真相

「部屋の中、ちょっと調べてもいいですか?」


 桐花はそう言うと、返事を聞く前に室内を物色し始めた。


 まず向かったのはこの部室に一つしかない窓。すりガラス製で横開きのその窓を開け、部室の外の木陰に目をやる。


「この窓、事件当日は開いてましたか?」


 外から吹き込んでくる風に髪を揺らしながらそう問いかける。どうやら鍵のかかった扉ではなく、窓からの侵入を疑っているようだ。


 しかし、宮間はそのことについて否定する。


「ううん。そこは普段から締め切ってるから。ほら、風で原稿が飛ばされたら大変でしょ」


 ですよねー。なんて気の抜けた返事をしながら桐花は窓を閉めた。まあそんな簡単にはいかないか。


 そしてそのまま振り返ると、しゃがみ込んで作業机の下に潜り込み始めた。


「……猫かよ」

「吉岡さんは現場100ぺんと言う言葉を知らないんですか? 手がかりは往々にしてこういったところに残っている物なんですよ」


 金属製のやたらゴツい作業机の下から桐花のくぐもった声が響く。本人は至って真面目にやってるんだろうが、机の下に潜り込んで尻だけが出ている状態というのはどうにも間抜けに見える。


 女子生徒の尻を見続けるのに気が咎めた俺は、壁際の本棚に目をやった。


「すごい数だな」

「でっしょー。漫研が何年も何年もかけて蓄え続けたお宝だもん」


 宮間が自慢げに胸を張る。


 自慢するだけあって中々の品揃えだ。俺がガキの頃読んでた懐かしい漫画から最近アニメ化して話題になってる注目作まで、何でも揃っている。ちっちゃな漫画図書館と言っても過言ではないくらいに。


「この中から無くなった物はないんだよな?」


 これだけの数だ、一つや二つなくなっても気づかないかもしれない。


「無くなってなかったよ。いやまあ、数が多いから確かめるの大変だったけど、部費を投じてまでコレクションした物だもん。そりゃ部員一同血眼になって…………」

「部費の使い方、それでいいのか?」


 なんてやり取りを続けていると、作業机の下から『おや?』と奇妙な声が上がった。


「どうした?」

「いえ、机の下にこんなものが」


 作業机の下から這い出てきた桐花の手には、小さな丸くて赤い物がつままれていた。


「……トマト?」

「プチトマトですね」


 潰れてこそないものの、埃まみれになったそのトマトはもう食べられそうにない。


「あ、ごめん。それ私のかも」


 そう手を挙げたのは部長さんだった。


「昨日お昼食べてた時に落としたのかも。気づかなかったな」

「なんだ、そういうことっすか」


 どっちにしろ大した手がかりではない。桐花の行動は無駄に終わった。


 ーーそう思っていたのだが。


「ふっふっふ」


 桐花が奇妙な笑い声をあげる。


 不敵な笑み。メガネの奥のぱっちりと開かれたその瞳に怪しげな光が宿る。


「わかりましたよ。事件の真相が!!」



「この事件のポイントは、どうやってこの部屋の鍵を開けたのか? という所にあります」


 俺たちの注目を浴びながら推理を披露し始めた桐花の顔はイキイキと輝いている。


「この部室の鍵は二つ。一つは宮間さんが職員室から持ち出したもの。一つは部長さんが普段から預かっているもの」


 指先をクルクル回しながら室内を歩き回る。その姿は映画やドラマに出てくる探偵を彷彿とさせた。


「事件当時、二つの鍵の所在は明らかになっており、その全てが他の人物の手に渡る可能性はゼロだった。となれば、この部屋の扉は鍵を使って開けられたものでないことは明らかです」

「は? じゃあどうやって開けるってんだよ?」

「一般的に考えられるものとしてはピッキングがあります。ですがこれは先ほども言った通り、鍵穴にそれらしい傷がなかったことからありえません」

「鍵を複製したって線は? お前さっき可能性はあるって言ったよな?」

「まあそうですね。ですがその可能性は限りなく低いものなのですよ。……それこそ、ゼロに近いくらいにね」


 親指と人差し指でゼロの形を作り、俺に見せつけてきた。


「鍵を複製するには、元となる正規の鍵が必要なんです。部長さんが普段から持ち歩いていることを考えれば、部長さんからその鍵を掠め取って気づかれずに複製するのは限りなく不可能に近い。となれば、残りは職員室にある鍵しかないわけですが、これもまた難しい。職員室の鍵は当然ですけど厳重に管理されてますから、部員以外の人間が鍵を持ち出すことはできません。漫研の部員が持ち出して複製することは可能でしょうが、正直うまみがあまりないんですよね。だって職員室を経由しなければならない面倒くささはありますが、基本的に部室にはフリーで入れますからね。法に軽く触れるような真似をしてまでそんなことする必要ないじゃないですか」

「まあ、そうだな」


 じゃあ、どうやってこの部屋の鍵を開けたというのだ?


「もう一つのポイント。それは、犯人はこの部屋の鍵を開けて、何をしたかったのか? 要するに動機です」


 ピン! と立てた指先を俺に突きつける。


「普通、部屋の鍵を開けるのは部屋に入るためです。ですが、部屋に入ったその後は? 部室の中には物を盗られた形跡はなく、盗聴器と言った物を仕掛けられてはいませんでした」


 そのことが、この事件の異常さをひときわ際立たせている。


「まあ、吉岡さんのような変態が『ぐへへへ! 女子高生の匂いだあ!』なんてノリで侵入した可能性はありますが」

「ちょ、ちょっと! 漫研には男子もいるわよ!?」

「違う部長さん。ツッコミどころはそこじゃねえ」


 俺をなんだと思ってるんだこの女は。


「そこで、発想を変えてみました。犯人の目的は部室に入ることではなく、ことではないかと」


 は? などと声を上げる間もなく、桐花はスタスタと部室の窓に近づき開け放った。


「この部室は一階にあり、横開きの窓は人1人が通りには十分な大きさがあります。そして部屋の外はちょうど木陰になっていて休憩するにはもってこいのロケーションです」

「おい、待て待て……」

「例えば! あの木陰で昼休み昼寝していた人がいたとしましょう。想定以上に寝過ぎてしまったその人は、予鈴の音で目を覚ましました。寝起きで回らない頭でぼんやりとしながら手元のスマホで何時か確認します。するとそこで、授業が始まるギリギリだということに気づいて一気に目が覚めます。慌てて教室に戻ろうとしますが、この部室練から玄関までかなり遠回りしなければならないので到底間に合わない。そこで偶然、偶然にも窓の鍵の空いた部室があったとしたら? この部室に侵入して部室練を突っ切ればギリギリ間に合うとしたら?」

「つまりあれか? 扉の鍵は外から開けられたんじゃなくて、内側から開けられたと?」

「ええ、内側からなら鍵を持っていなくても誰でも開けられますから。ただし鍵を閉めることはできない。そのタイミングで宮間さんが戻って来れば見事、鍵の開いた部室が完成するわけです」


 確かに、それならばこの奇妙な事件の全てに説明がつく。


 いやーー


「いや待て桐花。確かこの部屋の窓は閉め切ってるって、さっき部長さんが言ってただろ?」


 部室の窓が閉まっていたら、この推理は成立しない。


「それは部活中の話でしょう? 最近暑くなってきましたし、密室でお弁当食べると匂いがこもりますから。お食時中は窓開けてたんじゃないですか。部長さん?」

「え? ええ……」


 部長が戸惑ったように頷く。


 しかしそこに宮間が待ったをかける。


「で、でも。私が部室に来た時は窓閉まってたよ?」

「窓を閉めても、鍵を閉め忘れていたとしたら? 意外と多いみたいですよそういう人。どうなんですか、部長さん?」


 部屋の視線が全て部長さんに集まる。すると、部長は気まずそうに視線を逸らす。



「し、閉め忘れてたかも…………」




「ありがとう桐花さん。謎が解けてスッキリしたよ」


 宮間が妙に晴れ晴れとした表情で桐花に礼を告げる。


「本当によかった。なんか変態さんが部室で変なことしてたんじゃないかって結構不安だったから」

「……おい、なんでそこで俺を見る?」


 桐花のせいで、変な誤解が生じているかもしれない。


「まさか部長のうっかりだったなんて。部長も可愛いところあるんですね!」


 その言葉に部長も反論できないようだ。気まずそうにあはは、と空笑いをしている。


「じゃあ、私そろそろ教室に戻るね。本当にありがとう2人とも!」


 そう言って元気よく手を振りながら去っていく宮間を見送る。


「最初はなんだこの事件って思ったが、解かれると案外大したことなかったな」


 言っちゃ悪いが拍子抜けというか、肩透かしを喰らったような感覚だ。


「じゃあ、俺も教室にーー」

「あ、待ってください吉岡さん。…………

「は?」



「これから、本当の謎解きを始めましょうか」

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