犯人確保

 この時期は夜7時にもなると完全に太陽が落ちている。

 

 今いる学園の北門は普段利用している正門とは真逆の方向にあり利用する生徒はほぼいない。裏門と呼んでも差し支えのないこの場所にはごみ収集所があるだけで普段賑やかな学園とは思えないほどに静かだ。


 校舎から漏れる光が僅かに照らすだけのその場所に一つの人影があった。その影は人目を避けるようにこそこそとごみ収集所の中に入り、中にあったゴミの袋をいくつか手に取り外へ出た。


 その瞬間ーー


「吉岡さん。確保です」

「おう」


 人影に驚く暇すら与えなかった。


 襟首を捕まえそのままフェンスに押し付ける。そいつは短い悲鳴を漏らすが俺は一切手の力を緩めはしなかった。


 そいつが持っていた袋が音を立てて地面に落ちる。その音は軽く甲高い。


 桐花が手に持った懐中電灯でそいつの顔を照らす。男だった。


「見つけたぞ、空き缶ヤロウ」

「な、何を!」


 まだ状況がわかっていないのか困惑した様子の男を睨みつける。


「石田さん、写真は撮れましたか?」

「ばっちりっす!」


 スマホを構えた石田がサムズアップを決める。


「写真? 一体何をーー」

「とぼけなくても良いです」


 桐花は男の言葉を遮り、人差し指を突き立てる。


「あなたが柔道場に空き缶をばら撒いた犯人なのは、すでにわかっています」




「柔道部の部長が言うには、柔道場の玄関前にゴミがばら撒かれたのはゴールデンウィーク明けの火曜日と木曜日の2回だけとのこと。それを聞いた時一つの疑問が浮かびました。その嫌がらせは本当に2回だけで終わったのだろうか? と」

「何を言っていーー」

「黙って聞いてろ」


 押さえつける力を強めて強制的に黙らせる。


「剛力さんのスランプがその嫌がらせにあると仮定した時、たった2回の犯行……それもすでに終わったものでスランプになるほど気に病むことがあるでしょうか? いいえ、嫌がらせは継続的に行われていてまだ続いていると考えた方が自然です」


 今日に至るまでずっと柔道場にはゴミがばら撒かれていたと、桐花は言う。


「ではなぜ最初の2回以降の犯行を他の柔道部員は知らなかったのか? 決まっています。ばら撒かれた空き缶を誰にも知られることなく片付けていた人物がいるからです」


 そして、その人物は当然。


「その人物とは、誰よりも遅くまで練習して、誰よりも早く朝稽古に来ていた剛力さんです」


 タケルの名前を聞いた男が僅かに体を震わせたのを見逃さなかった。


「決定的だったのは部長さんの証言ですね。洗い場のホースで遊んでるやつがいて、昨日も玄関前が濡れていた。こぼれた空き缶の中身を洗い流したのでしょう。そして昨日は火曜日、あなたはゴールデンウィーク明けから毎週決められた曜日に柔道部に空き缶をばら撒いていたんです」


 桐花の言葉に対して男は口元をキッと結んで無言だった。


「そこで新たな疑問が生まれました。この犯行はなぜいまだに続いているのか? 剛力さんが完全下校時刻ギリギリまで練習を行い、朝学校が開いたと同時に柔道場に訪れていたのはこの嫌がらせに対処するためであることは明白。なぜ犯人を捕まえなかった? まさか犯人がゴミをばら撒いている瞬間に気づかなかった? いいえあり得ません。空き缶なんてばら撒いたら道場の中にいても音で気付きます」


 当然だ。さっきこの男が袋ごと空き缶を落としたでけでかなりの音がした。袋1つ分でも空き缶をばら撒けばタケルが気づかないわけがない。そして意外と足の速いあいつが犯人を取り逃すようなことはないだろう。


「ならば答えは簡単です。犯行の瞬間、剛力さんはその場にいなかった」


 犯行の瞬間に立ち会わなければ、いくらあいつでも捕まえることはできない。


「まさか日中の授業中に堂々と犯行を行ったわけありません。柔道場は本校舎から離れていて目立ちにくいとはいえ、見つかる可能性はゼロじゃない。ゴミ袋を持って柔道場に向かうなんて怪しすぎる姿を晒すリスクを犯すことはないでしょう。となると犯行は剛力さんが柔道場を訪れるよりも早く、剛力さんが自宅に帰るよりも遅い時間に行われていたと考えるべきです」


 だけどあいつはーー


「当然、ここでも疑問が生まれます。剛力さんは誰よりも早く学園に訪れ、誰よりも遅く帰宅しています。先ほどの犯行条件を満たすにはこの学園が閉まっている時間帯しかありません。本来であれば誰も学園に入れないこの状況、一体誰が犯人なのか?」


 だが逆に言えば、この条件を満たす人物こそが犯人なのだ。


「ここまで考えた時思い出したんです。部室練に貼られたポスターの一つを……『僕たちと一緒に屋上で夜空を観察しませんか? 毎週月曜、水曜活動中。天文部』そう、この部だけは閉鎖された後の学園に立ち入ることが許可されているんです。そうですよね?」


 挑発的な視線を犯人に向ける。


「……天文部2年、星野さん」


 天文部員の男は名前を言い当てられて青ざめた。しかし桐花は男の反応には目を向けず推理を続ける。


「あなたの犯行方法はこうです。毎週月曜と水曜の部活動中、こっそりと抜け出して天文部以外誰もいない学園の中で堂々とゴミ袋を持ち出して柔道場にばら撒く。そして何食わぬ顔で部活動を続けた」


 だからこそ、ばら撒かれたゴミが発見されたのは翌日の火曜日と木曜日だったのだ。


「ここまで来ればあとは簡単です。天文部の誰かまでは特定できなくても、犯行の証拠を押さえればあとはこちらの勝ち。犯行に使われた空き缶は間違いなくこの学園のもの。まさか自宅から持ってくるような真似はしないでしょう。そうなれば学園中のゴミが集まるこの収集場から盗み取っていると考えるのが自然です。そしてこのごみ収集所は完全下校時間と共に閉鎖されます。そして今日は水曜日、あとは放課後にあらかじめ入手していた天文部員の写真と照らし合わせてゴミ袋を持ち出す人物を待てば良いだけです」


 正直この待つ時間というのはかなりしんどかった。できる限り人目につかないように息を潜めてじっと待つのもなかなか骨が折れる上、人目を避けるためかこの男が現れたのは完全下校時刻ギリギリだったのだ。


「……証拠は?」

「は?」


 突如、これまで無言だった星野がふざけたことを言い出した。その目はうらめしげに桐花を睨んでいる。


「別に俺がゴミを持ち出したからと言って、それをばら撒いたかどうかわからないだろ?」

「てめえ……この後に及んで何を!」


 思わずフェンスに押し付ける力を強めてしまい相手はうめいたが、それでも桐花を睨む目は鋭いままだった。


「証拠ですか? そうですね、あそこ監視カメラあるのわかります?」

「な! ど、どこに!?」

「このごみ収集所に近所の人がゴミを持ち込む被害が多発した時期があったみたいで、監視カメラで24時間監視しているんですよ。学園にお願いして映像を確認すればはっきり写ってるはずですよ、あなたが毎週月曜と水曜日に空き缶の入った袋を盗んでる姿が。なぜそんなことをしているのか? その理由を頑張って先生たちに説明してくださいね」

「…………クソっ!」


 認めた。これで俺たちの勝ちだ。


「さて、教えてもらいましょうか? どうして剛力さんにあんな嫌がらせを?」

「…………」

「あなたは天文部の2年生、柔道部の1年生である剛力さんとは接点がありません。なのになぜ剛力さんを狙ったんですか?」

「…………」


 無言。


 口元を真一文字に結んで桐花の視線から逃れるように顔を背ける姿に、どうしようもなく苛立った。


「言えよ」

「…………」

「言ってみろよ。どんな理由があったんだ?」

「…………」


 想像する。タケルがばら撒かれた空き缶を拾う姿を。


 どんな気持ちだったんだろう? 誰がなんのためにばら撒いたかもわからない空き缶を片付けさせられるというのは。


 自分のせいで道場を汚されたその責任を取るため、誰にも言わず1人で。


「真面目すぎるあいつをスランプになるまで追い込むなんて、一体どんなご大層な理由がありゃそんなことが許されるんだ?」

「…………」

「答えろっ!!」


 理由を吐かせるためなら殴ることも辞さない。その覚悟をした時、空き缶ヤロウはやっと口を開いた。



「だ、誰でもよかった」



 言っていることの意味がわからなかった。


「は?」


 唖然として聞き返す。


「誰でもよかったんだ…………


 この学園で許可証という言葉が指すものは一つしかない。


 恋愛許可証。


「お前、そんなことのために?」


 タケルは入学した時から柔道部のエース候補として学園中で有名だった。全国大会出場は間違いなしと言われ、確かにあいつなら今年中に許可証を手に入れることはできるだろう。


 だからといって、それが理由なのか?


「そんなこと? そんなことだって!? 許可証持ちってのはこの学園じゃ特権なんだよ。好きに恋愛できるだけじゃなく、持ってるだけで一目置かれるようになるんだよ! そんなやつ気に入らねえだろ!」


 開き直ったのか堂々と自分勝手な言い分を述べる男に気圧される。


 だがそれは一瞬のこと。すぐに怒りが沸々と湧いてきた。


「……ふざけんなよ。そんなくだらねえ嫉妬のためにあいつが犠牲になったのか?」

「ああそうだよ。あの男は許可証が確実に手に入る、そんなのずるいじゃないか! 柔道の才能があって、みんなから注目されて、天文部みたいな日陰の部活じゃそうはいかない!」

「……もういい、黙れ」

「あいつなんて、ただ体格に恵まれただけのーー」

「黙れよ!」

 

 喉元を締め上げるほど強く、相手の襟首を握る。


「ただ体格に恵まれた? あそこまで体作るのにどれだけ努力して来たと思ってんだ! そりゃあ才能はあるだろうさ、だけどあいつはそれにあぐら描くような真似はしてねえ!」


 そのことは俺が一番よく知っている。


「あいつは血反吐吐くような努力を毎日してんだ! お前や俺みたいに現状を諦めてのうのうと生きてる奴とは違うんだよ! あいつの進む道を邪魔して良い理由なんてどこにもねえんだよ!!」


 言いたいことが山積みだ。感情が溢れ出てきて止まらない。だけど口下手な俺にはこんな捨て台詞が精一杯だった。



「人の足引っ張るなんてくだらないことする暇があるなら、新しい星の一つでも見つけてみやがれってんだ!!」



 そのまま地面に男を投げ捨てる。これ以上は殴ってしまいそうだった。


「失せろ。2度とあいつに近づくな」


 立ち上がった男は無言で去っていく。


 それでよかったと思う。下手に謝ってきたら本気で殴りかかっていたかもしれない。


「良かったんですか? 見逃して」

「ああ、嫌がらせがこれで止むなら良い」


 タケルも犯人が処罰を受けることなんて望んでいないだろう。


「フフフ『新しい星の一つでも見つけてみやがれ』ですか。吉岡さんもなかなか粋なこと言うじゃないですか」

「うるせえ、ほっとけ」


 我ながら勢いに任せて突拍子もないこと言った気がする。


「お前こそなんだよ。ごみ収集所に仕掛けられた監視カメラって。俺そんなの見たことねえぞ?」

 

 昼間っから監視していたからわかるが、この辺りにそんなものは仕掛けられてなかった。暗がりだったからアイツを騙せたが。


「咄嗟についた嘘にしては上手くいったでしょ?」


 ニヤリと笑う。本当いい性格してるよこの女。


「あの、終わった?」

「九条……まだ帰ってなかったのか」


 暗がりから出て来た小柄な影に思わず目をむく。一緒にいられるところを見られるのはまずいため、見張りは俺と桐花と石田の3人で行うと言っていたのだ。


「うん。気になっちゃって。こっそり見てたの」


 九条はどこか安堵した様子だ。これでタケルの不安が解消されたとなれば当然の反応。


 すっかり暗くなった学園にチャイムが鳴り響く。完全下校時刻の合図だ。


「そろそろ帰るか」

「あ、剛力さんに報告しなくていいですか?」


 しまった。すっかり忘れていた。


「そうだな、今から柔道場行けばギリギリ間に合うか?」


 タケルはまだ残っているはずだ。そう思ったのだがーー


「あ、今日はもう帰ってるはずっすよ。うちの部長が剛力くんが稽古しすぎているのを止めるために、当面の間居残り稽古を柔道部全体で禁止にしたんす。ついでに部活自体も今日は早めに終わったから今ごろ家にいると思うっす。……まあ、朝稽古は禁止にしてなかったから、また明日早く来そうなんすが」


 LINEしたらどうっすか? と提案してくる。


「うーん、でもなあ。しばらく連絡とってなかったからなあ」


 なんか久しぶりにLINEするのも……うん。


「……何照れてるんですか、気持ち悪い」


 いや、これはなかなか難しい話だぞ。久しぶりの連絡が、お前の悩みは俺が解決したから安心しろ。なんて内容だったら身構えるわ。


「そ、そのことなんだけど。私が2人に相談したことを秘密にしてくれないかな?」


 すると九条がいきなり妙なことを言い出す。


「え、なんで?」


 別に隠す理由はないだろ。


「その、タケルくんがスランプになってたことを私に知られちゃ、気にしちゃうんじゃないかなって」

「あー、九条はタケルのスランプを知らなかったって形にしたいと?」

「うん。この件はあくまで吉岡くんが異変に気付いて解決したってことにして欲しいの」


 そう言って九条は頭を下げてくる。


「まあ、別に良いけど」


 九条の心配もわかる。男は変なところにプライドを持つ生き物だ。俺があいつだったとしても自分がスランプになってることを知られるのは嫌だ。それが自分の彼女なら尚更。


「その辺りはうまくするとして、明日直接話すわ。色々喋りたいこともあるしな」



 一件落着だと思った。安堵とか肩の荷が降りたとか、そう言った理由で完全に油断していた。


 この時、一刻も早くあいつと連絡をとっていればよかったなんて。俺には全く予想できなかった。

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