柔道部の部長とマドンナ

 もうすぐで昼休みが終わるが、桐花はすぐにでも現場を見たいと言い張った。


 おいそれと一緒に行動しているところを見られるのはまずい九条を残し、俺たちは部室練を出て石田の案内で柔道部の道場を訪れた。 


 部室練に意外と近い……というよりむしろ真横にある我が学園の柔道場は随分と立派だった。


 木で造られた和の趣がある柔道場。かなり古風な作りだが、建てられたのは結構最近のことであるらしい。


「ゴミがぶちまけられてたってのはここか?」

「はいっす。この玄関前に空き缶がいくつも。多分ゴミ袋1つや2つできかない量だったじゃないっすかね?」

「そりゃあ、えらい目にあったな」

「もうひどかったっすよ。中身が残ってたのもあったからそれが溢れてビッチョビチョでしたし。全部拾って、汚れたところをホースの水で洗い流して、片付けるまで結構かかったっす」

「なるほど」


 嫌がらせとしては充分なほどの効果を生んだようだ。柔道部の部長がブチギレたのも頷ける。


 だがーー


「なあ桐花。この件はタケルと関係あるのか? 石田も言ってたがこりゃ柔道部に対する嫌がらせだろ?」


 タケルも被害者の1人であることは間違いないが、それがタケルの異変の原因とは思えなかった。


 しかし桐花は首を横に振る。そして口を開こうとしたその時だった。



「何をしている?」



 野太い声が響く。


 俺たちは肩をびくりと振るわせながら声のした方向に振り向くと、柔道場の入り口が空いていてそこから肩幅のがっちりした男子生徒が顔を出していた。


「い、岩野部長。お疲れ様っす!!」


 こう見えて体育会系の石田が腰を90度曲げるほどの勢いで頭を下げる。


「ん? 石田か。何してるこんなところで? それに……誰だこいつら?」


 岩野と呼ばれた男はこちら……特に俺を見て訝しげな様子を見せる。


「こ、この2人はっすねーー」

「部長、どうしたの?」


 石田が弁明しようとした時、柔道場からまた別の声が響いた。


 部長の後ろからひょっこりと顔を出したのは髪の長い女子生徒だった。


「み、水崎先輩も。お疲れ様っす!」


 どうやらこの女子生徒も柔道部関係者らしい。


「……誰? この2人」


 警戒するような表情をこちらに向けられる。まあ、自分の部活のテリトリーに俺みたいなのが訪れて騒いでいたら不審に思うのも仕方がない。


「か、彼は吉岡くん。もう1人は桐花さんです! 以前お二人は自分の財布を拾って届けてくれたんす!」

「へえ……そう」


 石田なりのフォローもあってわずかながら警戒を解いてくれたようだ。じっとした目で観察される。


「……意外ね」


 ……それはどういう意味だろうか?


「あと、吉岡くんは剛力くんの中学からの友人だそうっす!」

「へえ……意外ね」


 深くは聞かないことにしよう。


「最近剛力くんの様子がおかしいことを聞いた吉岡くんが柔道部に案内して欲しいと」

「なるほど。だが、その桐花という女子生徒はなんだ?」


 きた。


 本来全く関係のない桐花がタケルのことを調べていたら疑問に思われるのは当たり前だ。上手く誤魔化さなくては最悪九条との関係がバレる。


「吉岡さんの付き添いできました」

「付き添い? 一体どういう関係だ?」

「主人と犬の関係です」

「おいこら」


 その設定まだ引きずっていたのか。


「へえ………………」

「…………いやそこは意外ねって言ってくれませんかね!?」


 変に納得されても困る。いや、納得されなかったらそれはそれで困るのだが。


「そうか、まあいい」


 俺的にはよくなんだが。


「部長さん。剛力さんの最近の様子についてお聞きしてもよろしいですか?」


 この状況で桐花がぶっ込んで来た。下手につつけばこちらがボロを出すかもしれないのに、いい度胸してるこの女。


「ん。まあそうだな。確かにあいつはここ最近おかしい。稽古に集中できていない、かといってやる気がなくなったわけではなさそうだからこちらもどう注意すればいいか悩んでいてな」

「結構無理して練習してると聞きましたが?」

「ああ、居残り稽古と朝稽古のことか。完全にやりすぎだから何度もやめろって言ってるんだがな。全く聞きやしない」


 先輩、それも部長から注意されているのにそれに逆らっただって? 体の芯まで体育会系で、上の者の言うことは条件反射で従うあいつがか?


「そういえば最近、柔道場にゴミがばら撒かれたって聞きましたが?」

「……石田。お前が言ったのか?」

「ひっ!」


 鋭い眼光で睨まれ石田が顔を青ざめさせる。


「まあいい。確かにゴールデンウィーク明けの火曜と木曜に空き缶がぶちまけられていた。気づいたのは、登校して道場に来たうちの部員だ」

「それ以降は?」

「いや、その2回だけだったな」


 不機嫌そうに鼻を鳴らす。犯人をとっ捕まえてぶちのめしてやりたいという思いが伝わってくる。


「今までにそういった嫌がらせをされたことはありましたか?」

「いや、……ないはずだが。ないよな水崎?」

「私が知る限りは一度も。多分今回が初めてじゃないかしら」

「犯人に心当たりは?」

「あるはずがない。どうせくだらん悪戯だ」


 いくつかのやりとりを続けていると、校舎から昼休み終了5分前のチャイムがなった。


「悪い、そろそろ行く。吉岡と言ったな。剛力のこと気にかけてやってくれ、最近のあいつはどうも危うい気がする」

「……うっす」


 言われなくても、だ。


「あ、最後に一つだけ。お二人はここで何をされていたんですか?」


 去り際の部長たちに桐花が声をかける。タケルに関する質問ではなくおそらくこいつの好奇心によるものだろう。多分この2人が逢引きしたとでも思ってるんだろう。


「ん、最近うちの洗い場のホースで遊んでる奴がいるみたいでな、昨日の朝も玄関前が濡れてたんだ。そのことの相談を水崎とやってたんだ。ついでに飯もな」


 そう言って萎んだコンビニの袋をひらひらと向ける。


 それを見て水崎は眉をひそめた。


「仮にも部長なんだからもう少し栄養に気を遣ってください」

「なに、今日はたまたまだ。普段はもっと良いものを食わせてもらってる」

 

 そんなやりとりをしながら教室へと戻っていった。


「……あの水崎って女の先輩、部員か?」


 えらく色っぽい先輩だった。特別美人というわけではないが、所作の一つ一つがどうも男を惹きつける魅力があるように見えた。


「ああ、水崎先輩はうちのマネージャーっす。柔道部のマドンナっすよマドンナ」

「マドンナ」


 随分と古臭い表現だが、あの先輩にはぴったりに思えた。


「うちの備品の管理から洗濯、買い出し、軽食の準備まで柔道部の雑務の全てをほとんど1人でやってくれてるすごい先輩っす。いやもう、正直あの人いなかったら柔道部がまわんなくなるっすよ」

「へえ、そりゃあすげえな」


 柔道部の雑務なんてほとんどが重労働だ。それをたった1人でこなすとは。


 献身的に柔道部を支える色っぽいマネージャー。部員はたまんないだろうな。


「んー、怪しいですね」

「何が?」


 桐花が疑問を口にする。何か引っかかることがあったのだろうか?


「ただの相談なら教室でいいはずなのにわざわざこんなところまで来るなんて、あの2人には何かありそうです」

「そっちかよ」


 怪しいってあの2人の関係が、かよ。


「あー、そのことなんすけど。あの2人付き合ってるって噂があって」

「え!? 本当ですか! 逢引きですか? 逢引き!?」

「落ち着け桐花」


 テンションが上がりすぎだ。


「噂っすよ、噂。流石に聞くことなんてできないっすから」


 だがさっきのやりとりを見ていると、信憑性のない噂というわけでもなさそうだ。


「あの、そろそろ戻らないっすか?」

「ん? そうだな。対して収穫はなかったしな」


 成果がなさすぎてがっかりするが、今はもう仕方ないだろう。


 だが桐花は俺の言葉を即座に否定する。


「いえ、収穫はありました」

「何?」


 今までのやり取りで何かわかったことがあるのか?


「吉岡さんさっき、柔道部の嫌がらせが剛力さんと何か関係はあるのかと聞いてきましたね?」

「ああ、そうだけど」

「私は大いに関係あると思います。柔道部の嫌がらせがあった時期と、剛力さんの様子がおかしくなった時期が一致しますから」


 確かにそうだ。ただの偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎるとは思う。


「だけどよ、柔道部への嫌がらせでタケルがスランプになるほど気に病むようなことがあるか? 別にあいつの責任じゃあるまいし」

「もしそうだったとしたらどうですか?」


 一瞬、桐花の言ったことの意味がわからなかった。


「は? それってどういう……」

「もしこれが柔道部への嫌がらせでなく、剛力さんへの嫌がらせだったとしたら、剛力さんは責任を感じてしまうのではないですか?」


 真剣な口調の桐花の言葉の意味が染み渡るように徐々に理解できてきて、背筋に冷たいものが走る。


「何を……」

「例えばですよ。最初にゴミをばら撒かれた直後に、あれはお前に対する嫌がらせだ。なんて犯行声明じみた手紙を剛力さんが受け取ったらどう思いますか?」

「そんなの……!」


 あいつは責任感の強い真面目な男だ。気にしないわけがない。


「自分のせいで柔道部に迷惑がかかっているが、そのことを誰にも相談できず1人で抱え込む。そうなればスランプに陥るのも無理はないと思います」


 桐花の推理は受け入れたくないものだった。だが、考えれば考えるほどその推理が納得できてしまっていた。


「誰が……誰がそんなことを!」


 握った拳が震えているのがわかった。今すぐにでも犯人を捕まえなければという思いが溢れ出してくる。


「落ち着いてください、吉岡さん」


 焦る俺を桐花は冷静な言葉で諭す。



「犯人が誰なのか、何をどうすれば良いのか。私には全てわかっています」

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