謎の提示

 午後三時過ぎに自室に戻った。

 それから夕食まで執筆にかかった。

 夕食は春花、夏樹、帆村さんたちが作ってくれていた。わたしと木崎君が話している間、三人はスーパーまで買い出しに行っていた。秋穂は部屋で、今回の連作とはまた別の作品を執筆していたらしい。

 夕食時、帆村さんにも連作の方針を説明した。昼過ぎにした帆村さんとの会話を、一部小説内に記載することも許してもらった。

「冬実さん」

 帆村さんはふいに尋ねた。

「今日この家に来てからの、冬実さんの部屋での行動が聞きたいんだけど。例の原稿を発見するまで、冬実さんが部屋で何してたかとか」

「特に何もしてなかったと思うけど。今朝から荷物運んで、机の上にノートパソコンとか本とか置いて、みんなを迎えに行って……」

「それから、リビングでお昼まで話したわね」

「そう。それで部屋に戻って、何書こうかって考えてた。本も読んだかな」

「持ってきた本っていうのは?」

「今読んでるクリスティの文庫本とか、小学校のときのアルバムとか。あと乱歩の『続・幻影城』も。光文社文庫版の全集で、『類別トリック集成』が入ってるやつ」

「全部、冬実さんの家から持ってきたのね」

「そうだよ」

 向かいに座る秋穂が言った。

「冬実。昔から持ってたよね、乱歩の全集」

「父さんが早い時期にくれたからね」

 読んだのは割と最近だったけれど。「類別トリック集成」だけは、手早く推理小説の知識を手に入れられる気がして、よく持ち歩いていた。

「昔から、ね」

 帆村さんはつぶやくと、それ以上質問してはこなかった。


 入浴を済ませて再び机に向かった。

 夏樹や木崎君曰く面倒な課題を作ってしまったのだから、気合いを入れて出題編を書かなければならない。

 改めて、この小説はミステリーである。犯罪は起きていないけれど、乱歩の定義では「主として」とあるし、ここ数十年は「日常の謎」ジャンルなどもあるので、例の原稿が「秘密」ということで問題ないだろう。

 わたしが例の原稿を見つけるまでの過程については、再三述べたとおりだ。

 内容は小説の引用。四百字詰め原稿用紙に書き込まれている。意図は不明。たぶん、わたしが昼食に出た間に届けられれた。わたしがいない間、部屋は施錠されていた。

 この秘密を論理的に、徐々に解いていかなければならない。

 書いたと思われるのは、春花、夏樹、秋穂、あと木崎君の幼馴染四人。午前の議論の後、冬実は一番に自室に戻ったが、皆も同様だったと思われる。そして春花と帆村さん、夏樹と秋穂と木崎君で昼食へ出かけた。

 まあ、犯人は限られている。わからないのは方法と動機だ。わたしに宛てたものか。小説として引用されただけなのか。こんなものを冬実に届けて、どうしてほしいのか。

 むろん当のわたしにも思いつかない。

 まあ、たぶん犯人は木崎君なのだろうけれど。

 幼いころ、小説の冒頭部分を書いてくれた人について、木崎君の前では、誰かがと言って誤魔化した。けれど、それはわたしの話ではないのだ。

 独りで書いていたのは、わたしではなく、だった。そして木崎君は、妹のために冒頭部分を書いてあげていた。

 そんな事実が過去にあったからといって、今回も木崎君が書いた証拠にならない。もちろんそうだ。けれど、わたしは木崎君が書いたと確信している。このことは、わたしが納得していればいいことだ。皆に向かって証明しようなんて思わない。

 わたしの役割は出題編を書くことだ。そして皆には、現実とは別の解決を書いてもらうことになっている。そこで木崎君が犯人となるにしても。


 ベッドに寝転がって「鬼神の体」を読み返した。夕食後、春花と夏樹、帆村さんが回し読みした後、わたしの手もとに戻ってきていた。

 主人公は身体を鬼に奪われる。途方に暮れる主人公の前に探偵が現れ、自身の姉の死体を使って本当の体を探すよう主人公に促す。主人公は死体に憑依する。しかし死体には生前の記憶が残っており、主人公は自身の本当の名前も、憑依した目的も忘れてしまう。そして探偵の姉として数年を幸福に過ごす。

 ある日、再び探偵が現れ、主人公の本来の目的を改めて伝える。記憶にない主人公は自分のこととして受け入れられないまま、それでも探偵の指示に従って本当の身体を探す。しかし見つからない。

 挙句、主人公は探偵の親族や近隣の村人にも憑依する。それでも見つからず、紆余曲折の末、姉の身体に戻ってくる。もう一生もとの身体には戻れないのだと諦めたそのとき、探偵は、自らが主人公の身体を奪った鬼であり、探偵の身体こそが主人公の本当の身体であることを告白する。そこで話が終わる。

 いわゆる本格ミステリー的な、精緻に配置された伏線などはまったくない。記憶にあったとおりホラーに近い印象だ。帆村さんの言ったとおり、文体は簡素で、怖がらせるような書き方はしていないけれど。

 幼いころ読んだ記憶が蘇った。当時はあまり快い印象を持たなかった。というか、かなり怖がっていたと思う。トラウマだったのだ。しばらくは自分が自分のままではいけない気がしていた。自分の後ろに、忘れてしまった本当の自分が、終始くっついているような錯覚すらしていた。

 わたしの身体はわたしのものではない。いや、わたしには別の誰かが宿っている、という感じもする。その人の魂が、ふとした機会にわたしの身体を奪う。記憶は連続しているのに、同一性が保たれているという実感がない。

 件の原稿に改めて視線を向けた。

 あなたとは誰だろう。わたしだとして、それは身体か魂か。

 宿

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