第3話 ギンナン・トラップ その6

 白衣の女は冰雨が――

「ああ、ごくろうさまです」

 ――と、掛けた声に手を挙げて応えながら理久の顔を覗き込む。

「私はICR技術部の千国夜霧ちくによぎりっす。碧海のお兄ちゃん? 全然似てないっすね。あはは」

 笑いながら理久の左手をとると「夜霧さーん」「夜霧ぃ」と声を掛ける華穂と小雪に顔を寄せて――泥まみれになった幼いこどもやペットを見たような――大げさな口調と表情で嘆いてみせる。

「ああああ、華穂に小雪。こんなに小さくなっちまって」

 そして、手にしたタブレットを操作して目線を理久に戻す。

「じゃ、理久くんには早速だけど調査に協力をお願いするっす」

 左手の小雪が夜霧を見る。

「なんの調査だにゃん?」

「どーして理久くんが私たちの誰も行けなかった境界域へ入れたか?――の調査っす」

 小雪のとなりで華穂も首を傾げる。

「確かに不思議だねえ」

 一方の理久は何が不思議なのかわからない。

 僕が境界域へ入ることができた理由? そんなの決まってるじゃないか――その“回答”が無意識に口を衝く。

「転送装置があったから?」

 夜霧が笑う。

「転送装置はもともと華穂を境界域へ送るために冰雨が渡したものっす。その時に理久くんも一緒に行けたのは華穂と肉体が融合しているからっす。私が知りたいのはその前、最初に華穂と出会った時のことっす」

 理久は納得する。

 昼休みの教室で昼寝していた自分はなぜ境界域へ迷い込んだのだろう。

「じゃ、いいっすか?」

「はい」

 改めて問い掛ける夜霧に理久は居住まいを正す。

 この情報供与がもしかしたら碧海を取り戻す手掛かりになるかもしれない――そう考えて少し緊張する。

「最初に境界域へ行った時の状況を教えてほしいっす」

「えーと、昼休みに昼寝してて、そこで見た夢が境界域の夢だったというか……」

「じゃあ、今朝起きてから昼休みの間までに初めて体験したことはなかったっすか? なんでもいいっすよ」

「初めて? 初めて……初めて」

 理久は頭の中をかき回す。

 しかし、出てきた答えは――。

「特にないです。朝食が茶碗蒸しバーガーだったくらいで……」

 思わぬワードに夜霧が食いつく。

「茶碗蒸しバーガー? なんすか、その謎バーガーは」

「学校の売店にパンとか弁当を卸してる美奈子食堂の若女将が野心家で独自開発した新商品をぶっ込んでくるんです。いつものチーズバーガーが売り切れてて、それしか残ってなかったので……」

美味うまいんすか?」

「あんまり……。でも、ギンナン? 緑色の。あれはおいしかった。生まれて初めて食べたけど」

 夜霧の目の色が変わった。

「生まれて初めてっすか」

 理久が”それがなにか?”と答える。

「家では誰も食べないんで」

 不意に夜霧が考え込む。

「ううむ、なるほど。初めてっすか。なるほど」

 しばらくぶつぶつとつぶやいて冰雨を見る。

「それで決まりっすわ」

「わかったんですか?」

 問い返す冰雨に頷く。

「ギンナンに含まれるメトキシピリドキシンの影響と思うっす」

 華穂と小雪が顔を見合わせる。

「知ってる?」

「知らないにゃん」

 そんなふたりに夜霧はタブレットを操作しながら素っ気なくぼそり。

「まあ一種の毒っすね」

 理久が慌てる。

「毒? 僕が食べたのが?」

 うろたえる理久に夜霧が――

「あー、気にしなくていいっす」

 ――と、タブレットに目を落としたまま手を振る。

「家で出たことがないってことはご両親も食べてないってことっす。さらにその前の代も、その前の代も……ずううううっと前の代からも食べてない可能性が高いっす。家庭の食習慣てのはそんなもんす。その場合、理久くんの一族は遺伝子レベルでギンナンに含まれてるメトキシピリドキシンに対する耐性が獲得できてない可能性が高いっす」

「獲得できてないとどーなるにゃん?」

「大丈夫なの?」

 理久の訊きたいことを代行する小雪と華穂に、夜霧がタブレットから顔を上げる。

「別に食べたところで毒性なんてたかが知れてるっす。ただ、耐性のない理久くんが茶碗蒸しバーガーのギンナンを経てメトキシピリドキシンを取り込んだことで、過剰反応した身体が睡眠中の意識を境界域へ飛ばした可能性が考えられるっす」

 冰雨がつぶやく。

「なるほど。だから肉体ごとではなく意識だけが境界域へ到達できたということですね」

 その言葉に違和感を抱いた理久がひとりごちる。

「意識だけ?」

 反応したのは華穂。

「あ、そーか。理久さんにはわからないんだ」

「なにが?」

「最初にあたしと会った時と索漠を追いかけていった時の違いなんだけど……。最初は意識だけが境界域に行ってて二回目は肉体ごと行ってたの。わかってなかったでしょ?」

「ちっとも気が付かなかった」

 自身に関する思わぬ事実を告げられて驚く理久だが、冷静に考えてみればそれもそうだと思う。

 昼寝中に境界域で華穂と出会った時、理久の身体は昼休みの教室で眠っていたのだから。

 そんなことを考える理久の正面で夜霧がため息をつく。

「とにかく謎は解けたっす。フェアレーヌ以外の人間――理久くんが境界域へ入れたのは一回目がメトキシピリドキシンに対する耐性の欠如、二回目はフェアレーヌの華穂と一体化してたことで転送機の作用範疇にあったから。つまりは“特異体質だったから”という“ありがち”かつ“再現不能”な結論で」

 そして、華穂と小雪を見る。

「なので増援部隊の派遣は実現できないっす。……ごめん」

 そう言って肩を落とす夜霧に小雪と華穂が答える。

「それは別に気にしなくていいにゃん」

「そーだよ。あたしたちで大丈夫だしっ」

「そう言ってもらえると助かるっす」

 そして、冰雨に告げる。

「詳細な報告書はあとで送るっす」

「お願いします。ところで夜霧。あれは持ってきてくれましたか?」

「あれ? ああ、忘れてたっす。これっす」

 夜霧は白衣のポケットから覗いているものを理久へと差し出す。

「僕に?」

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