彼が守りたかったもの
放課後の柔道部の道場に集まった俺たちは1人の男を待っていた。
中はそれなりに立派で清掃が行き届いているが、それでも畳の匂いに汗臭さが混じっている。
畳の感触を足の裏で感じながらただひたすら待つ。そして、柔道場の扉が勢いよく開かれた。
「吉岡!!」
鬼のような表情を浮かべたタケルが俺に詰め寄ってくる。
「なんだこのラインは!!」
突きつけられたスマホの画面には『お前が隠そうとしている秘密を他の連中にぶちまけてやるから道場に来い』と書かれていた。
「落ち着けよ、ったく。これを送ったのは俺じゃなくて、コイツだ」
そう、タケルを呼び出すために俺のスマホを勝手にいじって脅迫状紛いの文章を送りつけた人物はーー
「……お前確か、桐花?」
「はい、桐花咲です。初めまして剛力さん」
予想だにしない人物に意表をつかれたのか、タケルの怒気が一旦収まる。そして周りの状況にやっと気づいたようだ。
「部長たち……それに石田も、なんでここに?」
そう、放課後の道場に関係者が集まっている。タケルが最後の1人だった。
なぜ集まってもらったのか、そんなのは決まっている。
「さて、私の推理を聞いてもらいましょうか」
「ことの発端は今朝、柔道部の道場の窓ガラスが割れたことが始まりです。無惨に割れた窓ガラス、室内に飛び散ったガラスの破片。そして凶器となったであろう野球ボール。何か不幸な事故ではなく、何者かが明確な意思で窓ガラスを割ったことは間違いありません」
その場の注目を一身に受けながらも、桐花は自らの推理を堂々と披露した。
「誰が窓ガラスを割った
ここまでは周知の事実だ。そして皆が求めているのはこの先の真実。
「部長さん。あなた達はご存知ないかもしれないでしょうが、ここ数週間にわたって剛力さんはある嫌がらせを受けてきたんです」
「何?」
部長さんは訝しげな表情をタケルに向ける。タケルはそれから逃げるように視線を外し俯く。
「道場前に空き缶がばら撒かれたあの事件ですよ。あれは実は剛力さんに対する嫌がらせで、その矛先が柔道部に向けられていたんです。責任を感じた剛力さんは毎朝誰よりも早く道場に来ては、ばら撒かれたゴミがあれば1人で片付けていたんですよ」
「何だと!? 誰だそんなことをしたやつは!!」
憤る部長。その怒りを受けながらも桐花は冷静に言葉を紡ぐ。
「落ち着いてください。犯人はすでに私たちの手で特定して、2度と柔道部に関わらないことを誓わせています。今回の事件との直接的な関わりはありません」
「だが……! っくそ。続けてくれ」
「ありがとうございます」
怒りを抑え続きを促す。
「空き缶をばら撒いた犯人は今回の事件に関わりはありませんが、犯人が残した爪痕はそうではありません。剛力さんは自らのせいで柔道場を荒らされたという思いからスランプに陥っていた。そのことは部長さん達もご存知だと思います」
「じゃあ、何か? 剛力が窓ガラスを割ったのは、そのスランプによるストレスのせいだとでも?」
「私も最初はそう思いました。事実、剛力さんが窓ガラスを割っているところを見たという目撃証言も出ています」
ここまでくれば誰がどう考えても、タケルのストレスが爆発した結果だとしか思わないだろう。
だがーー
「ですが、ある人が言うんですよ。『アイツは絶対にそんなことするやつじゃない』って」
桐花が僅かに俺に視線を送る。
「私は剛力さんのことをよく知りません。ですがその人のことは信用してるんです。だから私も信じて考えてみました。剛力さんが窓ガラスを割ったのはなぜか? そこには必ずストレス以外の理由があるはずだと」
桐花は指を一本立てて周りに見せつけるように動かした。
「事件現場である道場を調べた時、まず一つ気になる点がありました。それは割れた窓ガラスが女子更衣室であるという点です。なぜ女子更衣室だったのか? 調べたところ道場には他にもたくさん窓がありました。男子更衣室、備品置き場、トイレ、顧問の事務室、扉にも一部ガラスが使われていました」
一つ一つ指折り数える。
「言い方は悪いですが、割る候補は他にもたくさんあったはずです。その中でなぜ女子更衣室を選んだのかが疑問でした。たまたまだった? 最初に目に入ったのが女子更衣室だった? どうもしっくりこないんですよね」
不思議そうに首を傾げる。
「皆さんご存知の通り道場内は土足厳禁。素足かまたは靴下でのみ立ち入ることが許されます。割れたガラスを踏みでもしたら大怪我間違いなしです。道場を荒らされたことでスランプになるような人が、いくらストレスが溜まっていたからといって人の出入りがある更衣室でそんな真似するでしょうか? まして女子更衣室は女性である水崎マネージャーが使っているんですよ? 他の皆さんから聞く剛力さんの人物像にどうしても合わないんです」
そうだ。アイツは間違っても女子を危険な目に合わせるやつじゃない。
「だからこう考えました。割る窓ガラスは、女子更衣室のものでなければならなかったのだと」
そう言いながら視線をタケルへと向ける。
「次に気になった点があります。それはこの凶器となった野球ボールです」
懐からボールを取り出し見せつけてくる。そしてそれをみた部長さんが眉をひそめながら指摘する。
「おいそれ……血か?」
ボールに付着した赤黒い物に部長さんはすぐに気がついた。
「ええ。現場で見つけたこのボールには血が付着していました。そしてこの血は間違いないく剛力さんのものでしょう」
タケルは咄嗟に包帯の巻かれた手を後ろに隠そうとしたが、それより早く部長さんがその手を掴み取る。
「おい剛力。なんだこの怪我は?」
「……窓ガラスを割った時に、切りました」
タケルの主張は、朝俺に言ったものを変わらなかった。
だが桐花はその言葉を即座に否定した。
「それは嘘です。目撃者の証言によれば窓ガラスの割れた音を聞いたのはたったの一度きり。投げ込まれたボールもこれ一つだけでした。なのに何故ボールに血が付着するなんて事態が起きるのですか?」
「それは……」
「いいですか? この証拠が指し示すことは一つだけ、剛力さんは
「血塗れの手で、ボールを掴んだ?」
なんだそれは、どういう状況なんだ?
「では一体剛力さんの怪我の原因は何なのか? このボールを見るに、手のひらからの出血は相当なものだったのでしょう。恐ろしく鋭利なもので切ったのは間違いありません。その鋭利なものとは? 現場に落ちているものを考えれば、自ずと答えは出ます」
「……割れた窓ガラス」
それ以外考えられない。
「いや、待て桐花。それだと前後が合わない。タケルが怪我したのはボールを投げる前なんだろう? タケルがガラスを割る前にガラスで怪我をしてたなんておかしいだろ」
「いえ、それを矛盾なく説明できる答えが一つだけあるんです」
そう言って桐花はポケットからハンカチを取り出し皆の目の前で開く。ハンカチには小さなガラスの破片が包まれていた。
「これは女子更衣室の前で拾ったものです。見てください、わずかに血がついているのがわかりますか?」
「……ああ」
「このことから剛力さんが窓ガラスで手を切ったのは確実です」
「だから、なんでそんなことにーー」
「つまりですね! 剛力さんが窓ガラスを割る前からーー」
「やめろっ!!」
桐花の言葉を遮るようにタケルが吠える。しかし桐花はタケルを無視して言葉を続ける。
「剛力さんが窓ガラスを割る前から…………すでにガラスは割られていたんです!!」
力強く言い放つ桐花の言葉に唖然とする。
「事件が起きた時の状況を整理しましょう。今日の朝早く、剛力さんが登校し職員室で鍵を借りて道場に足を運ぶと女子更衣室の窓ガラスが割られていました。そしてそれを見た剛力さんはガラスの破片を拾って割れた窓の隙間から女子更衣室内へ入れた後、落ちていたボールを投げて再度窓ガラスを割ったんです」
桐花は唖然とする俺たちを置いてけぼりにして推理を続ける。
「宮間さんが聞いたパリパリという音は拾った窓ガラスを更衣室内に落とした時の音、手の怪我は素手でガラスの破片を拾ったときに切ったものです。違いますか、剛力さん?」
「違う、違う!」
意味がわからなかった。
桐花の推理も、タケルが必死にその推理を否定する理由も。
「待てよ……訳わかんねえよ。なんでタケルがそんな、割れた窓をもう一回割り直すなんて意味不明な行動をする必要があるんだ?」
「それこそが最初の疑問、何故割った窓ガラスは女子更衣室のものだったのか。に繋がるわけです」
違う、違うと小さく呟き続けるタケルを尻目に俺に向き合う。
「剛力さんが窓ガラスを割った理由は、女子更衣室の窓ガラスが割れていたからです。男子更衣室でもなく、トイレでもなくね。それ以外の窓が割れていてもそんなことをしなかったでしょう。重要なのは割れていた窓ガラスが女子更衣室のものであったということなのです」
やはり意味がわからない。女子更衣室の窓が割れていたからといってなんだというのだ。
「そしてもう一点、重要な事項があります。それは窓ガラスの割れた側……つまり外側から割れたのか、中から割れたのか? ということです。おそらく剛力さんは、飛散したガラスの破片の量から女子更衣室の中からガラスが割れたことに気づいたはずです」
中から割れていた窓ガラス。
確かあの窓はしっかりと施錠されていたはずだ。にもかかわらず中から割れたということは……
「つまり、割ったのは柔道部の誰かってことか?」
柔道部に自由に出入りできる部員が割ったというのか?
「そうです。ですがそれだけじゃ足りない。柔道部の中でも女子更衣室に出入りできるのは誰なのか?」
それは当然女子更衣室の鍵を持っているたった1人。
「……水崎マネージャー」
柔道部唯一の女子生徒。彼女しかいない。
「だけど桐花おかしいだろ。つまりお前はタケルが水崎マネージャーを庇ってる言いたいのか? そりゃあ窓ガラスを割っちまったのは褒められたことじゃねえだろうが、全面的に自分が悪者になってまで庇うようなことか?」
窓ガラスを割ったことで学校からお叱りを受け、なんらかの処分を下される可能性はあるが。それはあくまで意図的に割った場合の話だ。
状況的に考えて事故のようなものである可能性が高い。例え水崎マネージャーが意図的に割ったのだとしても不注意で割ってしまいましたと言えばそれで済む話だ。処分は重くてもせいぜい反省文程度だろう。タケルが柔道を捨ててまで庇うようなことじゃない。
「吉岡さん。昨日柔道部の練習がいつもより早く終わったのを覚えていますか?」
「ああ。オーバーワーク気味のタケルを強制的に休ませるためだろ?」
「その通りです。実際に鍵の貸し出しの記録には昨日練習が終わった後、今日の朝剛力さんが借りるまで鍵の貸し出しはなかったと記録されています」
石田に確認させたから間違いない事実だろう。
「では一体いつ窓ガラスは割れたのでしょうか? 当然ですが女子更衣室の中から窓ガラスを割るには女子更衣室の鍵だけでなく、道場そのものに入るための鍵が必要です。まさか昨日の部活中に割れてしまったなんてことはないでしょう、誰かが気づくはずです。となると割れたのは昨日部活が終わってから今日の朝剛力さんが発見するまでの間です」
その間鍵の貸し出しはなかったことが証明されている。
「別に職員室の鍵を使わなくてもいいだろ?」
そう、鍵はもう一つあるのだ。
「部長さんが鍵を持っているはずだ。だから部長さんと一緒にーー」
そこまで言って気づいた。
桐花の推理が意図していることを。タケルが何故窓ガラスを割ろうなんて思い至ったのか。
証拠は放課後の誰もいない道場に男子と女子が2人きりでいたことを指し示している。
それはつまりーー
「……つまりタケルは、部長さんと水崎マネージャーが逢引きしてたと思ったのか?」
タケルを見る。アイツは力なくうなだれていた。
「その通りです。剛力さんは二人の逢引きを……もっと踏み込んだ言い方をすれば
秘密を暴く桐花の言葉がひどく冷淡に聞こえた。
「いやでも、いくらなんで考えが飛躍しすぎだろう? そりゃ状況は怪しいけどそれだけで不純異性交遊だとは限んねえだろ?」
「そうです。普通であれば水崎マネージャーはただ忘れ物をしただけだとか、部長さんはそれに付き合っただけだとか、窓ガラスが割れたのはただの事故である。そう考えるはずです。ですが、剛力さんはその時普通の状態ではなかった」
思い出す。何故アイツは朝早くに道場に来ていたのか? その理由を。
「そう。剛力さんは一連の嫌がらせでスランプになるほど追い込まれた状態であった。ひどくネガティブになっていたのかもしれません。朝稽古に来て窓ガラスが割れているのを見た時、さまざまなことが脳裏をよぎったでしょう。放課後の誰もいない部室で部長とマネージャーが二人きりだった。昨日部活を早く終わらせたのはそのためだったのではないか。女子更衣室で窓ガラスが割れるような行為に及んだのではないか。そして……自分が思い至ったこの考えは、他の人物も思い付いてしまうのではないか」
最悪の可能性ばかりを考えてしまったのか。
「許可なき男女交際を禁じるこの学園は、不純異性交遊にはめっぽう厳しい。それこそ停学を通り越して一発で退学の処分が出てしまう可能性があるぐらいには。もしこのことが学園側に不純異性交友だと判断されてしまったら?」
岩野部長は当然ながら柔道部の主軸で、なくてはならない存在だ。
水崎マネージャーもたった一人のマネージャーとして雑務を一身にこなし、石田に彼女がいなければ柔道部は回らないとまで言わしめた存在。
そんな2人が同時に柔道部を辞めさせられてしまう事態となったらどうなるか?
「だから剛力さんは窓ガラスを割ったんです。窓ガラスが中から割れていたことを隠すために手に傷を負ってまで」
他にやりようなんていくらでもあっただろう。なんなら全く別の人物がやったのだと思わせることもできたはずだ。
「これは剛力さんの罪滅ぼしだったんです。自分の嫌がらせに巻き込まれてしまった柔道部に対する」
アイツが守りたかったものとは。
「剛力さんが柔道部を辞めてまで守りたかったもの、それは柔道部そのものだったんです」
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