第5話 奥の手 その1

 理久が目を見開いたそこは合同庁舎の地下――すなわちICRであてがわれた個室のベッドだった。

 起き上がろうとするが妙に身体が重い気がして“無理に起き上がることもないな”と、荒い息のまま天井を眺める。

 今の状態はまさしく“悪夢から覚めた時”のそれに他ならなかった。

 そのままの姿勢でぼんやりと手元から聞こえる華穂と小雪の会話に耳を澄ませる。

「とりあえず緊急帰還してみたにゃん」

「さすが小雪ちゃんだね――」

 そんな声に無事に帰還できたことを理解してほっとする。

 しかし、その直後に華穂の声がうろたえる。

「――って……あわわわわわ」

「どーしたにゃん」

「小雪ちゃんうしろうしろ」

 華穂の声に胸騒ぎを覚えた理久は身体の重さも忘れてがばと身体を起こし、左手を見下ろす。

 そして、目を疑う。

 親指に華穂、人差し指に小雪。

 そこまでは境界域へ向かう前と同じ。

 違っているのは、そのとなりの中指に初めて見る長身でショートカットの少女が気を失っていること。

 それだけではない。

 というよりも、問題はむしろそのとなりの薬指にある。

 本来なら薬指があるはずのその位置でぐったりしているのは――宵闇!

 目の位置に表示された波形がほぼフラットであることから気を失っている状態らしい。

「どどどーして」

 戸惑う華穂に背を向けて小雪はとなりの長身ショートカット少女を揺さぶり起こす。

「颯ちゃん、颯ちゃん、起きるにゃん」

 颯と呼ばれた少女が目を覚ます。

「え……。小雪、ちゃん?」

「そうだにゃん。大丈夫かにゃん?」

「こ、ここって、えと、あの」

 おどおどと周囲を見渡そうとして気配を感じたのか、顔を上げる。

 理久と目があった。

 続けて目線を落として自身の身体に起きている異常事態を理解する。

 改めて理久を見上げた颯は言葉もなく、両手で口元を覆って目を見開く。

 その様子に“考えてみりゃこれが普通の反応だよな”と理久は思う。

 その時、颯のとなりで宵闇の顔面に表示された波形が大きく揺れた。

「ここは、どこ、だ?」

 周囲を見渡す宵闇に華穂が慌てる。

「小雪ちゃん、宵闇が起きたっ」

 しかし、小雪は騒ぐことなく――。

「慌てなくてもいいにゃん。考えようによっちゃ、宵闇こいつは人質みたいなもんだにゃん。ふっふっふっ」

 さすがはナビである。

 宵闇はそんな小雪とうろたえる華穂、そして、硬直して自分を見ている颯を見渡す。

「人質? オマエら、三人がかり、いや――」

 理久を見上げる。

「――四人がかり、でも、私の方が、強い、のに?」

 その言葉に“戦う意思”を読み取った華穂と小雪、そして、颯が身構える。

 理久はどうしていいかわからず、対峙する四人を見下ろすことしかできない。

 一方の宵闇は華穂たち三人は眼中にないとばかりに理久の胸元を指差す。

「その、持ってる、ドライバー、を、よこせ」

 華穂、小雪、颯が一斉に理久を見上げる。

 理久は一瞬、宵闇の言っている意味がわからず戸惑うが、メタリックな細い腕が指差す先に目を落として理解する。

 その胸ポケットにはペン型の精密ドライバーを挿している。

 眼鏡の調整用でいつも持ち歩いているものだった。

 とはいえ、宵闇の意図がわからない理久は言われる通りにしていいものか迷う。

 そこへ小雪が無言で頷く。

 とりあえずやらせてみよう――と告げているように。

 理久はドライバーを宵闇へ差し出しながら問い掛ける。

「これをどうするんだ」

 そして、気付く。

 改めて対面した宵闇に自分でも不思議なくらい警戒心を覚えないことに。

 少し考えて、その理由がすぐにわかった。

 境界域にいた時とは違って、今の宵闇は“理久の薬指”なのだ。

 つまり“威圧感もなにもあったものではない”姿なのである。

 そんなことを思ってさらに余裕を感じる理久の前で宵闇が無言のまま手刀を振り下ろす。

 その手が鋭利な刃物になっているかのように精密ドライバーの先端を切断した。

「なななななにしやがるっ」

 思わず怒鳴る理久だが、宵闇はなんの感情もないかのように顔面に表示される波形を落ち着かせたまま理久を見る。

「騒ぐほど、大事な、もの、か?」

「ったりまえだっ」

 切り落とされた先端を捜してベッドに這いつくばる理久に左手から声を掛けたのは小雪。

「彼女からのプレゼントとかにゃん?」

 そこへ好奇心丸出しの華穂が口を挟む。

「え、理久さんて彼女いるの?」

 そんなふたりに宵闇が声を荒らげる。

「ああ、うるさい。オマエら、うるさい」

「あったっ」

 理久が落ちているドライバーの先端に手を伸ばしながら答える。

「妹からのだよ。誕生日にもらったんだ」

 拾い上げたものの、どう見ても治りそうにない。

 シーツの上にあぐらをかいてがくりと息をつく理久の左手で、宵闇がぐるりと理久、華穂、小雪、颯を見渡す

「今、見せた通り、オマエら、ひとりずつ、瞬殺できる。それに、私の、ここ、には――」

 チューブトップで包んだ形のいい胸元バストを拳でどんと叩く。

「――自爆装置が、内蔵されている。その気になれば、この建物ごと、消し去ることが、できる」

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