第20話 また会う日まで

 わたしの手が、ヒロさんによって赤い光の塊から離された。

 赤い光は重力から解放されたかのように、窓辺へと流れてゆき、そのまま空へと舞い上がる。

 わたしの体も、窓辺へと流れていった。

 ヒロさんが抱きかかえて、運んでくれたのだ。

 赤い光を目で追う。

 光は高く、高く舞い上がり、やがて見えなくなった。

 元の世界へと戻ったのだろうか。

「良い話が1つと、良くない話が2つあるんだけど、どっちから聞きたい?」

 ヒロさんが、わたしをベッドに横たえながら言う。

 どうしてか、体にほとんど力が入らない。

「悪い話から、お願いします」

「まず1つ。君はいま体が思うように動かなくなってきていると思うけど、それは体の半分が、元の世界へ戻ろうとしているからだ」

「それって、良い話じゃないですか?」

君が『ろう者』の世界へ。もうこの世界で『聴者』として暮らすことになる」

 世界は違うけれど『ろう者』と『聴者』の、わたしが同時に存在する。

 わたしは、どちらの世界も否定する気にはなれなかった。

「それなら、悪くない話です。もう1つの悪い話は何ですか?」

「2つの世界の君は、両方共が僕と出会ってからの記憶を、覚えたままそれぞれの世界へ戻ることになる。君以外の関係者は、そのうち忘れてしまうけどね」

 つまり、わたしは親友の琴乃や、父、母、妹などの本心を知った状態で、これから生きていくことになるということか。

 いままで、色々と誤解していたことで、生きづらかったけど、それも違った方向へ進んでいくだろう。

 2人のわたしは『ろう者』と『聴者』の記憶を持ったまま生きていく。それも悪くないかと、いまのわたしには思える。

「それも悪くない話しですね。じゃあ、最後に良い話を教えて下さい」

 体から感覚が無くなっていく。

 もうすぐ、わたしはそれぞれの世界へ戻るのだ。

 まぶたが、やけに重い。

「もうすぐ、僕は『別の世界』へ行かなければならない。他の『カミカクシ』を倒さなければならないからね」

「それって……最悪じゃないですか」

 ヒロさんは、手の甲を前にしたピースサインを作り、右から左へと振る。

 それは再会を約束する手話だった。

『またね』


 消えゆく意識の中で、ある事に気がついた。

 わたしは一時的に、触れた人の記憶を、見られるようになっていた。そのはずだ。

 なのに、なぜヒロさんの記憶を、見ることが出来なかったのだろう?

 ひょっとしたら、ヒロさんは自分の記憶を『カミカクシ』に食べられたのではないだろうか? だから『カミカクシ』を倒している?

 何らかの方法で、記憶を取り戻すために。

 いや、わたしと『関わりの深い人物』しか、記憶を見られないんだっけ?

 だとしたら、ヒロさんは『関わりの深い人物』ではないってこと?

 それはそれで寂しい。


 全てが、あくまでも憶測。


 ヒロさんのことだから、単に『カミカクシ』が美味しくて狩りをしているのかもしれない。


 そもそも人間ですらないのかも?

 食べて腕が生えるなんて、おかしすぎる。


 あぁ、もう会えないのかな。

 いろいろありすぎて、なんだか笑えてくる。

 笑えて笑えて、涙が止まりそうにない。


 肩を叩かれて目を覚ました。

 目の前には、わたしの顔を心配そうにのぞき込む、明日和の顔があった。

 明日和は、右手の指先を閉じて、その指先を左肩に触れてから、そのまま右肩まで移動させた。同時に首をかしげつつ、眉を上げる。

『大丈夫?』

 手話だ。

 どうりで静かだと思った。でも、前とは違う。

 わたしはこの世界が大好きだ。

 この世界のみんなが、大好きだ。

 わたしは明日和と同じ動作をしながら、とびきりの笑顔を作って見せた。

『大丈夫♡』

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