第3話 ギンナン・トラップ その7

 手に取った理久が広げると、それは“指の部分がないグローブ”にネックストラップを縫い付けたものだった。

 その使途はすぐにわかった。

「試してほしいっす」

「はい」

 夜霧に促されてグローブに左手を通す。

 そして、そのグローブをストラップで首から吊す。

 華穂と小雪のいる左手が胸元で固定された。

「どうっすか?」

 理久より先に華穂と小雪が答える。

「いい感じー」

「なんか落ち着くにゃん」

 理久にすれば、これがないとちょっとした動作で華穂と小雪を振り回すことになり、うかつに歩くこともできない。

 かといって中庭でそうしてきたように、常に“左手の指先を上に意識し続ける”という姿勢は理久にとってけして楽な姿勢ではない。

 さらにあまり寝相の良くない理久が華穂や小雪の存在を気にせずに眠るためにも、これは必須のアイテムだといえた。

「ありがとうございます。助かります」

 理久が冰雨と夜霧に頭を下げた時、不意に手元から華穂が――

「理久さん、あれ、あれ」

 ――と、部屋の一画に据えられた大型の姿見鏡を指差す。

 その意を察した理久が鏡の前に立つ。

 そこに映った“首から吊られて胸元で固定された左手”に、クラスで脱臼だか骨折だかしたヤツがこんなサポーターだかギプスだかを使ってたな――などと思い出す。

 その胸元で、華穂と小雪は映し出された自分たちの姿に「おー」と感心するような声を上げる。

 そして、くるくると理久に向き合ったり背を向けたりしながら、どちらからともなくグラビアアイドルのようなポーズと表情を作り始める。

「あたしたちの可動域も問題ないにゃん」

「だねー」

 そんなふたりに、冰雨が思い出したように告げる。

「ところで、ふたりはもう変身を解いてもいいと思いますが」

「あ、そーか」

「そうだにゃん」

 ふたりもすっかり忘れていたらしい。

 理久の見ている前で笑う“親指”と“人差し指”が光を放ち、ふたりのフェアレーヌは上半身だけとはいえ“ただの女子中学生”になった。

 華穂はTシャツ、小雪はキャミソール姿である。

 が、次の瞬間――。

 悲鳴とともに華穂が自身を抱きしめる。

「ちょ、理久さんは見ないで見ないで。あっち見て、あっち」

「どうしたにゃん?」

 赤面する華穂と首を傾げる小雪に、状況を察した夜霧が笑う。

「これは冰雨が悪いっす」

 その言葉を受けて冰雨が平謝り。

「ああ、ごめんなさい。気付いてなくて」

 それでも、まだ小雪と理久だけは華穂がどうして慌てているのかわからない。

 “?”と小雪が理久を見上げる。

 理久もまた“?”と首を傾げて返す。

 そんなふたりに答えたのは冰雨。

「華穂も小雪も昨日の夜中にそれぞれのお家のベッドから境界域へ跳んで……今、なわけです」

「そうだにゃん」

 “それがなんだ?”と小雪が冰雨を見上げる。

「わかりませんか? 昨日の夜中に境界域へ跳んだってことは、つまり、その、寝間着から変身したわけで……。その変身を解除したということは寝間着に戻ったわけです」

 ようやく理解した小雪は自身のキャミソールをひっぱり見下ろす。

「あ、そーか。だから、あたしも華穂も――」

 続く言葉に理久がうろたえる。

「――ノーブラなんだにゃん」

 慌てて瞬時に熱くなった顔を大げさに逸らせる理久の左手で、同様に赤い顔を伏せている華穂に小雪が首を傾げる。

「だったら、また変身すりゃいいだけにゃん」

 華穂がはっとした表情で返す。

「あ、そうか、そうだね、そうだった」

 小雪が笑う。

「動転しすぎだにゃん」

 改めて華穂の姿が光に包まれ、Tシャツからフリルと大きなリボンで飾られたミニドレスの戦闘服バトルモードに戻った。

「もう見てもいいにゃん」

 理久に声を掛ける小雪に、すっかり平静を取り戻した華穂が促す。

「小雪ちゃんも戻った方がいいよ」

「なんでにゃん?」

 華穂の目がちらりと理久を見た。

「だって、……男の子だし」

 小雪も理久を見上げる。

「男の子? 理久のことにゃん?」

 見つめられた理久は慌てて華穂に同意する。

「うん。戻ってもらえると僕も落ち着くし、助かる」

 もっとも、同意した本心は小雪を気遣っているというより“小雪のキャミソール姿をずっと見ていたいすけべやろう”と誤解されかねないことに気付いたからなのだが。

「じゃあ、小雪も合わせるにゃん」

 結局、華穂と小雪は元の姿に戻った。

 冰雨はようやく落ち着いたふたりから改めて理久へと目を向ける。

「なにか必要なものがあればすべて用意させていただきますので」

 その言葉に理久は“引っかかっていたことを問うのは今しかない”と口を開く。

「必要なものっていうか……」

「はい?」

「いや、その……」

 やはり訊きづらいと口ごもる理久に冰雨は優しい笑顔で促す。

「なんでも言ってください。私たちには快適な生活を保証する義務がありますから」

 その言葉に理久は意を決する。

 いつまでも黙っているわけには行かない、避けて通れる問題ではない、あと一時間もしないうちにこの問題は顕在化するのだから、と。

「じゃあ言うけど……トイレとかどうすれば」

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