現場の見分(その二)

 やっぱり冬実は戻っていないようだった。

 庭に出た。「第二話」に書かれていたあたりを歩いてみる。

 土蔵が見えてくる。扉は閉まっていた。「第二話」によると、春花が冬実を見た当時は開いていたらしい。

 石畳なので足跡なんかは残っていない。

 それ以前に、何が起きたのかさえよくわかっていないのだから、何を探せばいいのかも思いつかない。

 話の展開に繋がるような落としものでもあればいいのに。

 それは小説のか、あるいは現実の?

 虚実混ぜると書いたけれど、本当に混ざったみたいな感覚だ。春花の書いていた変な感じとはこの感覚か。

 そもそも、あのシーンそのものが現実に即しているか、わからないともいえる。春花にけがはなかった。そもそも何も起きなかったのかもしれない。

 春花が不機嫌だったのも、「第二話」のできに納得できていなくて、おれにからかわれるのを警戒していたとか。悩むことなんて誰にでも、いくらでもある。みんなと会ったのはほとんど十年ぶりだ。十年あれば性格も変わる。知らない人も同然だ。冬実が急に帰ったって、秋穂がずっと何か書いていたって、おれの知らない文脈がたくさんある。探偵みたく、いちいち首を突っ込んでいられない。

 土蔵に至った。鍵は持ってきていた。

 入るのはたぶん二度目だ。

 館には、小学生に入学するよりも前に一度だけ、遊びに来たことがある。冬実の祖父は、幼いころのおれにとっては怪人二十面相か吸血鬼ドラキュラみたいなもので、そのアジトに来たような気分だった。今見ると張りぼてみたいな家だけれど、当時は物語の中のお城のように見えた。とにかく怯えて終始帰りたがっていた。蔵の中に入るに至ってとうとう泣き出して、そのまま母に連れて帰ってもらった。

 扉を開けた。

 今でも少し緊張する。鼓動が早い。

 記憶の中にあった、蔵の中の悪夢のような様相が、現実の光景と重なって書き換えられていく。埃臭さや気温や湿度が、何かのイメージを喚起するけれど、それが当時の記憶なのか、懐かしさというやつなのかはわからない。

 思っていたよりも狭かった。

 おどろおどろしい表紙の単行本や古雑誌が山とある。怖いというより、子どもっぽく感じられる。和綴じの本もある。比較的新しいものは、府本田端の著作だ。

 本棚や床の埃を調べてみたが、何かわかるほど積もっていない。

 春花が冬実に会ったとして、そのとき誰が、なぜ土蔵の扉を開けていたのだろう。

 おれと木崎と帆村は確実にこの家を離れていた。なら秋穂か、いたのなら冬実が開けていたことになる。

 蔵の中で何かしていた?

 本棚に収められた本の背表紙を目で追っていく。基本はあいうえお順で整理されているが、収納できず床に積まれたまま放置されているものもある。

 しゃがんで床に積まれた本を見ていくと、入り口から向かって左側の突き当りに光文社刊行の江戸川乱歩全集を見つけた。順番がばらばらだった。よく確かめると、冬実の持っていた『続・幻影城』だけないのがわかる。

 周辺の本も見た。筑摩書房刊行の本居宣長全集。あと国書刊行会の世界探偵小説全集の第一期から四期。これらも順番がばらばらで、蔵の中の執拗な秩序を乱している。並べなおすと、世界探偵小説全集第一巻の表紙の角が曲がっているのを見つける。A・W・メースンの『薔薇荘にて』。以降の巻にも表紙に細かな傷がある。本居宣長全集もいくつか本箱が凹んでいる。

 一度倒したものを雑に積みなおした?

 意味ありげに見ようと思えば簡単だ。仮に事実ここで本が崩れたとして、それが今の状況に関係あるかは断定できない。昨日、冬実が府本田端の本を探したとき、誤って倒したのかもしれない。書いていないだけで。


「夏樹君」

 声にふり返ると、戸口に帆村が立っていた。その後ろには木崎が見えた。

「帆村。どうかした?」

「まだ庭を見てなかったから、散歩してたの。何かあったの? 春花、調子悪いって言って部屋から出てこないんだけど」

「何かあったか確認してるとこ。春花は、まあ、大丈夫だと思う」

「そう。ならいいけど」

 言いつつ帆村は蔵の中へ入ってきた。相変わらず表情はあまり変わらないけれど、たぶん興味津々なのだ。

「どう、帆村。何か見つかんない?」

「何かって? 面白そうなものなら、いくらでもあるじゃない」

 帆村は本棚から視線をそらさなかった。面白いのかな。木崎も目を輝かせていたらしいし、需要はあるのだろう。

「帆村って冬実の祖父さんにも興味あんの?」

「あまり読んではいないわ。けれど作家の書庫なんて、なかなか入れるものではないし」

「血とかついてない?」

「血?」

 さすがにふり返る帆村。おれは慌てて答えた。

「冗談だよ。何か証拠でも残ってないかと思ってさ」

「なんの証拠? 物騒なこと言わないでよ。もしかして、春花と関係あるんじゃないでしょうね」

「いや、春花のことは本当に心配しなくていいと思うよ。ただ、ちょっと『第二話』で気がかりなこと書いてたから」

 おれは手短に『第二話』の内容を話した。主におれと帆村と木崎が館を出てからのこと、というか、春花の妙な思いつきの羅列だが。そして庭で冬実を見たという描写。

 金属バットの話は伏せた。

 帆村は首を傾げた。

「冬実さんが帰っているとは思わなかったけれど」

「おれもさっき確認したけど、たぶん帰ってきてない。現実の描写かわかんないわけ。春花はなんも言うつもりないみたいだし」

「その証拠が欲しいのね。でも、血なんてあってもしようがないでしょう」

「それは冗談だって。けどなんか不穏な感じするじゃん。それに、なんか出てきたら小説の続きになるし」

 眉を寄せる帆村。ちょっと怒ってそう。

「目的が錯綜してない? あなたが考えるべきは原稿の謎なんじゃないの」

「でももう証拠ないし」

「でっちあげてもいいって話だったじゃない。好きに書いちゃいなさいよ。証拠なんて役に立たないってポワロもよく言ってるわ」

「ドラマは観た。スーシェのやつ」

「吹き替えがいいわよね。それはともかく、小説のほうとは別に、とりあえず冬実さんにもちゃんと連絡しておくことね」

「ごもっとも」

 帆村は本棚に視線を戻した。

 おれは外へ出て木崎に尋ねた。

「木崎さ。例の原稿のこと、思い当たることないんだよね」

「ああ、あれね。やっぱり疑われてるよね」

「冬実はおまえが書いたって確信してたみたいだな」

「悪いけど、憶えてないんだ。何度も思い出そうとしてみたんだけど、当時はたくさん書いたし」

「書いてないとは言えないってところか」

「まあ、そうかも」

「府本田端のことは好きだったの?」

「うん。もう憶えてないのも多いけど、小さいころから読んでた」

「わかった。ありがとう」

 進展なし。

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