第2話 魚の告白 その2

 歩きながら理久はまだ遠い触手に目を凝らす。

 その向こうにはまっすぐな地平線がくっきりと見えている。

 聞こえるのは自分の足音と息づかいだけで、風はないが暑くも寒くもない。

 走るのが好きではない高校生は、おおむね歩くのも好きではない。

 もうどのくらい歩いているのだろう――そんなことを考える。

 そして、気付く。

 時間の感覚がまるで欠落していることに。

 とはいえ“ただ単に歩くだけ”という今の様子は理久にとって“この意味不明な状況”について問い質すいい機会ではある。

 黙々と歩き続けるだけの苦痛から逃避する意味でも。

 そんなことを思いながら改めて声を掛ける。

「あのさあ」

 華穂は目線をはるか前方の触手から理久へと移す。

「なあに?」

「いろいろ訊きたいんだけど……いいかな」

 しかし、華穂は――。

「ん~。あたしもあんまり詳しいことわかってないていうか……。冰雨さんが来てて、“リストバンドそれ”渡されたってことはあとで冰雨さんの方から話があると思うよ」

「冰雨さんって……学校で銃撃ったポニテの人?」

 発砲シーンを思い出して思わず渋い表情になった理久だが、華穂は無邪気な笑顔で答える。

「うん。あのきれいな人」

 その笑顔から、逆に理久は“想像以上にめんどくさいことに巻き込まれているらしい”と気付く。

 “学校で発砲があったこと”をなんとも思ってない――それどころか笑って話す華穂の表情が、理久の今いる状況が“常識の通用しないもの”であることを告げているのだから。

 ならばここで歩きながら問い質すよりも、ちゃんとした説明を受けた方がいいに決まっている。

「わかった。じゃあ、あとで冰雨さんに教えてもらうよ」

 無意識に険しい表情になっている理久に、華穂は面目ないと苦笑いで答える。

「うん、そうして。ごめんね」

「……」

 会話が途切れた。

 そもそも理久自身、あまり話ができる方ではない。

 昼休みの教室ですら人と話すこともなく、ひとり惰眠を貪っているようなタイプなのである。

 一方、黙々と歩く理久に居所の悪さを感じたのか、あるいは単に静かにできない性分なのか今度は華穂が声を掛ける。

「えーとえーと。あ、そうだ。妹さんのこと聞かせてよ」

 思わぬリクエストに理久はうなる。

「妹のことか、う~ん」

「ダメ?」

「いや、いいよ」

 歩き続けることの苦痛から気を紛らわせることができるのならプライベートな話題すらも歓迎するよ――そんな気分だった。

 とはいえ、なにから話していいのかわからない。

 あまり妹の話はしたくないということもある。

 しかし、華穂はそんな理久の心情とは無関係にキラキラと期待に満ちた目を向けている。

 そのキラキラに理久は“黙ってないでなにか話さないと”と考えるものの――

「なにから話したらいいのやら……」

 ――煮え切らない言葉しか出てこない。

 そんな理久に、焦れたらしい華穂が口を開く。

「じゃあ、あたしが訊くよ」

「うん。いいよ」

「妹さんていくつ?」

「十四、中二」

 言ってから心中で付け足す。

 “本当なら”――と。

 そんな内心を知る由もない華穂が嬉しそうに返す。

「車原中央中学校?」

 理久はいきなり出た母校の名前に少し驚く。

「なぜわかった?」

「あたしが“くるちゅー”だからてきとーに言ってみただけ。正解?」

「うん、正解」

 華穂が親しげな笑顔で続ける。

「じゃあ、あたしの一コ上だから……会ってるかもしれないね、妹ちゃん。あ、一コ上だから妹“さん”だ」

 そう言ってひとりで笑う華穂だが理久は浮かない表情で返す。

「いや、でも、そりゃないな。会ってないと思う」

「どうして?」

 少しだけためらいながらも問い掛ける華穂の無垢な瞳に押されて答える。

「華穂ちゃんが一年生だったら確実に会ってないよ。妹は一年前に失踪したから」

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