帆村さんとの会話
皆に直接訊いてみることにした。
悪戯でなければ間違いかもしれない。
原稿をもとどおり折りたたんでポケットにしまい、部屋を出た。
古い家なので廊下はひどく寒かった。窓から見える薄曇りの空と葉の落ちた木々が、体感気温を一層下げている気がした。
踊り場で人と出くわした。帆村さんだった。わたしは帆村さんを呼び止めると、ポケットから原稿を取り出して広げた。
「これ、わたしの部屋に置いてあったんだけど、帆村さん知らない?」
帆村さんは黙ったまま紙面を見つめた。
「ちなみに、帆村さんが書いたわけじゃないよね」
「わたしじゃないわ」
帆村さんは原稿に視線を落としたまま、淡泊に答えた。帆村さんとは今日が初対面である。知り合ったばかりで、こんな悪戯はしないだろう。
「これ、『鬼神の体』の探偵の台詞でしょう」
「え、そうだっけ」
われながら間の抜けた声が出た。「鬼神の体」とは、わが父である府本田端の短編小説である。田端は世間一般ではミステリー作家として知られているが、某作はホラーのようなテイストで書かれていたはずだ。
帆村さんは原稿から視線を上げて言った。
「そうだっけって、あなたのお父さんの本じゃない」
「そうなんだけど、だからこそというか、まじめに読んでないんだよね。たしか、怖い話でしょう?」
「怖がらせる書き方はしてなかったと思うけど。鬼に身体を奪われた主人公が、死体を借りて、もとの身体を探す話よ。中学のときに読んだきりだから、まったく同じ文章かはわからないけど」
「ということは、この『あなた』ってのは、作中のキャラクターを指すものなんだ」
「小説ではそうなるけど。これを書いた人は、わざわざ引用することで、あなたに何か伝えたかったんじゃないかしら。わたしにはわからないけれど、あなたたち幼馴染の間でなら伝わる暗号か何かなんじゃないの?」
帆村さんが嘘をついていない限り、幼馴染の中の誰かが書いたことになる。
小学生のころは、物語を書くことに飽きてくると、仲間内でしか通じない暗号めいた文章を書いていた憶えはある。小説の文章を引用したりはしなかったと思うが。
「わたしが忘れてるだけかな」
「忘れるでしょう、とか書いてあるし」
「そりゃ、忘れてることは、いっぱいあるだろうけど」
「昔した約束を思い出してほしい、とか」
「でも、そもそもうちの親父の小説なんて、あの子たち読んでるのかな」
府本田端が最も活躍した時期は、ちょうどわたしたちが生まれたころと重なっている。以降も固定のファンはいるようだけれど、世代を超えるほどのヒットは出していないように見える。
さっき聞いた話でしかないけれど、春花は英米のミステリーを集中的に読んでいて、夏樹はライトノベルばかりらしい。秋穂は純文学が多いそうだ。
わたしは言った。
「読んでるなら、春花か秋穂かな。まあ、ここ数年あんまり会ってなかったから、詳しくはわかんないけど」
「秋穂君も、この近くなの?」
「そうだよ」
春花、夏樹、秋穂は、わたしと同じくこの田端地区の出身である。
「わたしも含めて、大学に入学するのと一緒に、みんな実家出ちゃったけどね」
「それまでは会ったりしてたんだ」
「高校通う電車でたまに顔見るくらい」
山間にある集落なので、町へ出るために皆が同じ電車を使っていた。
「最近になってちゃんと会うのは今日で二回目。春花が声かけてくれて、秋ごろに一回ご飯食べに行った。それで意気投合したというか、小説書こうってなった」
「へえ」
「帆村さんも書くの?」
「わたしは全然。今回も見せてもらうだけだけど」
「いいよ。たしか、このあたりの史跡も見たいって言ってたよね」
「そう。地域の歴史にも興味があって」
「歴史かあ」
歴史というと、戦国武将とか新選組とかしか思い浮かんでこない。こんな田舎にも歴史があるという発想がない。ほかの町と違うものだろうか。
帆村さんは再び原稿に目を向けた。
「話がそれちゃったわね。いつ書かれたのかは、わかる?」
「わかんない。鍵はかけてたはずなんだけど」
「何書くかの話が終わった後は、みんな昼食に出たり、いったん部屋に戻ったりしてたわね。わたしは一階で春花を待ってたけど」
「帆村さんは、春花と外に食べに行ったんだよね。その前に春花、わたしのことも呼びに来てくれたんだけど、そのとき廊下でちょっと話したな」
「で、夏樹君と秋穂君と木崎君が一緒、と」
「そう。なんか、取調みたいになってきたね」
「まあ、アリバイ確認ね。いちいち確認しなくても構わないなら、いいのだけど」
「落書きには違いないけれど、悪口書かれてたわけではないからね」
ミステリーなら、脅迫状か殺害予告だったところだろうか。気にはなるけれど、書いた人を見つけ出して何か言いたいと思ってはいなかった。
それに、ちょっと思いついたこともあった。
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