてたと思う。冬実の妹をとおして」

「妹さんのほうともお知り合いだったのね」

「妹のほうと先に知り合ってたんだ。小学校が一緒だった。彼女が亡くなった次の年に中学に上がって、姉が同じクラスに編入してきた」

「双子、なのよね」

「そう。同じ学年」

「妹さんとも仲がよかった?」

「もう憶えてないよ」

 見た目も同じで、性格もわりと似ていた。どちらも小説を書いていた。正直、ぼくにはあの姉妹の区別がついている気がしない。

 ぼくは何気ないふうで尋ねた。

「『第二話』の最後のシーンについてだけど、春花からは何か聞いてないの?」

「いえ、いちおう改めて質問してみたのだけど、春花、その件についてはやっぱり話したくないみたいなのよね」

「なんでなんだろう」

「わからないわ。でも、もう終わっていることなのかも。もう終わっているってわかっているから、何も話したくないのかも」

 帆村さんは何かを言いしぶるように、視線を窓の外へそらした。

 ぼくは小説の余白に書かれた帆村さんのメモを読んでみた。


・謎一 密室に現れた原稿

 本に挟まっていて偶然落ちた、木崎君が書いた、小説の冒頭(帆村)

 誰かからのメッセージ、冬実さん/芙由美さん宛、犯人と方法は不明(春花)

・謎二 冬実さんはなぜ帰ったのか

 殺害され死体を隠蔽された(夏樹君)

・謎三 「第二話」ラストシーン

 春花は書いていない、殺人と並行した冬実父による捏造(夏樹君)

 冬実さんは無事、何も起こらなかった、単なる虚構(帆村)


 話は終わっている。そもそも事件なんて起こらなかった。あの日、冬実はただ下宿先へ一度帰っただけだったし、春花は金属バットで殴られたりなどしなかったし、まして小説を捏造した殺人者なんていなかった。

 原稿はほんの偶然に冬実の部屋の机に現れた。

「第二話」は最後まで春花による創作だった。

 すべては虚構と現実の区別がつかなくなったぼくたちの空騒ぎ。

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