木崎君との会話

 庭に出た。

 木崎君がまだいるかと思ったのだ。

 庭には、名前の知らない草木がところ狭しと植えられていた。祖父が亡くなってからは長年放置しているので、ぼうぼう伸びて荒れ放題かと思ったけれど、冬で葉が落ちているものが多いせいか小綺麗に見えた。もしかしたら、たまに手入れもしているのかも。

 石畳の道を歩いた。

 山が近い。庭と山との境界には、貧相な生垣があるだけだった。それも木々の枝によって輪郭が曖昧だった。

 人影が見えた。

 木崎君だ。

 彼とは幼馴染だが、同じ小学校ではない。妹と同じ私立小の生徒だった。妹経由で知り合って、中学と高校、大学も同じになった。

 木崎君の背後には、小さけれどどっしりとした土蔵が見えた。

「寒くない?」

 声をかけた。

 木崎君はかなり驚いた様子でふり返った。

「びっくりした」

「見ればわかる」

「なんか出たのかと思った」

「そういう雰囲気の場所だよね。ずっとここで蔵見てたの?」

「ずっとってわけじゃないと思うけど。大作家の蔵ってなるとすごいんだろなって。乱歩の幻影城みたいな」

「鍵、持ってくればよかったね」

 用事もさっきできたところだったのに。

「あと、うちのおじいさんはたしかに売れたのかもしれないけれど、今ではすっかり忘れ去られてるんだから、大作家ってのは孫ながら認めかねるよ」

「おれにとっては偉大だよ。ぼくもああいうエロくてグロいのを書きたい」

「横溝正史の劣化コピーだよ」

「おまえは関心がないからそう見えるんだ。みんな違うんだよ」

 木崎君は、うちの祖父や横溝正史に限らず、昭和期のエロくてグロい、いわゆる「変格探偵小説」をこよなく愛している。伏線も説得力も乏しいのに、何がいいのかわたしにはさっぱりわからない。

「木崎君さ。わたしの机の上に変な原稿置かなかった?」

「なんのこと?」

 わたしは木崎君の眼前に証拠品を掲げた。

「これ。お昼の後、部屋に戻ったら机の上に置いてあったの」

「府本田端の『鬼神の体』だな」

「木崎君は読んでるよね、やっぱ」

「おれは何もしてないよ」

「そう」

 わたしは証拠品をしまった。

「じゃあ、犯人はどうしてこれを置いたんだと思う?」

 木崎君は土蔵に視線を戻した。

「そうだな。……昼前、おまえは第一話を書くことになった。全部自分で決めると大見得を切ったが、具体的な内容は何も考えていなかった。そこで犯人は、おまえが書き始める手助けをしようと、冒頭の文章を書いて届けてくれたんじゃないかな」

「何も考えてなかったわけじゃないよ」

 でも、木崎君の想像が正しいとしたら、わたしは犯人の思うままに動いたことになる。ちょっと不気味な話だ。

「あ……」

 ふいに思い出した。

「昔、小説が書けなくなったとき、誰かに冒頭だけ書いてもらった」

「誰にやってもらったか、憶えてる?」

「それは、憶えてないなあ。みんなでやってたんじゃないかな。そもそも独力で一作書く方が少なかったと思うし」

 というか、今回の連作形式が提案されたのも、そもそも昔からそうやって書いていたからなのかも。わたしがすっかり忘れていただけで。

 木崎君が言った。

「ま、帆村さんを除いて、幼馴染の誰かが書いたことは間違いないわけだ」

「その中には木崎君も入ってるからね」

「やっぱ疑ってるな」

「まあ、木崎君がやったんだとしても、もうどうでもいいんだけど」

 わたしは木崎君に、先ほど春花たちと決めた連作の方針を説明した。

「……だから、こんなちゃちな感じで謎が解決しちゃダメなんだよ。だいたい、木崎君の想像どおりなら、探偵に推理させるために証拠が残されたことになる」

「犯人も、まさか探偵が推理を始めるとは思ってなかっただろうよ。探偵のほうが事件を作るってパターンだ」

「まあ、そうなんだけど。とにかくみんなの推理のためにも、この原稿には、もっと複雑な動機がなくちゃいけない」

 わたしは原稿の入ったポケットを叩いた。

「また面倒臭いことを考えたな」

 木崎君は夏樹と同じ反応を示した。

「あのね木崎君。ミステリーは構造が命なんだよ」

「だからって複雑にすればいいってもんでもないだろう。構造はあくまで骨で、命はやっぱり内容にあるんだ」

「変格好きな人がそれ言うの?」

「ばかにし過ぎ」

 その後、木崎君と土蔵の鍵を取りに戻った。

 父からわたしに預けられていた鍵は、自室の机の引き出しに仕舞いっぱなしだった。

 そして「鬼神の体」を探しに、また土蔵へ引き返した。

 土蔵内部には天井近くまで本が詰まっていた。写真で見る乱歩の幻影城や京極夏彦の書斎には遠く及ばないけれど、実際に目の前にすると小規模なものでも迫力があった。

 大部分が日本で出版されたミステリーと犯罪に関する専門書であり、江戸時代から明治時代にかけての戯作本、あと歌集や短歌雑誌も少し混ざっていた。洋書などは見当たらなかった。乱歩や横溝と違って祖父には英語が読めなかったらしい。

 わたしが目当ての本を探している間、木崎君は目を輝かせて狭い通路を行ったり来たりしていた。

 父の本はなかなか見つからなかったが、諦めて帰ろうとしたところ、入り口付近の足もとに平積みされているのを発見した。『鬼神の体』とタイトルのついた短編集の中に、問題の小説はあった。

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