「推理」
皆と別れて部屋に戻った。
もちろん「第二話」を仕上げるためだ。
後の二人のことを考えると、昼過ぎまでに書き上げたほうがいい。ただ、あと一日半で夏樹と秋穂に話を終わらせることができるのかは疑問だ。もともと予定のない合宿だったのだから、完成しなくても誰も文句は言わないかもしれないけれど。
夏樹と帆村と木崎君は、夏樹の車で近所の観光に行って、そのまま昼食を食べてくるらしい。わたしと秋穂が留守番。わたしには昨日スーパーで買っておいたカップ麺があるけれど、秋穂はどうするのだろう。
さておき。
一度整理してみよう。考えるべき謎は、密室に現れた原稿用紙。誰が、なぜ書いたか。そしてどうやって届いたか、だ。
帆村によって納得のいく解答は得られたわけだけれど、夏樹たちに繋げるにあたって違う視点を残しておけないだろうか。
夏樹の意見は使える気がする。冬実に届いた原稿は冬実の父の小説の引用だったわけだが、その小説そのものが妹さんの死後の冬実を描いたものに見える、というのだ。
いったい似ていることがどんな意味を持つだろうか。
夏樹と木崎君が部屋へやってくる前、わたしと帆村は、例の原稿が冬実に宛てたなんらかのメッセージとして捉えることができないか、考えていた。仮に、原稿が引用していた小説が現実を反映しているなら、つまり身体を失った主人公が冬実であるなら、原稿は冬実への直接的なメッセージとして読み取ることができるのではないか。
まさに「あなた」とは、冬実のことだったのだ。
小説と現実を短絡させることは危険だ。事故直後に書かれたとはいえ、府本田端にその意図があったとする資料はないと思う。
しかし、問題の原稿のほうは府本田端が書いたものではない。
おそらくは木崎君、あるいは幼馴染の誰かが書いたものと思われる。そのいずれかが、「鬼神の体」の主人公が冬実に似ていることから発想し、冬実に宛てたメッセージとして利用したのだ。
では、そのメッセージとはなんであったか。
ここで、「第一話」の結末に記された冬実の疑問を考えることができる。
冬実に宿っているのは誰か、だ。
この答えは、彼女の妹さんだ。
自分の本当の身体を探す主人公は、妹の死に囚われた冬実の表現として読める。犯人は冬実に対し、妹さんへの執着からの解放を願ったのだ。
と、まあ。
ここまで書いてみて、われながら苦しいと思えてきた。
小説が現実と似ていることを証拠として犯人の動機を考えてきたわけだが、やはり不確か過ぎる。意図的にあの原稿を密室内に置くことができるか、それができる犯人は誰かという物理的な条件をクリアにしなくてはならない。わかりきった話だけれど。
一方でふと思うけれど、現実の事件はいざ知らず、ミステリーにおいて「似ている」ということは重要なテーマとなる。ダイイングメッセージも見立て殺人も、それが何を意味しているかを考えることが事件解決に繋がる。
似ていることそのものの根拠を与えるには、メッセージが提示されている文脈、つまり事件そのものを明確にしなくてはならない。関係者のアリバイや物的証拠が、その輪郭を立ち上げていく。
ミステリーの評論でいう「後期クイーン的問題」とはこのことだろう。この言葉は、人工知能研究などでいうところのフレーム問題に相当するらしいのだが、フレームは現実との関係で決まる一方、すべてが虚構であるミステリー作品内部では、作品外部の作者が事件のかたちを決めることになる。作品内部だけで、論理そのものの正しさを証明することはできない。てことで、あってるかな。
そもそもこうした問題が浮上したのは、ミステリーの中でも「本格」と呼ばれる作品群が、作者と読者の謎解きゲームとして発展してきたからだ。謎は、作品内部で提示される伏線のみで解くことができなければならない。作者に対しては、作品内部における恣意を配したフェアプレイの精神が要求される。後期クイーン的問題は、少なくともその不可能性を示すものだった。はずだ。
似ている、ということを証拠として扱うことへの馬鹿馬鹿しさは、読者に対するアンフェア感にも由来するのだろう。しかしフェアプレイな本格がそもそも不可能なら、その感覚はいったん無視してしまっても構わないのではないか。
ミステリーは、古くは探偵小説と呼ばれ、論理を重視した本格に対して猟奇性や変態性欲を過剰に扱う「変格」と呼ばれる作品群も含んでいた。探偵小説の純文学化を唱えた作家の木々高太郎によって「推理小説」という呼称が提示されたときには、本格のみをそう呼ぶ機運があったそうだけれど、結局は探偵小説の同義語となった。現在慣れ親しんでいるミステリーという呼称も、ホラーのようなものを含む大雑把な使い方がされる。
わたしとしては、謎と論理的解明という構造さえ持っていればミステリーとしていいのではないかと思う。論理的とは、前後の言葉の関係が連続している、きちんと筋道を立てて考えられている、という程度のことだ。冬実も乱歩の定義を引いていたけれど、謎が論理的に徐々に解かれていく過程をどのように描いているかが重要なのであって、論理の「正しさ」は問題ではない。読みながら論理を追っていく面白さがあればいいのだ。
木々高太郎は、推理小説の例として森鴎外の「かのように」を挙げてさえいる。殺人もトリックも探偵も歴史的に紐づいてきたガジェットでしかない。トリックよりロジック、というのは作家の都築道夫の提案だった。
わたしは、この「第二話」でできる限り論理的に考えようとしてみる。それが正しいかは夏樹と秋穂が書く今後の内容によって決まる。考えが足りていなくても、あとで間違っていたとわかったとしても。そのこと自体が意味を持てばいい。
では続けよう。
さて犯人は誰か。
冬実に原稿を届けた方法は?
と、意気込んでみたけれど、いい加減空腹なので席を立った。食べなければ思考も執筆もままならない。
午後一時を過ぎたところだった。リビングには秋穂がいた。相変わらず膝にノートパソコンを載せて何やら書いていた。大学のレポートか何かだろうか。あるいは、わたしたちの小説とは違う作品とか。
キッチンでカップ麺を作った。
時計の針がある程度過ぎるのを待ちながら、何気なく秋穂に声をかけた。
「秋穂はもうお昼ご飯食べた?」
「いや、食べてない。ちょっとね、思わぬアクシデントがあって……」
「忙しいんだ」
「正直、きつい。まあ、夏樹が書き終わるまでには終わらせるけど」
声も平淡で元気がない。
休憩、と言って秋穂はパソコンを閉じて伸びをした。キッチンまで来ると冷蔵庫から小ぶりなビニール袋を取り出した。中にはコンビニおにぎりが入っていた。
「昨日、夏樹に買ってきてもらったんだ」
わたしたちは机に座った。
食べ終わると、秋穂が尋ねた。
「小説のほうは順調?」
「まあ、書くだけは書いてるよ」
「さっき、夏樹たちが冬実の部屋に行ってたけど、春花も行ったの?」
「そう。わたしと帆村が先にいて、一緒に原稿見てた」
「何かわかった?」
「うーん。わかった気がしたんだけど」
説明するにはちょっと戸惑う。文章でなく、他人に直接話すとなると、やはり馬鹿げた妄想でしかなかったと思えてくる。いや、馬鹿げた妄想だということは正直わかりきっているのだけれど、話すとなると少し恥ずかしい。
わたしは今まで書いたことを秋穂に大雑把に語った。原稿は本に挟まっていたとする帆村の意見。夏樹の指摘から考えた犯人の動機等々。
秋穂は微笑を浮かべて言った。
「なるほど。つまり、あの原稿を偶然ではなく必然として解釈しようってことだね」
「そう。どっちにしろ証拠はないから、とことんまで考えてみようと思って」
「ふーん。でも、似てるっていうなら、それは主人公だけかな」
「どういうこと?」
「冬実のお父さんの、あの小説の構造さ、今ぼくたちが書いてる小説に似てない? 本当の身体を探せっていうメッセージから始まって、複数の視点を繋いでいく」
「あ、たしかに」
なんか変な感じ。変な感じだけど、どういう意味があるのか、いまいちわからない。
わたしはゆっくりと言葉にしてみた。
「ということは、冬実に宿っていた誰かが、今はわたしに宿っているわけだ」
「そう考えられるね」
でも、とふと思った。
「そうだとすると、『鬼神の体』の場合、主人公は身体を変えたところで、記憶は引き継がれない。けれど、わたしたちの場合、記憶が引き継がれない代わり、小説が残されるって違いがある。わたしたちはその小説を繋いで、本当の身体を探していくのね」
「なんか、もうミステリーって感じじゃないね」
「あはは。そうだね」
本当の身体。
冬実の妹さん。
「あのさ、秋穂。冬実の妹さんって、なんて名前だっけ」
「え? 何、急に」
「わたし会ったことないんだよね。話には何度か聞いてたけど」
ふゆみだよ、と秋穂は言った。
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