第4話 合わせ鏡 その1
理久が次に境界域を訪れたのは合同庁舎に入ったその夜のことだった。
目的はもちろん先代二名を含む“捕らわれたフェアレーヌ奪還作戦”である。
冰雨の話では、奪還を急ぐ背景にイヤユメの侵攻を食い止める目的があるのは言うまでもないが、社会的な事情もあった。
同じ中学に通う五人の女生徒が同夜に深夜の寝室から失踪したという華穂たちのケースは理久の場合とは異なりICRによる擬装の余地がなかった。
当然のように華穂たちの家族は警察に駆け込み、同じ中学に通う一部の生徒はSNSでこの怪事件を拡散した。
もっとも、警察に関してはICRの存在が内密とは言え警察庁公認であることから水面下で連携を図ることができたものの、問題はメディアと動画配信者を含めた野次馬連中である。
彼らからの問い合わせに対し、警察が“回答不可”を返信することで“捜査上の理由から情報統制中であること”を匂わせて時間を稼いでいる間に全員を取り戻す必要があったのだ。
それはもちろん“一年前の件”とも無関係ではない。
碧海とソラの失踪はローカル新聞だけにとどまらず全国ネットのワイドショーまでもがこの町へ取材に訪れたが、今回の失踪者数が五名であり、さらに同じ中学から二年続けての失踪者となればその扱いは一年前を上回ることは容易に想像できる。
それゆえにICRは迅速なフェアレーヌの奪還を最優先で果たす必要があったのだ。
「そういう事情なので急かして申し訳ないんですけど……」
恐縮至極の冰雨だが理久に異論のあろうはずはない。
「いや、それはいいです。自分としても望むところなんで。ただ……」
理久にはひとつだけ要望があった。
「なんです?」
首を傾げて続きを催促する冰雨に、ストラップ付きグローブによって胸元で固定した左手のリストバンドを指差す。
「僕の呪能砲ってもうちょっと使えるようになりませんか。全っ然、通用しなかったん……」
そこで華穂が叫ぶ。
「忘れてたああああああああっ」
いきなりの絶叫にのけぞる理久ととなりで驚きフリーズする小雪をよそに冰雨が問い掛ける。
「どうしました?」
「あああ、あた、あた、あたしの、あたしの」
「落ち着くにゃん」
「あたしの呪EL銃が撃てなかったのっ、不発だったのっ。どーして? どーして?」
冰雨から目で促された夜霧が答える。
「順番に説明するっす。まず理久くんの呪能砲っすけど」
理久を見る。
「ナンバー四五との件はこっちでもモニタリングしてたっす。で、呪能砲については今の技術ではその出力が限界っす」
理久は索漠の言葉を思い出す。
“ナンバー四五の塵硬密度――すなわち、硬さは史上最高である”という言葉を。
ということは呪能砲が通用しなかったのは、呪能砲が弱かったのではなく相手が硬すぎたのかもしれない。
とはいえ、これから現れるであろうナンバー四六と四七がそれ以上の硬さである可能性が否定できないことを思えば、納得している場合でもないのだが。
そこへ、同様に絶望的な言葉を夜霧が続ける。
「華穂の件はよくわからないっす」
華穂ががくりと肩を落とす。
「えー、そんなあ」
「華穂自身の今の状態から考えて容姿やサイズだけでなく、呪EL源素の伝達系や制御系まで変質しててもおかしくないっす。撃てない原因もそのへんにあると思うっす」
「じゃあ、元に戻らないと撃てないの?」
「どうしたら元に戻れるのかと同じく、どうしたら撃てるのかは現時点ではわからないっす。今、言えることは……」
言葉を切って難しい顔で華穂と理久を見比べる。
「理久くんの呪能砲単体は無限に撃てるっすけど、威力に不安があるっす。華穂の呪EL銃は撃つことすらできないっす。そして、ふたりの同時発射による融合弾は呪能砲単体と本来の呪EL銃をはるかにしのぐ威力があるけど一度の境界域侵入で持ち込める呪EL源素では一発しか撃てないっす。これが現状のすべてっす。それで凌ぐしかないっす」
その言葉に理久は華穂と一緒に放った呪能砲が拡散し、飛来するテンタクルボールを一気に殲滅させたこと、そして、ナンバー四五のみならず索漠までも狙撃に成功したこと、さらに、慄冽と宵闇に向けては発射できなかったことを思い出す。
改めて夜霧の言葉を反芻する。
融合弾は“必殺の一撃”としての威力がある。
しかし、融合弾は一回しか撃てない。
一回しか撃てないのは確かに不安材料ではあるけれど、一撃で幹部を倒せるほどの威力があるなら十分心強い武器であることにちがいはない。
華穂も同じことを思ったのか――
「じゃあいいや、それで」
――それまでの動揺振りから一転して明るく答える。
そして、理久を見上げる。
「いいよね?」
“いいよね”もなにも夜霧の話を聞く限りではどうしようもない、とそのまま答える。
「うん。いいよ。ていうか、どうしようもないし」
そこへ小雪が。
「融合作用ってなんだにゃん?」
「あ、そっか。小雪ちゃんは見てないんだ」
華穂はそう言うと小雪に意味ありげな笑みを向ける。
「融合作用ってのはねえ、あたしと理久さんの“初めての共同作業”ってやつよ。うふふ」
「くわしく教えるにゃん教えるにゃん」
小雪が華穂に掴みかかるその様子は、理久の目には仲のいい姉妹がじゃれ合っているようにも見えた。
見ようによっては親指と人差し指の“ひとり指相撲”でもあるのだが。
そこへ冰雨が咳払いして理久を見る。
「そのストラップは外していっていいですよ」
「あ、そうか」
言われて気付く。
ストラップで左手を首から吊っているのはあくまでも日常生活で華穂たちの姿勢を保持するためのものであり、境界域での戦闘時には不要――というより、むしろジャマ――なものなのだ。
「強く引っ張れば外れるっすよ」
横から声を掛ける夜霧の言う通り、理久がぐいと引っ張ることでストラップの接続部がぷつんと外れた。
改めて冰雨が華穂と小雪に声を掛ける。
「では、もういいですか?」
華穂が小さな拳を突き上げる。
「うん、行こーっ」
そして、まだ不満げな目を向けている小雪をなだめる。
「あっちでちゃんと教えてあげるから。早く行こ」
「わかったにゃん。約束にゃん」
なんとか納得したらしい小雪が理久を見上げる。
「用意はいいにゃん?」
主導する小雪に、理久は“いつもは小雪が自分たちを転送させてくれる”という華穂の言葉を思い出す。
「うん。いいよ」
「じゃあ――」
小雪が冰雨に向かって手を振る。
「――行ってくるにゃん」
冰雨が手を振り返す。
「お願いしま――」
その声を聞き終わらないうちに理久の視界がノイズに覆われ、それが晴れた時、周囲はクレーターの荒野に変わっていた。
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