第2話 魚の告白 その3
「そーなんだ。え……失踪?」
“まあ、隠すようなことでもないか”と、最初より少し近くなった十本の触手に目を細めながら答える。
「そう、失踪。家出か事件や事故に巻き込まれたか……」
重くなった理久の口調と表情に華穂が慌てる。
「だ、大丈夫だよ。元気でいるよ、うん」
「そうだな。いてもらわないと、このまま二度と会えないんじゃ……」
思わず言葉に詰まる。
その様子に華穂が遠慮がちに突っ込む。
「もしかして……
理久が苦笑しながら答える。
「いや。でも、そうかな」
「なにがあったの?」
理久の顔を覗き込むように問い掛ける華穂の目に好奇心の輝きはない。
むしろ、輝くどころか心配そうに曇っている。
理久としては“好奇心からの問い掛け”なら答えようとは思わなかったが、その心中を気遣うような表情につい“答えてもいいか”という気分になる。
“忘れ去りたい”一方で“忘れてはならない”自身の黒歴史を。
「小学校の時に妹が虐められてたんだよ。その首謀者が妹と同じクラスの女だったんだけど、そいつには僕より
理久は一旦言葉を切って足元に転がる小石を蹴飛ばす。
語ることで思い出した不快感をぶつけるように。
「担任のところには糞親が“教師と同級生が一丸となってウチのかわいい娘を虐めるとは何事だ”と怒鳴り込んでくるわ、同級生のところには糞兄が通学路で待ち伏せして殴る蹴るのうえ土下座させるわという、そんな糞一家だった」
「……ひどいねえ」
さらに湧き上がる不快感を鎮めようと、理久はふうと息をつく。
「僕は目の前で妹が虐められてるのにその糞兄が怖くて見殺しにしてた。それも一回や二回じゃなく。関係あるのかないのか、それから僕の妹はだんだん派手になっていって……中学でギャルデビュー」
ついと顔を上げて青空を仰ぐ。
「今でも後悔してる。当時の僕はひどかったなあって。怨んでたろうなあって」
華穂が間髪入れずフォローする。
「でも、しょうがないよ。悪いのは理久さんよりそいつらだし」
理久は苦笑い。
「ただなあ。糞兄が怖かっただけじゃないんだよなあ」
「他に理由があるの?」
「うん。なんていうか、嫉妬みたいな」
「嫉妬? 妹なのに?」
理久は、目をしばたたかせて自分を見る華穂に“ここまで話したんだから、もう全部話してしまえ”とばかりに続ける。
「勉強は僕の方ができたんだけど、妹はそれ以外の全部で僕を超えてた。特に誰からも好かれてて、いわゆるクラスの人気者ポジションだった。だから、虐めてた方もそれが面白くなかったというか、みんなの人気者を否定することで自分が優位に立とうとしてたとか、そんな感情だったんだろうな。とにかく、僕はそんな妹に嫉妬してた。存在が面白くなかった。“あんなに目立ってちゃ、虐められてもしょうがない”って思ってる部分もあった。もちろん、それはまちがってると今はわかる。だからこそ、当時の自分が許せないっていうか……」
語りながら理久自身が意外だったのは、思ったよりもすらすらと言葉が出ることだった。
妹の話はあまりしたくなかったはずなのに。
それは話している場所が非現実的な世界だからかもしれない、あるいは、話している相手が“自分の親指”という非現実的な容姿だからかもしれない。
なによりも、自覚がないまま“誰かに聞いてほしい”と、ずっと思い続けていたのかもしれない。
「う~ん」
華穂がうなる。
そして、自身の両手をぱんっと合わせる。
「ごめんね。イヤなこと思い出させて」
拝むような姿勢の華穂に、理久は自分でも予想していなかった言葉で返す。
「いや、ありがとう」
「なにが?」
きょとん顔の華穂に、理久は頭の中をたどりながら自身が言った“ありがとう”の真意を紡ぐ。
「こういう話って今まで誰にも言ってなかったから。聞いてくれる人もいなかったし。親に言ったら“どうして助けてやらないんだ”って叱られるに決まってるし。そのくせ、糞親が“七尾の兄にイジワルされたとウチのかわいい娘が泣いている”とか言って怒鳴り込んできたら、事情も訊かずに僕を叱り飛ばすのがウチの親だし。……それは今は関係ないけど」
思い出しついでに脱線した話を元に戻す。
「とにかく、今、初めて華穂ちゃんに聞いてもらえたことで、ずっと心の中で腐ってたのを吐き出すことができたっていうか。なんか、気が軽くなった気がする」
一旦言葉を切って、じっと理久を見上げている華穂に目を落とし、笑ってみせる。
「悩み事を人に聞いてもらうってこんなに気分が軽くなることなんだな」
その言葉に華穂はほっとしたような表情で返す。
「妹さんは絶対帰ってくるよ」
「うん。そう言ってもらえると、そう思えるよ。再会したら絶対に謝る」
「そうだね。もし謝りづらかったらあたしも一緒に謝ってあげるよ」
「うん。ありがと」
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