彼女の事情
タケルと九条は恋人じゃない。
事情を全く知らないタケルに桐花が俺たちのこれまでのことを説明している間、俺は告げられた真実に呆然としてただ九条の顔を眺めていることしかできなかった。
九条は何も言わなかった。肯定も否定もすることなく俯き、口元をぎゅっと結んでいる。
「さて、ここまでの事情は理解していただけましたか? 剛力さん」
「あ、ああ。俺と九条が付き合ってるって? クラスは一緒だがほとんど話したことないぞ」
当事者のタケルの口から言われると、ショックが大きかった。
「……なんで、なんでそんな嘘を? 許可証を持ってるのに持ってないとか。付き合ってないのに、付き合ってるとか」
九条の行動の意味が理解できなかった。この小さなタケルの恋人だと思っていた人物が、得体の知れないものに思えてきて不気味だった。
「許可証を持っていないと偽ったのは、その方が都合が良かったからでしょう。そう言えば自分が大っぴらに動くことができない理由が生まれ、私に依頼する口実ができますから」
「じゃあ付き合ってるって嘘は?」
その嘘さえなければ、許可証を持っていないと嘘をつく必要はなかったはずだ。
「そう、そこが今回の謎の最大の問題点です。本来であればそんな嘘をつく必要がない。例えばなんらかのきっかけで剛力さんが嫌がらせを受けてることを知り彼を助けたいと思ったのならば、ただクラスメイトが心配だからと言って私に相談してくれば良かったんです。なぜそんな回りくどい真似をしたのか? なんで嘘をついたのか? いえ、つかなければならなかったのか? その理由は吉岡さん、わかりますね」
「後ろめたい事情があったから……」
桐花は俺の言葉にこくりと頷く。
「ではその後ろめたい事情とはなんだったのか? そのことを考えようとした時、ふと疑問に思ったんです。九条さんが剛力さんと付き合ってるのは嘘。では当然ラインのやり取りの件も嘘です。ならどうして九条さんは剛力さんの異変に気づいたのでしょうか?」
「そりゃ同じクラスだし様子が変なことぐらいわかるんじゃねえの?」
「そうですね。現に剛力さんはスランプに陥ってたわけですから、様子がおかしいことぐらいは気づいたかもしれません。ですがそれだけで大袈裟な嘘をついて私に相談するでしょうか? ただのスランプであれば正直私の出る幕はありません。九条さんは剛力さんの異変の原因が、ただのスランプでないことに確信を持っていたのではないでしょうか?」
確信を持っていた?
「つまりですね、九条さんは剛力さんが嫌がらせを受けていた事実を知っていたんだと思います。……それだけじゃない、私の予想ではその犯人のことも」
「知ってた!?」
それって、あの事件の全部をってことか?
「おい待てよ。それこそおかしいだろ? 犯人のことまでわかってんのなら自分でどうにかすりゃあいいじゃねえか。いや、そもそも犯人のことをどうやってーー」
「落ち着いてください。全部説明しますから」
驚愕のあまり詰め寄るが、冷静に諭される。
「吉岡さん、あの天文部の人がどうして嫌がらせのターゲットに剛力さんを選んだか覚えていますか?」
「どうしても何も、あの野郎誰でも良かったとかふざけたこと言ってたじゃねえか」
今思い出しても腹が立つ。
「本当に誰でも良かったんだと思いますか?」
「は?」
「誰でも良かったからといって、本当に剛力さんを選ぶと思いますか? だって剛力さんですよ? こんなに体の大きい格闘家に喧嘩を売るような真似すると思いますか? まして嫌がらせの内容は柔道部全体を敵に回しかねないものでした。私だったら他の人を選びますけど」
「じゃあなんだ? どうしてもタケルじゃなきゃいけない理由があったってことか?」
つっても相手は天文部の2年で、こっちは柔道部の1年だ。
「接点がなさ過ぎるだろう。入学して1ヶ月の1年にどうやってそこまでの恨みを持てるんだよ?」
「そう、2人には繋がりがない。だからこそ2人を繋ぐのが……九条さんというわけです」
桐花は九条に向き直る。
「ここから先はなんの証拠もないただの推測です。違ったら言ってください」
そう前置きした上で語り始める。
「九条さん、あの天文部の人に告白されたことがあるんじゃないですか?」
桐花の言葉にびくりと肩を震わせた。
「九条が告白された? あの空き缶ヤロウに?」
「九条さんの人気はご存知の通りです。まだ入学したばかりでフリーの状態であろう今こそが狙い目だと考える人がいてもおかしくありません。しかし相手のことを何も知らない九条さんはこの告白を断りました。だが相手は諦めなかった。何度も何度も告白を繰り返し食い下がった。かなりしつこかったと思いますよ?」
確かにあの野郎は手の込んだ嫌がらせを何度も繰り返すようなねちっこい人物だったから、そのことは容易に想像できた。
「そのことがかなりストレスになっていたのだと思います。そして九条さんはとうとう、こう言って断ったのでしょう『他に好きな人がいる』と。そしてその人物こそがーー」
「ーー俺だったと言うわけか」
桐花がその相手の名前を言おうとした時だった、それまで無言で桐花の推理を聞いていたタケルが声を上げた。
「なるほど、やっと話が飲み込めた」
ふぅ、とため息をつくような口調。九条を見るタケルの目には怒りでも悲しみでもなく、どこか諦めに似た感情が込められていた。
「その手のことは今回が初めてじゃない。中学の時も何度かあったんだ、告白の断り文句に俺を使われることがな。俺は柔道一筋で彼女がいたことがなかったから後腐れがなく、俺相手に喧嘩売ってくる奴もいないから都合が良かったんだろう」
自嘲気味に笑う。
「九条もそうだったんだろう? つまるところ九条の後ろめたい事情ってのは、俺を利用してしまったことの罪悪感。ただの断り文句で俺の名前を出しただけなのに、相手は予想外にも俺への嫌がらせを始めてしまったその罪悪感でーー」
「違う」
思わず言葉が口をついていた。
「違うだろ、何考えてんだ?」
タケルの言うことがあまりにも的外れに聞こえた。
思い出す。これまでの九条を。
「そりゃあ罪悪感もあるかもしれない、でもそれだけじゃない」
タケルのことを話す時の照れてはにかむ表情、タケルが自ら柔道部を辞めると聞いた時の心から悲しんでいたようなその表情。
「九条がこんな回りくどいことしてお前を助けようとしたのも、告白の時お前の名前を出したのも全部、お前のことを本気でーー」
「吉岡くん」
小さな声だった。
だが不思議なほどその声が部屋に響いた。
「お願い。それ以上……言わないで」
目を潤ませ、絞り出すような声。
それを見て俺がどれだけ考え無しで浅はかだったか、いやでも理解させられた。
自分の行いを後悔する。こんな……こんな形で九条の恋心を暴露してしまうなんて。
「桐花さんの言ってたことは全部当たってる。あの先輩に告白されたことも、その時
剛力くん。
タケルくんとは呼ばなかった。
「気づいたのは本当に偶然。教室で剛力くんの様子がおかしいことに気づいて、その後柔道部に空き缶がばら撒かれたことを知った私は、根拠はなかったけどすごい胸騒ぎがした。大量の空き缶を集めるには学園のごみ収集所しかないと思った私は、あの時の桐花さん達と同じように1人で張り込んでたの。そして空き缶の入ったゴミ袋を持ち出していた人物を見つけた。その人は……私に告白してきた人物だった」
多分そこで全てを悟ったのだろう。
「私、どうすれば良いのかわからなかった。もちろんすぐにでも先生に相談してやめさせるのが良かったんだけど、できなかったの! だって、だって私のせいなんだよ? 私が剛力くんの名前を出さなければこんなこと起きなかったのに!」
その痛ましい姿を見て、俺は何を言ってやればいいのかわからなかった。
ただその懺悔を最後まで聞くことしかできない。
「初めて剛力くんを見た時のこと、よく覚えてる。クラスの自己紹介の時、剛力くんは柔道でオリンピックに出るって言ってたんだ。最初私は冗談だと思った、だってそうでしょ? 『オリンピックに出るのが夢』じゃなくて、『出る』って明言してたんだよ? クラスのみんなも笑ってた。私も笑いそうになったけど、剛力くんの顔を見たらできなかった。みんなに笑われてるのに堂々としていて。ああ、この人は本気なんだなって思った。……かっこいいなって思った」
それが、彼女の言っていた一目惚れだったのだろう。
「気がついたら目で追うようになってた。授業中こっそり筋トレしてるのも気付いてた。ふふ、流石に空気椅子してるところを見たら笑っちゃったけどね。だからよく知ってるの、剛力くんが普段からどれだけ頑張っているのか、どれだけ本気でオリンピックを目指しているか」
なのにーー、そう悲壮な顔で話を続ける。
「なのに、私がその邪魔をしちゃった。そのことが剛力くんに知られるのが怖かったの。軽蔑されるんじゃないかって、嫌われちゃうんじゃないかって。……そんな、自分のことばかり考える私が嫌だった」
それが、九条の動機だったんだ。
「剛力くんを助けたかった。でも剛力くんに私のしたことを知られたくない。……どうすれば良いのかわからなかった。そんな時に桐花さんの噂を聞いたの。学園に起きた奇妙な謎を解いて回ってるって。この人に剛力くんを助けて貰えばいいと思った」
「だから恋人であると嘘をついた。私好みの設定で近づき、私に謎を解かせ、事件を解決させた。そのあとは有耶無耶のままフェードアウトするつもりだったんですね?」
僅かにだが桐花の言葉に責るような響きがあったことに気づいた。桐花が九条に対して怒りを覚えていると言ったのは、自らが利用されていることを知っていたからだろう。
桐花に対して九条はごめんなさいと囁くような返事を返し、タケルへと向き直った。
「さっき桐花さんに今回の事件のこと全部聞いた。やっぱり私のせいだったんだね?」
「ち、違う……あれは俺がーー」
「お願い辞めないで。こんなの私が言えた義理じゃないのはわかってる。でも私は剛力くんに夢を諦めて欲しくない。だから……お願い」
懇願する九条を見て、タケルもどうすればいいのかわからなかったようだ。
そんなタケルを桐花は諭す。
「剛力さん。これでもまだ柔道部を辞めるつもりですか? まだ自分1人が夢を諦めれば全て丸く収まると考えているのですか? こんなにも剛力さんの夢が叶うことを願っている人がいるのに、あなたはその人のことすら切り捨てるのですか?」
揺れる。
九条の思いが、頑なだったタケルを動かそうとしていた。
「だけど……どうすればいい? このままじゃ柔道部は……」
それでも決断しきれないタケルを見た俺は、やっと自分がどうすればいいのかわかった。
「安心しろ。言っただろ、考えがあるって」
自分に何ができるのか、どうすればタケルを助けることができるのか。はっきりと理解した。
「後は全部、俺に任せろ」
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