迷走
帆村から指摘もあったので、そろそろ原稿の謎について真剣に考えるべきだろうか。というか、原稿の謎についての小説として「第三話」を完結させるべきか。
ただ、昨日の朝のことに限定して謎を解く。春花には何も起こらなかったし、冬実は館へ戻っていなかった。
おれに現実と虚構の区別がつかないといっても、読者にとってはすべて虚構だ。そして書いている限りおれは虚構世界の神だ。おれが書いたことがすべてであって、「第二話」の最後のシーンも、春花の見間違いとして処理できる。
なんて、やけになって暴挙に出ようとするが、さすがに思いとどまる。まじめな話、書いているおれは神かもしれないけれど、読者が読んでいるからこそ存在できるのだ。「第二話」の結末がおれたちにとって現実か虚構かなんてどうでもよくて、読者に向けて書かれてしまったからには、神はそのことを無下にできない。少なくとも読者が納得するよう、全力を挙げて辻褄を合わせるべきではないか。
まあ、読者って誰だよって話なんだが。
誰に見せるでもない。ただ趣味で書いているだけだ。
春花は書くことそのものに魅力を感じているようだが、おれは違う。イメージにあるような作品にならなければ嫌だ。目指すはちゃんとしたエンタメだ。お約束ばかりでどっかで見たことあっても、読んでいる間だけでも楽しめるようなもの。
本作はミステリーである。ミステリーは、ほとんどが謎と論理的解明の繰り返しといっていいけれど、常に楽しませる姿勢が根底にあってとても好ましい。
冬実がミステリーの構築性に惹かれたと「第一話」で書いていたけれど、素直に同意する。構築性とは説得力だ。あいつがダメなのは、結局は構築性を諦めてしまったことだ。春花みたく書けることだけ行き当たりばったりに書いていては、独りよがりになるし成長もしない。
ふと気づく。趣味で書いているといいながら、どこかで読者を想定している。おれの書く規範はいるかもわからない読者によって決められている。秋穂みたいに仕事にしたいとは思わないけれど、自分が書いたものが人に影響することを欲している。
春花が書いていたけれど、ミステリーにおける探偵、被害者、犯人はそれぞれ読者、作品、作者に比することができる。もちろんこの構造そのものを逆手に取った作品は山ほどあるが、基本的には妥当な比喩だろう。おれが言いたいのは、ミステリーには読者の視線が予め作品内部に織り込まれているということだ。
読者といえば、例の原稿に書かれた「あなた」とは読者なんじゃないかと、「第一話」の冒頭で冬実が書いていた。「第二話」では春花によって、「あなた」は冬実の妹のことにされていたわけだが、だとするとこの小説は芙由美に宛てて書かれているのだ。
おれに芙由美が憑依しているはずだったけれど、いやもちろんそんなはずはないのだけれど、芙由美がこの文章を読んでいると捉えることもできる。
芙由美は小説の外側にいる。
おれたち作者に憑いているのではなく。あるいは、おれたちキャラクターに憑いているのでもなく。
なんて、春花みたく勢いで書き散らしてしまったけれど、こっちの解釈のほうもありなんじゃないだろうか。おれたちは芙由美が納得するよう、この小説を完結させなければならない。芙由美が何を望んでいるのか、おれにはわからないけれど。
とにかく春花が冬実を見たというのは、今この段階では事実としよう。そのことは小説の行方に何かしら関係がなければならない。見間違いにするなら、見間違いそのものに意味が必要だ。
残念ながら、まだその理屈は思いつかないが。
夕食は外で食べることにした。
春花には何か買ってこようかと提案したが、一緒に行くと言った。近くのファミレスで済ませた。春花にいつもの元気はなかったけれど、会話はそこそこ弾んだ。
帰りみち。助手席に木崎、後部座席に春花と帆村が座っていた。
走行中しばらくは無言だったけれど、帆村が口を開いた。
「春花。今日の昼、本当に何もなかったの?」
沈黙。
「言いにくい? 冬実さんに関係してること?」
「なんで、冬実」
「冬実さん、館にいるんじゃないの」
春花が息をのむ音が聞こえた。木崎が後部座席をふり返った。
帆村はあくまで冷静な口調で言った。
「違う? お昼には土蔵が開いていて、中の本には乱れたところがあった。冬実さんは一晩そこに隠れていて、お昼に外に出ていたんじゃないかしら」
「帆村……」
「冬実さんが何を考えていたのかはわからないけど、それはわたしたちに隠さなければならないようなことで、あなたを落ち込ませるようなことだった。そして近くの実家にも戻れない理由もあった」
「帆村、違う。わたしは、冬実を見てない」
見てないのか。やっぱり最後のシーンは現実ではない?
おれは思わず口をはさんだ。
「じゃあ『第二話』に書いてたことは、なんでもないんだな。おまえに元気がない原因は、別に何もないって」
「それは」
「説明してくれよ。本当に何も起こってないんだな」
春花は再度口ごもった。やがて、ぽつりと言った。
「わかんないの」
「は? わかんないって」
「ごめん。もう少し、考えさせて」
ルームミラーに映る左右反転した春花は、膝の上でこぶしを握りしめて俯いていた。
館に到着するまで皆が何も言わなかった。午前までの弛緩した空気はすっかり消え、重苦しい緊張があった。けれど何が起こっているのかは、やはりわからなかった。もしかしたら思い過ごしかもと思う気持ちもまだあった。
リビングで帆村を呼び止めた。
「帆村。さっきのはどういうことだ」
「あなたは大丈夫と言ったけれど、どうも大丈夫な雰囲気ではない気がしたから」
「冬実が蔵にいたっていうのは」
「ただの想像よ。春花が否定するなりしてくれればよかったの」
「けど、実際のとこどうだろう。本当に冬実は帰ったのか?」
帆村はソファに腰を下ろした。
「昨日の晩、誰も冬実さんには会ってないのよね。メールだけ出して家に残っていたとしても、わからないかもしれない」
「なんでそんなことをする必要がある」
「わたしが知るわけないでしょう。あなたたち幼馴染のほうが、まだ想像しやすいんじゃないの?」
「それは」
思い出す。「第二話」の最後のシーン。金属バット。冬実は、春花に何か危害を加えるために残っていた? しかし春花に傷を負った様子は見られなかった。
まただ。
現実と虚構が混ざっている。何かが食い違っている。変な感じ。
言葉が出ないおれに、帆村は真剣な目つきで尋ねた。
「冬実さんと連絡は取れたの?」
「いや。電話かけてみたけど、出なかった」
「そう。何も起こってなければいいけど」
帆村はそう言って自室へ戻った。
しばらく座って考えていると、木崎が下りてきた。使い古したボストンバックを肩にかけていた。
「帰るのか?」
「うん、ごめん。ちょっと冬実の実家に寄って、いなければ家まで行ってみる」
「おれも、妙な空気になって悪かったな。また連絡するよ」
「ありがとう」
木崎は微笑んだ。
館には、おれと春花、秋穂と帆村しかいなくなった。
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