第5話 奥の手 その3

「こうコロコロ短時間で環境が変わると妙な気分だな」

 クレーターの荒野で青空を背景に躍る触手を見上げてつぶやく理久を宵闇が引っ張る。

「こっち、だ。来い。触手の、そばへ」

 躍っている触手は九本。

 もう一本はさっき切断されて倒れてきたものであり、断面からは再生途中らしい小さな触手がひくひくと顔を覗かせている。

 緊張気味の颯がとなりの小雪にささやく。

「用心しないと……」

 しかし、小雪はまったく意に介してない。

「大丈夫だにゃん」

 華穂の表情もいつもどおり。

「うん、大丈夫、大丈夫。……根拠ないけどね、へへ」

 九本の触手を間近に見上げる位置で、理久を引っ張る宵闇が不意にがくんと姿勢を下げた。

 当然のように引っ張られた理久は中腰になる。

「うわ」

 思わず上げた声に華穂と小雪が振り返る。

「大丈夫?」

「びっくりするにゃん」

 そう言って笑うふたりに「ごめん」とつぶやいて、宵闇に問う。

「なんだよ、いきなり……」

 しかし、宵闇は理久には答えず小雪へ顔を向ける。

「よく、見てろ」

「へ? あたしに言ってるにゃん?」

 予想外の言葉に驚いた小雪が自身を指差す。

 宵闇はそんな小雪に頷いてみせると、触手の根元に向き直る。

 そして、唱える。

「時計、カメレオン、羅針盤、狼、とびうお、祭壇、コンパス、鳳凰、くじゃく、定規、三角、竜骨」

 なにか知らないが重大なことをしようとしている――そう直感した理久は、詠唱のジャマにならないように、左手の高さをそのままでゆっくりと腰を下ろす。

 中腰が苦手なのである。

 不意に左手の先にバスケットボールほどの球体が現れた。

 息をのむ理久の目線の先で後ろ姿の華穂、小雪、颯も緊張しているのが見て取れる。

 宵闇はそんな四人に構うことなく続ける。

「ハシブトガラス、セグロアシナガバチ、ツキヨタケ、トラフカラッパ、ヒカゲツツジ、ヒョウモンダコ、フサウミコップ」

 その一音一音に合わせて球体の表面に紋様が浮かんでは消える。

 これは……音声入力、か?――理久が心中でつぶやいた時、宵闇が触手の一本を見上げてつぶやいた。

「とりあえず、これに、しよう」

 同時に揺れていた九本の触手のうち一本が根元からちぎれとんだ。

 それはぐねぐねと空中でうねりながら、またしても理久の頭上に落ちてくる。

 華穂が叫ぶ。

「理久さんっ、こっちっ」

 そして、理久の身体をぐいと引っ張る。

 同時に――

「余計、な、こと、を、するな」

 ――宵闇が理久の身体を元の位置へと押し返す。

「――っ」

 理久は落ちてくる触手から華穂たちを庇うべく左手を下げようとする。

 しかし、理久の意思を裏切って、左手がぐいと頭上へ掲げられる――宵闇によって。

 落ちてくる触手を避けることのできない親指の華穂、人差し指の小雪、中指の颯が身をかがめる中、薬指の宵闇だけがぴんと背筋を伸ばし触手へと両手を伸ばす。

 その指先と触手が接した刹那、閃光が走った。

 まばゆさからとっさに閉じた目を開いた理久が見たものは、周囲にちらばる触手の断片。

 そして、目の前に立つ――宵闇の姿だった。

「こいつ、元の姿に……」

 呆然とつぶやく理久の耳に手元で騒ぐ華穂たちの声が聞こえる。

綺羅きらちゃんだにゃん」

「大丈夫? 綺羅ちゃん」

「綺羅ちゃん、綺羅ちゃん」

 “綺羅ちゃん”て、誰だ?

 理久はおそるおそる目線を下ろす。

 左手の先でさっきまで“宵闇だった薬指”が、さらに見知らぬ少女になっていた。

 ワンレングスのロングヘアで大人びた印象のその少女は、これまでの三人――と宵闇――が理久の一部になった時にそうであったように意識を失っている。

 その姿に理久がぽつりとつぶやく。

「四人目……」

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