現場の見分
冬実の使っていた部屋へ向かった。
荷物はすでに片づけられているので、当日の「現場」そのままではないが、例の原稿だけは引き出しの中に残されているらしい。
廊下をゆっくりと歩いた。
幼いころから憧れだった「幽静館」。お人形のおうち、王子様の住むお城、魔術師の工房などなど、遠くから眺めるたびに物語の舞台として想像した。夏樹に対しては否定したけれど、ミステリーに出てくる殺人現場のようだとも思っていた。とにかく現実から遠く離れた場所。
多少目の肥えた今から見ると、やっぱりディティールが少ないというか、ちゃちな感じは否めない。上野や神戸の洋館などとは比べるべくもない。昔思ったとおり、お人形が住むおもちゃの家みたいではある。内装も簡素だ。
部屋には先客がいた。帆村だった。
帆村は机のそばに立って原稿を眺めていた。
「おはよう」と先に帆村が言った。
「おはよう。帆村もそれ、気になるの?」
「そうね。面白い状況だから、何か考えてみたくもなるわ」
「だよね」
暖房をつけた。わたしがベッドに腰を下ろすと、帆村も椅子にかけた。
帆村は率直に知的な人だ。いつも冷静で、速やかに判断する。教養もある。かといってお高くとまったところがない。
今だって、すでに謎を解いてしまっているのではと思う。余談だけれど「帆村」というと、海野十三の作品に登場する探偵として帆村壮六がいる。いうだけ野暮だがシャーロック・ホームズにちなんだ名前だ。完全にホームズが彼女で、ワトソン役がわたしだし、実際それが似合っていると思う。
わたしは尋ねた。
「それさ。どう思う? 誰が書いたか、とか」
「わからないわ。内容の意図もわからない。どうやって原稿がこの部屋に来たか、くらいなら、なんとなく想像つくけど」
「え、ほんとに?」
「春花だってわかってるんでしょう? ほかの人たちも気づいてるんじゃないの。証拠はないけど」
「わたしは素直にわかんないよ。帆村はどう考えるの?」
「そうね……」
帆村は少し言いよどんだけれど、やがて続けた。
「お昼の前、冬実さんはここで本を読んでた。乱歩かクリスティか、小学校のアルバムかはわからないけど。たぶん、原稿はそのどれかの本に挟まってた。アルバムだと挟まっていても気づかないんじゃないかしら。……いいえ、アルバムと本箱との間に入っていて、アルバムを出したときに落ちた、と考えるのが自然かしらね。で、冬実さんは原稿が落ちたことに気づかないで部屋を出た。それでご飯から帰ってきてはじめて発見した」
「おお、なるほど。たしか帆村、昨日の夕食のとき、冬実が部屋で何してたか質問してたもんね。そこから考えたんだ」
「まあね。ただ、くどいようだけど、想像だから。でも、家を最後に出たのは冬実さんだし、最初に帰ってきたのも冬実さんなのは間違いない。わたしたちは確実に家から離れていて、一人が昼食の席から抜け出して忍び込むなんて難しかったと思う。部屋の鍵は冬実さんが持っていて、マスターキーはその部屋の引き出しの中。そもそも密室にする意味は全然ない。なら、すべてが偶然そうなったと考えるのが自然じゃないかしら」
「意図なんてなかった、と」
「まあ、原稿を誰が書いたのかはわからないわけだけど」
「そういえば、木崎君が犯人だって冬実が書いてたけど、本当かな」
「どういう理由で?」
「昔、書き出しを木崎君に書いてもらってたことがあるんだって。いや、書いてもらってたのは妹さんらしいんだけど」
「妹さん?」
「よくわかんない。詳しいところは冬実も説明してなかったから。でも、木崎君が書いたっていう確信はあったみたい」
ちなみに、書き出しだけ他人に書いてもらうというある種のゲームは、わたしや夏樹、秋穂もやっていたと思う。わたしは冬実の「第一話」を読むまで忘れていたけれど。
わたしはさらに尋ねた。
「なら、どういう経緯で本の間に挟まったのかな」
「それはわからないけれど、時間はあまり限定できないと思うわ。小学校のアルバムだとするなら、卒業してからってことになるんでしょうけど。冬実さんと木崎君との交友は長かったんでしょう?」
「それは、よく知らないの。わたし、木崎君とあまり会ったことなかったんだよね。わたしたちの中では、彼だけ私立小だったから」
「今回は冬実さんが誘ったの?」
「そうだよ。冬実は、中学から大学まで木崎君と一緒なの」
「そう。じゃあ、中学のときに木崎君が書いたのかもね」
「下手な字だけど、小学生が書いたって感じではないよね」
「でも中学で書いたなら、なんで小学校のアルバムに挟まるのかしら」
「それはそうだ。じゃあ、アルバムじゃなかったのかな」
わたしたちは滔々と問答を繰り返す。いずれにしろ想像の域を出ない話だ。決定的な証拠はない。しかし本に挟まっていたのが偶然現れたという点については、納得のいく話ではないだろうか。
わたしはベッドに横たわった。天井をぼんやり眺めながら言った。
「まあでも、なんか、偶然なんだって思うと、ここからさらに考えるのも萎えるよね」
「そう? まあ、衝撃の真相って感じではないけど」
「衝撃の真相を用意しなきゃなんだよね」
「それは夏樹君と秋穂君に任せてもいいんじゃないの」
「そうなんだけど。なんか負けた気がするな」
勝ち負けの問題ではないけれど。枚数に指定もない。このままこの常識的な「解決」を夏樹たちに送りつけてしまってもいい。けれどそれでは面白くない。
帆村がぽつりと言った。
「春花って、なんで小説書いてるの?」
「何さ、急に。書きたいから書いてるんだよ」
「ざっくりね。書きたいことがあるの? 書くこと自体が好き?」
「どっちなんだろう。書きたいことが書ければ楽しいわけじゃないし、かといって何かないと書けないし」
頭悪そうな回答だとわれながら思う。
こういう話を書きたいというのは、まずある。けれど持続的に書けるのは、書いてみた後に、自分がこんなこと考えてたんだという驚きがあるからだ。それは書いてみてはじめてわかることだ。考えなしに書いた描写が伏線になったりするとき、胡散臭いなあと思って書いた描写があとで読み返してみたら意外とリアリティがあったりするとき、とても楽しい。
「ごめん、うまく説明できない」
「やってみないとわからないのかしら」
「そうだよ、帆村も書いてみたら」
「そうね。帰ったら試してみようかしら」
暖房の利きが悪いのか、家が古くすぐに熱気が逃げてしまうのか、室内はまだ寒い。手足の指先がかじかんだままだ。
ふと、背中に当たる硬い感触に気づいた。
布団をめくってみると、府本田端の『鬼神の体』があった。ハードカバーで、青を基調としたどちらかというと可愛らしいイラストが表紙を飾っている。
「こんなところに」
「冬実さん。忘れていったのかしら」
寝ながら読んでいたのだろうか。「第一話」にそんな記述があった気がするが。
「帆村は読んだことあったんだよね」
「中学のころだけど。昨日改めて読んでみて、ほとんど憶えてなくてびっくりしたわ」
「わたしは昨日はじめて読んだんだよね。冬実のお父さんって、わたしたちは地元だから知ってるけど、よその人にとっては、そんな有名でもないんだよね?」
「まあね。わたしの場合は、近くで生まれた作家ってことで知って、少し読んだの。初期の作品はいくつか持ってる。例の短編も好きよ」
「わたしは」
嫌いだったな、と言おうとしてやめた。
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