事件現場にて
「ひっでえ有り様だな、こりゃ」
宮間の証言を聞き出した後、俺と桐花そして石田は柔道場にやってきた。ちなみに九条は例によってボランティア部で留守番である。
事件現場を間近で見るとなかなか凄惨な光景だった。大きく割れた窓ガラス、割れたガラスは室内に飛び散っている。
「明日の朝には業者が入って窓を交換するらしいっすよ。それまでは誰も入っちゃいけないって言われたっす」
まあこんな派手に割れたガラスが飛び散った室内への立ち入りなんて学園側は許さないだろう。生徒が怪我でもしたら大事だ。
「とは言ってもこの現場は何とか調べないといけません。石田さん、職員室から鍵を持って来れませんか?」
「いやいや無理っすよ。鍵を持ち出したら先生にバレるっす」
「他に鍵は?」
「岩野部長が持ってるのだけっすよ。頼み込めば貸してくれるかもしんないっすけど、どっちみちこの部屋には入れないっすよ」
「何でです?」
「この部屋は女子更衣室なんすよ」
女子更衣室だって?
「柔道部に女子部員なんていたか?」
「今はいないっす。だから使ってるのは水崎先輩だけっす」
「ああ、あの先輩か」
確か水崎って、妙に色っぽいマネージャーの先輩だったな。
「1人しか使ってないからこの更衣室の鍵は水崎先輩しか持ってないっす。どうやっても入れないっすよ」
「流石に、女の先輩相手に更衣室入りたいから鍵貸してくれとは言えねえよな」
だが室内の様子を確かめたいのは事実。窓ガラスが割れていてある程度室内を見ることができるとはいえ限界がある。すりガラスであるため無事な片側から確認することはできない。
「大丈夫ですよ。鍵がかかっていますが空いているところから手を突っ込めば簡単に開けられます」
桐花はそう言って割れた窓ガラスに手を伸ばしーー
「馬鹿!! 何考えてんだ!?」
慌てて桐花の手を掴んで止める。
「え? い、いや鍵を開けようと……」
「手ェ切ったらどうすんだこの馬鹿が!」
「で、でも中を確認しないと……」
「俺がやっから下がってろ」
戸惑う桐花を強引に後ろに追いやり、慎重に割れたガラスの間に手を差し込む。
幸いにも鍵の周辺が綺麗に割れていたため難易度は高くなかった。フックのような形の鍵を(後で桐花に聞いたがクレセント錠と言うらしい)倒し、解錠する。
窓ガラスがこれ以上割れないようにゆっくりと開け、土足のまま室内に入り込む。踏み込むと足元からガラスの割れる音がした。
室内を散策する。女子更衣室とはいうが中は特段色気のあるものはない。並べられた金属製のロッカーは無骨で、おそらく作りは男子更衣室と大差ないはずだ。
地面に落ちたガラスに足を取られないよう注意しながらあたりを見渡すとある物を発見した。それは、柔道部の更衣室ではまず見かけない物だった。
「桐花、これ」
桐花に差し出す。
「これは、野球ボールですか?」
「ああ。多分体育の授業で使ってるやつだ」
薄汚れて茶色く変色した軟式のボール。間違いなく窓ガラスを割った物だろう。
おそらくだが、片付け忘れた物がこの柔道場近くまで転がってきたのだろう。それがガラスを割るのに使われたんだと思う。
ひとまず外に出て窓を閉める。
その時に気づいた。薄暗い室内ではわからなかったが、このボールに不自然な汚れがついていた。
「ひっ! それ、血っすか?」
そう、ボールには乾いた血がベットリとついていたのだ。流石の桐花も顔を引き攣らせる。
「誰の……血なんでしょうか?」
思い出す。タケルを追いかけた時に見た、アイツの手のひらに巻かれていた包帯を。
「多分タケルのだ。アイツの手のひらに巻かれた包帯を見たし、アイツ自身もガラスを割った時に切ったって言ってた」
「ガラスを割った時に、切った?」
直後、桐花の動きがピタリと止まる。目の焦点がブレ、視線が虚空を彷徨う。
「…………あ」
そう短い声を上げた瞬間、割れた窓のそばでいきなり四つん這いになった。
「ちょ、ちょちょ。何やってんだお前?」
短いスカートの中が見えそうになって慌てて目を逸らす。いくら何でも人目を気にしなさすぎだ、ここには俺と石田がいるんだぞ。
「……あった。やっぱり」
桐花はポケットから取り出したハンカチでその何かを包むように拾う。
「何を見つけたんだ?」
こいつの奇行にはある程度慣れたが、それでもやはり説明は欲しい。
「証拠です。剛力さんが窓ガラスを割った理由となる重大な証拠」
「な…………わかったのか!?」
驚きのあまり桐花に詰め寄る。
「……でも、だとしたら一体誰が? ……! まさか!?」
しかし桐花は俺の存在を忘れてしまったかのように思考に没頭する。そして、急に何か思い至ったのかガバリと顔を上げた。
「石田さん、柔道部の部長さんの連絡先はわかりますか?」
「へ? そりゃ当然知ってますけど」
「では、今すぐここに呼んでください」
「え! いやいや、流石に先輩を呼び出すはちょっと……」
躊躇する石田だが、桐花は詰め寄り強引に促す。
「いいから早く!」
「は、はいっす!」
迫力に負けた石田は携帯を取り出し渋々電話をかけた。
「……あ、部長っすか、お疲れ様っす。お昼にすんません、ちょっとお願いがありまして……はい。その、申し訳ないっすけど道場に来てもらえないっすか? ……はい、今からっす。桐花さんがどうしてもって……はい、その件です」
電話先の相手には見えないだろうに、何度も頭を下げながら石田は会話を続けている。
「はい、すんませんお願いします…………ふう、何とか来てくれるみたいっすよ」
緊張のせいか額に汗をかいている石田はやり遂げたような表情を浮かべる。
「ありがとうございます。ではもう一つお願いが、職員室に行って柔道部の鍵の貸し出し履歴を確認してきてください」
「へ?」
「確か鍵の貸し出しって日時と借りた人間の名前を書かないとできませんでしたよね? 昨日最後に鍵を借りたのは誰か、今日最初に鍵を借りたのは誰かを調べて来てください」
「いやいや待って欲しいっす! 部長今から来るんすよ?」
「私たちが対応しますから」
「…………後輩が部長呼び出しておいて、本人がその場にいないなんて、そんな無法通るわけねえっす」
「いいから早く!!」
「は、はい!」
「駆け足っ!」
「うっす!!」
職員室に向かって全力疾走を決める石田を見送る。タチ悪いなこの女。
しばらくすると、石田よりも先に柔道部の岩野部長が現れた。
「よう、何か話があるんだってな? ……ん? 石田はどうした」
「ちょっと用事があって外しています」
「…………ほう」
こっわ。たった2文字なのにとんでもない迫力だ。心の中で石田に合掌する。
「それで、剛力が窓ガラスを割った件だったな」
「はい。部長さんにはいくつかお聞きしたいことがあります」
そんな高校生離れした気迫の柔道部部長に対して桐花は一切物怖じしない。それを見た部長さんはふむと興味深そうに鼻を鳴らす。
「こちらからも聞かせてくれ。今更何を調べているんだ?」
「もちろんなぜ剛力さんが窓ガラスを割ったのか? ということです」
「……わからんな。剛力が窓ガラスを割ったのは事実だろう? そこに理由があると?」
「逆に聞きますが、部長さんは疑問に思わないのですか? 剛力さんは理由もなくそんなことする人だと思っているのですか?」
「思っているわけがない。アイツが入部して一月ちょっとだが、その人となりは知っているつもりだ。俺が知りたいのは、なぜ部外者のお前がそこまで熱心に庇おうとするのかということだ。本気で何か理由があると思っているのか? アイツのことを何も知らないお前が?」
「……そうですね。私は剛力さんと喋ったこともありません。どんな人間かなんて全く知りませんよ」
試すような視線を向ける部長。桐花はその視線を正面から受け止め、答える。
「ですが、私のよく知っている人が剛力さんのことを信じている。それだけで十分なんです」
堂々とした答え。それを見た部長さんはどこか満足気に笑う。
「いいだろう。聞きたいことがあるなら何でも聞けばいい」
「ありがとうございます。では早速、昨日部活が早く終わったと聞きました。部活終了後何をしていましたか?」
「ん? 俺のことを聞いてるのか? 剛力のことじゃなくて?」
「まあ、アリバイ確認のようなものです」
アリバイって、別にこの人が窓を割ったわけじゃあるまいし。
「まあいいが……昨日は街を適当にぶらついていた。普段部活でできない買い食いなんかを楽しんでたよ」
「そのことを証明する人は?」
「……いや、いない。1人だったしな」
ここでわずかだが部長さんが言い淀んだことに気づいた。俺が気づいた以上桐花が気づかないわけないのだが、なぜか桐花はそのことを指摘することなく次の質問を行なった。
「では次に、水崎マネージャーとは付き合ってるんですか?」
「は?」
唐突な質問に部長は目を見開く。
「いや……待て待て。何だその質問は?」
「重要なことなんです。答えてください」
俺はここで桐花の悪い癖が出たのかと思ったが、桐花の目はどこまでも真剣だった。
部長も何でも聞けばいいと言った手前、困惑しながらも渋々質問に答えた。
「いや、付き合っていない」
確か石田が部長と水崎マネージャーは付き合っているという噂があると言っていたが、部長は交際を否定した。嘘をついているのかと思ったが、表情を見る限りどうもそんな様子もない。
「では、水崎マネージャーから告白されたことは?」
「…………」
苦虫を潰したような表情で黙り込んだ。だが、その沈黙が答えであったようだ。
「部長さん、あの先輩に告られて断ったんすか?」
あの色っぽい先輩に告白されたら俺だったら即OKするだろう。校則なんか知ったこっちゃない感じで。
「…………いいだろう別に、その辺の事情は」
かなり渋い顔で返答される。どうやらこれ以上このことについて触れられたくないようだ。
「なるほど、ありがとうございます」
流石に空気を読んだのか、桐花もこれ以上踏み込むことはなかった。
「では、最後の質問を…………今日のお昼何を食べましたか?」
「…………は?」
「おい、桐花」
いよいよもってわけがわからない。先程までの質問はまだ事件に関連性があるように思えた。だが何だこの質問は? 昼何食ったかだって? ただの世間話じゃないか。
「何って、普通に弁当だが?」
「もっと一品一品正確にお願いします」
桐花の目はどこまでも真剣。それに押されたのか部長も困惑しながら律儀に答える。
「米を主食に、おかずは鰤の照り焼き、アスパラベーコン、ほうれん草のおひたし、きんぴら、卵焼き、あとプチトマト」
「素晴らしい。栄養バランスも完璧な理想的とも言える内容ですね」
「……ああ」
部長さんは横目でチラリと俺の方を見て視線で訴えかけてくる。
『何考えてんだこの女?』
すみません部長さん、俺にもわかんねえっす。
混乱する俺たちをよそに桐花は口元に手を当て何やら考え込んでいる。
「すんません! 今戻ったっす!」
その時石田が後者の方から走って戻ってきた。
「……石田、俺を呼び出しておいてほったらかしとはいい度胸だな」
「ひっ部長! すんませんっす!」
桐花の意味不明な質問に付き合わされてフラストレーションが溜まっていたようだ。後輩にその苛立ちをぶつける。
「石田さん。頼んだものは?」
だが桐花はそんなこと部長さんを無視して石田に話しかける。
「あ、はい。鍵の貸し出し履歴っすよね。昨日最後に返却されたのは昨日稽古が早くに終わった直後っす。で、今日最初の貸し出しは朝6時10分、剛力くんっす」
「なるほど、やはりそうでしたか」
今のやり取りで納得した様子を見せる桐花。
ほんの少しだけ目を閉じて深呼吸を一回。そのあと目を開けてこう言った。
「謎は全て解けました」
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