異変

 柔道場にゴミをばら撒いた犯人を暴き出した翌日。登校中の俺は悩んでいた。


 タケルに悩みの種である嫌がらせを解決したことを伝えなければならないのだが、それをどう伝えればいいのやらと。


『そういや柔道場にゴミばら撒いてた奴がわかったぞ』


 これはいくらなんでも唐突すぎるだろ。


『よお、お前の彼女に頼まれてお前のスランプの原因をなんとかしてやったぜ!』


 押し付けがましい。そもそも九条に相談されたことは口止めされている。


『安心しろ! もう悩まなくていい! お前はすでに救われたんだ!!』


 ……怪しい宗教かな?


 そうじゃなくても1ヶ月近く顔を合わせていないのだ。照れというわけではないが、会うのには妙な気まずさがある。


「あー、そういやあいつに一緒に飯食う友達作ってやるって啖呵切ってたんだった」


 結局その目論見も達成できていない。大見栄切って別れた分、今更のこのこ話しかけるのにも思う所がある。


 だが結局は話さなければならないのだ。何も心配しなくていい、お前は思う存分柔道に専念して良いのだと。


 そんなことに頭を悩ませながら学園にたどり着く。


 

 そして感じたのは強烈な胸騒ぎだった。



「なに……が」


 この感覚の意味がわからなかった。


 登校する生徒たち、賑やかな朝の光景。


 表面的にはいつも通りのはずなのに妙な違和感がある。


 どこか浮き足立っているような、奇妙な熱に浮かされるようにざわめき立っている。


 そして違和感の正体の一つに気づく。


 生徒の流れがおかしい。本来であれば大半の生徒がそのまま正面玄関へと向かうのが普通なのだが、一部の生徒が全く別の方向へと足を向けている。


 そしてその先には柔道場がある。


「まさか!」


 嫌な予感を抱いたまま走る。


 そんなはずがない、昨日全て片がついたはずだ。この胸騒ぎはただの気のせいで、この先にはどうせ迷い込んだ犬でもいてみんなはしゃいでいるだけだ。


 祈るような気持ちで向かう。


 だが嫌な予感というものほどよく当たるということを思い知らされた。


 柔道場の玄関前ではなく側面に人が集まっていた。生徒たちが好奇の視線を向けるその先ーー



 大きく割れた窓ガラスがあった。


 

「なん……で」


 よくある2枚一組のすりガラスだ。その片側が大きく割れている。


 何か偶発的な事故……例えば人がぶつかった拍子に割れた様子ではない。明らかに割る意思を持たなければあそこまで派手に割れない。


「誰が?」


 そう言いつつ俺の中では誰がやったのかほぼ決まっていた。


 集まった野次馬を見渡す。そいつはすぐに見つかった。


 空き缶ヤロウだ。


 近づく。俺の接近に気がついたそいつはすぐさま逃げようとするが、俺の方が早かった。


「良い度胸してんな」


 両手で相手の胸ぐらを掴み、ほぼ持ち上げるような姿勢で相手を睨む。


「昨日の今日でよくやるな。俺がお前になんて言ったのか忘れちまったのか? なあ!」


 俺たちの様子を見た誰かが小さく悲鳴をあげる。周りの生徒がどよめきながら注目していることに気づいたが、知ったこっちゃなかった。


「ち、違う……俺じゃない!」

「お前以外に誰がやんだよっ!」


 周りの目なんてどうでもよかった。右の拳を握りしめ、振りかぶる。


「吉岡さんっ!」


 殴りかかる寸前強い衝撃。振り向けば右腕に抱きつくような形で俺を止める桐花がいた。


「離せ桐花!」


 振り解こうとするが離れない。いや、それ以前にこいつ相手に全力を出せなかった。


「冷静になってください! 昨日証拠を抑えられたばかりなのに、いくらなんでも自分が疑われるようなことすると思いますか!?」

「わかんねえだろうが! こいつがとんでもねえ馬鹿ヤロウかも知れねえじゃねえか!」

「そうだとしてもなんの証拠もないんです! このままじゃ吉岡さんが悪者になっちゃいます!」


 構うもんか。


 そう怒鳴りつけてやろうとしたが、桐花の目を見たらできなかった。


 どこまでも強い光を宿したその瞳。


 ああ、俺はこの目に弱いらしい。


「……クソが」


 手を離すと同時に空き缶ヤロウは逃げていく。その姿を目で追うことすら億劫だった。


「クソ、なんで……」


 行き場のない怒りと焦りがごちゃ混ぜになってどうすれば良いのかわからなかった。


「桐花。これは空き缶ヤロウがやったのか?」


 そうだ。と言って欲しかった。そうであれば話はまだ簡単だ。


「…………さっきも言った通り、私は違うと思います」


 そう答える気はしていた。


 俺だって本当はわかっていた。さっきあいつを見つけた時、他の野次馬と同じく驚いたような顔をしていたのだ。


「……そうだ、タケル。タケルは?」


 タケルは今日も朝早くから柔道場に来ていたはずだ。当然この騒ぎも知っているはず。


 だがどこを見渡してもあいつの姿は見つからなかった。


「吉岡くん! 桐花さん!!」


 校舎から見慣れた坊主頭が俺たちを呼びながら走ってきた。


「石田?」

「大変っす! 剛力くんが!!」


 尋常ではない様子だった。走ってきたからか息を切らしているのに顔色が青い。


「朝登校したら、剛力くんが職員室に入るのを見て! 自分、もう底知れないほど嫌な予感がして!」

「落ち着け、あいつがどうしたんだ?」

「剛力くん、剛力くんが先生方に言ってたんす!」


 なにを? そう聞こうとするとーー



「柔道場の窓ガラスを割ったのは、自分だって……!」



 

「は?」


 絶句する。


「お前何言ってるんだ? これをやったのが、タケルだって?」


 割れた窓ガラスを指差し、石田に確認する。すると石田はコクコクと何度も頷く。


「そんな……そんなわけないだろ! あいつがそんな真似!」

「でも聞いたんす! 自分がやったって、だから柔道部を辞めるって!」

「なんだって!?」


 辞める? あの柔道馬鹿が柔道部を!?


「タケルは? タケルは今どこだ!!」


 石田につかみかかり肩を揺らす。


「じ、自宅待機を命じられて、今日は帰ったっす」


 その言葉を聞いた瞬間、担いでいたカバンを投げ捨てて走り出す。


「吉岡さん!」


 後ろで桐花の叫び声が聞こえたが、それに構っていられなかった。

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