「第二話」 海戸春花

置手紙

 冬実が残した「第一話」を読み終え、わたしは深く息を吐いた。

 部屋の時計を見上げると、午前十時を少し過ぎたところだった。八時の朝食後、部屋に戻って読み始めて一時間弱。それほど読むのに時間のかかる文章ではないけれど、途中途中で考えているうちに、気づいたらこの時間になっていた。

 再度ノートパソコンの画面に視線を向けた。

「これを、どうしろと」

 つぶやくも答えは出ない。返っても来ない。

 答える相手はいなくなってしまったのだ。

「第一話」を添付した冬実からのメールを確認したのは、朝起きてすぐだから、午前七時くらいのことだ。メールは昨夜九時過ぎに受信したものだった。わくわくしながら開封すると、作品とは別に驚きの文章が記されていた。


 大変申しわけないのですが、下宿先で問題が発生したため一度帰ります。ですが気にしないで合宿を続けてください。

 家のものは自由に使ってくれて構いません。部屋の鍵は、わたしが使っていた部屋の机にしまってあります。

 夏樹にも連絡済みです。彼はこの家のことをある程度知っているので、わからないことがあったら訊いてください。

 連作の続きを楽しみにしています。


 冬実は家にいなかった。本当に出ていったようだった。

「楽しみにしています、ってねえ」

 別に冬実が主宰だったわけではないし、むしろ場所を提供してもらっているので感謝しなければならない。夏樹が冬実の従兄弟で、この家には昔から何度か来たことがあって勝手を知っているそうで、合宿を続けるのに問題はない。「第一話」もきちんと書きあがっていて冬実は自身の担当を果たしたことになる。

 だけど、なんだかなあ、と思う。

 結局のところ人に会いに来たのであって、まあ、この館に泊まりたかったというのもあるけれど、作品を作ることは、どうでもよかったというと言い過ぎだけれど、ちゃんと作らなくても、完成なんかしなくてもよかったのだ。少なくともわたし個人としては。

 この家に到着してすぐ、みんなで何を書くかについて話し合った。あのときだって、主に夏樹がやたら設定を細かくしたり、キャラクターに無意味に重い過去を背負わせようとしたりと、とても物語の収拾がつくような提案ではなかったけれど、その、遠足前に荷物を確認するような作業自体が楽しかったのだし、冬実も怒らなくてよかったと思う。

 あげくミステリーになんてしなくても。

 もちろん、ミステリーが嫌いなわけではない。冬実にも話したが、大学に入ってからこっち、第一次大戦後の、いわゆる黄金期の英米ミステリーを中心に読んできた。理由は何より書きたいと思ったからだ。そして実際に構想を練っている間はとても楽しかった。

 しかし、書き始めてみるとまったく構成どおり進まない。

 キャラクターの時刻表や舞台となる建物の間取りまでもきちんと決めた。もう完璧な物理空間を神のごとく考え抜いたので、これで説得力のあるトリックを開示できるだろう、などとほくそ笑んだりしていた。

 けれど文章を連ねていくうち、構成段階では考えていなかった細部を描写する必要が出てきた。その後の展開を考慮しつつ、説得力を持たせうる描写を思いつくままに書き加えていく。すると今度は書き加えられた単語や文章が、構成段階とは違った展開を呼び込んでしまう。しかしトリックを予定どおり使うとすると、物語内の物理的な辻褄が合わなくなっていく。しまいには臨場感たっぷりに書こうと思っていたトリックの解説シーンが、無味乾燥で邪魔なだけのものになってしまう。

 思うに、その別の展開とは、構成時には考えていなかったテーマに導かれているのだ。書く前のわたしと書いているときのわたしとでは、どうしようもなく別のことに気を取られている。かつて考えた空間と、書くことで考えているテーマとで分裂していく。あるいは、それらは意識と無意識に相当するのかもしれない。

 これは構成が足りないから起こる問題ではないと思う。内容と構造をあらかじめ論理的に決めたところで、文体の一文一文はそのとき書くしかない。論理的に最適な一文など考え尽くす時間はないのだから、ほとんどランダムに選んでいく。その選択が次の一文を予期せぬものにして、連鎖して作品全体を構成したものから大きく変えてしまう。プロの作家なら、そうならないくらいもっと緻密に構成するのかもだけど。

 ミステリーの評論などで、犯人は作者、被害者は作品、探偵は読者によくなぞらえられる。犯人を神、被害者を世界、探偵を人間としてもいいだろうけれど、犯人=神は巧緻な殺人計画など作れないのだ。

 だから、「第一話」の冒頭に書いてあった冬実の気持ちは痛いほどわかる。無理に書いても、あらすじを引き延ばしたようなのにしかならない。

 そんなものを四人で書いてどうなる。

 もちろんミステリー以外も全体の構成力を要求されるのだろうけれど、作品内の物理的な整合性が破綻して、ミステリーほどお粗末になるものはないと思う。トリックがしっかりキマっていないと、中盤のサスペンスにいくら迫力があっても、こけおどしにしか見えなくなる。

 もっと気楽に書けるものでよかったじゃないかと。

 しかし若輩のわたしの考えだ。夏樹なら破綻していても読ませて感動させるものを書くのかもしれないし、秋穂なら途中展開を変更しようが他人の続きだろうがさらりと辻褄を合わせられるのかもしれない。

 まあ問題は冬実が帰ってしまったことだ。

 数年ぶりに会う幼馴染なのだ。挨拶もせずに帰るなんてあまりにひどい。昨夜の九時ならばまだ起きていたのに。

 わたしは遺憾のほどを先のメールに返信した。返事はまだない。

 冬実は、なんというか、変な人だ。木崎君を除くわたしたち幼馴染四人とも押しなべてどこか変なのだけれど、冬実は特別変だと断言できる。何より彼女が決めた連作の方針が変だ。

 密室だったはずの冬実の部屋に現れた原稿用紙。

 その謎を面白く解決する。

 冬実自身さらっと書いているので、犯人?は木崎君なのだろう。しかし現実の真相よりも面白い解決としなくてはならない。木崎君でない犯人をつくり出してもいい。実はわたしが犯人だったんだ、なんて言い出しても構わないだろう。要は、論理的に、徐々に謎が解けていく過程を面白く書け、ということだ。

 なんだってこんなこと思いつくのか。

 やる気がないわけではない。さっきから冬実への愚痴ばかり書いている気がしてきたけれど、しっかり「第二話」を書くつもりだ。わたしは冬実のように簡潔な文章ですぐ書けたりしない。書きながら考えているのだ。あまり時間はないけれど。

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