友人を追って
学園を飛び出しタケルを追う。
タケルとは中学が一緒だったため自宅の方向はある程度一緒だ。だから入学してからしばらくは一緒に登校していた。中学の時とは違う登校風景が新鮮で、あのラーメン屋今度寄ろうぜとか、あそこのコンビニは立ち読みがしやすいとか、そんなことを話がなら学園まで一緒に歩いていた。それをしなくなってどれほど経つだろうか? いや、そもそもなんで一緒に登校しなくなったんだっけか?
そんなことを考えながら走る。本当はもっとあいつに聞くべきこと、言わなきゃいけないことを考えなくてはならないはずなのに、脳裏をよぎるのはそれほど時間が立っていないのに懐かしいと感じる思い出だった。
考えなしの全力疾走。体育の授業ぐらいでしか運動をしない体にはきつい物があった。早鐘を打つ心臓、肺が酸素を求めて悲鳴をあげる。だけど構っていられなかった。一刻でも早くタケルに追い付かなくてはならなかった。
そしてーー
「見つけたぞ……!」
その巨体に反してとぼとぼと歩く見慣れた男。だが随分と久しぶりだった。
タケルは俺の言葉に反応してゆっくりと振り返る。
「吉岡?」
ああ、なんて顔してんだ。お前のそんな憔悴しきった顔なんて見たことがない。
「タケルお前……なに考えてんだ?」
息も絶え絶えな俺が発した言葉は短い。だけどこいつには伝わるはずだった。
「……なにがだ?」
だからこそ、そのわざとらしいセリフがどうしようもないほど苛立たしかった。
「とぼけてんじゃねえ! なんで柔道場の窓ガラスを割ったなんて嘘をついたんだ!?」
こいつがそんなことをするなんて有り得ない。だがタケルは俺の言葉を否定する。
「いや嘘じゃない。道場の窓ガラスを割ったのは俺だ」
まっすぐ俺の目を見て言い放たれた言葉。その言葉には誤魔化しているような響きは一切なかった。
「お前にそんなことできるわけねえだろうが!」
「俺がやったんだ」
「嘘だ!!」
「本当だ」
タケルは顔色一つ変えない。顔色一つ変えず、自らを傷つけているように見えた。
そしてその時になってようやく気づく、タケルの両手に巻かれた包帯を。
柔道をしているこいつが何度も突き指をして包帯を巻いているのは見たことがある。だが、今包帯が巻かれている部位は手のひらだ。
明らかに血の滲んでいるその怪我は、普通に柔道をやっていて生じるものではない。
「お前……何だよそれ」
柔道家としてタケルは怪我に細心の注意を払ってきているのを知っている。日常生活において一見して臆病に見えるほど危険な真似をしないように過ごしているこいつが、そんな怪我をしているのを見たことがない。
「……ああ。割れたガラスで切った」
まるでなんてこともないように言うタケルは俺の知っているタケルではないようにすら見えた。
「……柔道部を辞めるっていたのは本当か?」
自分の怪我に頓着していない。それは柔道を本気で辞めるつもりだからか?
「……そうだ」
「なんで……なんでだよ。お前オリンピックに出るのが夢だって、今までずっとそのために努力してきたんじゃねえのかよ!?」
俺はオリンピックに出る。そんなことを言えば普通は笑われるようなセリフをこいつは臆面なく言い放ち、本気で実現しようとしてきたはずだ。
「俺にそんな資格はない。ずっと柔道部に迷惑をかけてきた俺には」
「……それって、道場にゴミがばら撒かれたことを言ってるのか?」
この時になってようやく、タケルが驚愕の表情を浮かべた。
「なんで、そのことを?」
「知ってんだよ。お前への嫌がらせで道場にゴミがばら撒かれてたことも。お前がそのために朝早くからそのゴミを片付けていたことも。そのせいでスランプになってたことも全部!」
いや、違う。知ったのはごく最近で、それまで俺は何も知らず何もできなかった。そんな自分がどうしようもなく情けなかった。
「お前は何も悪くない。その犯人はもうとっちめた、もうそんな嫌がらせされることはないんだよ!」
「……そうか。だが関係ない。俺が柔道部に迷惑をかけてきたのは事実だ。窓を割ったこともな」
もう話すことはないと言わんばかりにタケルは背を向ける。その背中はどこまでも頑なで、何があっても自分の主張を曲げるつもりはないことが見てとれた。
「なんで……なんで何も言ってくれなかったんだ」
「…………」
「そんなに俺は頼りないか? お前の悩みひとつ聞いてやれないほど心の狭い奴だと思われてたのか?」
「…………」
タケルは何も言わなかった。
いつもそうだ、肝心なことを誰にも言わずに1人で溜め込む。悩んでいることも……九条と付き合っていることも。
「お前に恋人がいることをバラされるって、本気で俺がそんなことするって思ってたのか?」
タケルは振り返らなかった。
「なんのことだ?」
その言葉があまりに白々しく聞こえて、俺はどうしようもないほど悲しくなった。
「俺にまで隠さなくていいだろうが、馬鹿野郎……!」
あのあとどうやって学園まで戻ったのか覚えていない。
時間帯的には完全に遅刻だが急いでやろうとなんてこれっぽっちも思えなかった。だが学生としての本能のなのか、フラフラとしたその足取りは確実に自らを学園へと運んだ。
そしてたどり着いた学園の正門に彼女はいた。
「……桐花」
授業はどうした? なんて聞こうとしたが、やめた。彼女が俺を待っていてくれたのは明白だったから。
「吉岡さん、荷物です」
そう言って俺が投げ捨てた鞄を渡してくる。
「……すまん」
「……はあ、らしくないですね。こんなにしおらしくなっちゃって」
「…………」
「今学園内は噂話で持ちきりですよ。柔道部の一年生がストレスで窓ガラスを割ったって」
「っ! あいつはそんなことしてねえ!!」
思わず桐花を怒鳴りつける。だが桐花は涼しい目で俺を見つめるだけだった。
「ですがすでに噂は広まっています。一度噂が広まってしまってはそれが事実かどうか関係ないということを、一番知っているんじゃないですか?」
桐花の言う通りだ。そのことは俺が一番よく知っている。
「どうします? おそらくこのままいけば剛力さんの停学は確実。本人が望んでいる以上柔道部を辞めることは止められず、窓ガラスを割った汚名を被ったまま学園生活を送ることになるでしょう」
桐花の刺すような視線。彼女の言葉を否定したかったが、おそらくその通りになるだろう。
俺はーー
「……わかんねえ。わかんねえんだよ俺には」
情けないことに、弱音を吐くことしかできなかった。
「あいつが何を考えてるのかわかんねえ。あいつのために何をしてやれるのかわかんねえんだ」
あいつのことはなんでも知っていると思っていた。友人として、あいつのことは完全に理解していると思い込んでいた。
とんだ思い上がりだった。
多分俺じゃダメなんだ。俺1人じゃどうにもならない。
「頼む桐花……助けてくれ」
俺にできることは、ただ懇願することだけだった。
「…………」
桐花は無言。何も言わず頭を下げる俺を見ていた。
「……前に私が吉岡さんに言ったこと覚えていますか?」
「え?」
「吉岡さんの合いの手がちょうどよくツボにハマって、考えがまとまりやすくなるって言ったんです。あれは吉岡さんを誘い出すための方便だったんですけど、あながち嘘じゃなかったんです」
桐花の声は諭すように穏やかだった。
「探偵ごっこは1人でやれよ、なんて吉岡さんに言われましたけど、1人でやるのはつまんないです。やっぱり探偵には助手がいないと。吉岡さんには私の助手を任命しましょう」
そしていたずらっ子のように笑う。
「何をしてやれるのかわからない? では私が教えてあげましょう、あなたがすべきことを。吉岡さん、あなたにはバリバリ働いてもらいます。私の助手、私の手足、私の犬、そして私の相棒として。剛力さんを救うために、その覚悟はありますか?」
そんなこと聞かれるまでもない。あいつを助けられるなら何だってしてやる。
「ああ」
俺の短い返答に、よろしいとばかりに桐花は頷く。
「では、探偵ごっこを始めましょうか」
そしてトレードマークの赤縁メガネを整え、胸を張り高らかに宣言する。
「どんな悩みも、どんな謎も、この恋愛探偵、桐花 咲にお任せあれです!!」
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