第12話 隠しごと

「手を離すんだ」

 耳元で、ささやきが聞こえて、意識がもどる。

 ヒロさんの声。けど、姿はない。

 わたしは父から手を離して、食事に戻った。

 何事もなかったように、最近読んだ本とか、流行っている食べ物とか、ホントどうでも良いことを話しながら。

 けれど、わたしも父も母も、どこか少しギコチナイ。

「ごちそうさまでした」

 わたしは席を立ち上がる。

「明日は10時に家を出ようと思っているから」と、父。

「わかった」

 わたしは、なるべく明るく心がけて答えると、階段を上がった。


 祖母は生きていた。

 なのに、父はそれを今まで隠していた。

 それは、わたしが『ろう者』だった世界でも、この『聴者』の世界でも同じらしい。

 祖母が『ろう者』だということを、わたしに知られたくなかった? いや、そんな単純な話ではないんだろう。

 ただ、会えば何かわかるような気がした。

 会わなければならない気がしたのだ。


 2階へ上がると『あすわの部屋』というプレートの下がった部屋……つまり、わたしの部屋のドアを開けた。

「やぁ、部屋の中で待たせてもらったよ♡」

 そう言って、わたしの部屋の中に座っていたのは、ヒロさんだった。

 女性の部屋に、男性が勝手に入って待っているというのは、どうかと思うところなのだけど。

 ヒロさんの状態が、そんなことを言っている場合ではないことを、ものすご~くアピールしていた。

 端的に言うと、ヒロさんの左腕が、無くなっていたのだ。千切れていたと言うべきか、もぎ取られていたというか。

 左肘の辺りで、先が無くなっていたのだった。

 鋭利な切り口ではなく、無理やり引きちぎったようにも見える。その傷口からは、赤い血の代わりに、黒い液体が流れ出してていた。

 血? なのだろう。

 見るからに痛そうなのだけれど、ヒロさんは困ったように微笑んでいる。

 ばつが悪い感じの笑み。

 わたしは慌てて部屋に入ると、扉を閉めた。こんな状況を見られたら、説明が面倒すぎる!

 というか、ヒロさんのケガは尋常じゃない。

「ヒロさん、それ……」

「ごめん!」

 ヒロさんが残っている右手で、わたしに拝むような仕草をしながら言った。

絨毯じゅうたん汚しちゃって、本当にごめん。いまは、周りの空間を別の物にしてあるから。血で汚れてているのは、ほんの少しなんだよ。たぶん、それほど目立たないと思うし……」

 言われて、ヒロさんの周りをあらためて見ると、なんだかボヤケていた。黒い血も、そのボヤケの上にある。

「絨毯なんか、どうでも良いです! それより、その傷はどうしたんですか。早く病院へ行かないと!」

 ヒロさんの傷は、どう見ても『死に至るケガ』だった。なのに、なぜか当の本人は冷静で。

「これくらいなら平気だよ。見た目ほど大した傷じゃないし、食べたらそのうち治ると思うから。なにか、食べ物とかないかな?」

 ……どこまで本気なんだか。

「お菓子なら少しはあるけど」

 わたしは小腹が空いたとき用に、お菓子をストックしていた。その中のスナック菓子を一つ、ヒロさんの血だらけの右手に渡す。

 するとヒロさんは、思い詰めた顔をして、こう言ったのだ。

「あの、大変申し訳ないんだけど、お菓子の袋を開けてもらえると、嬉しいんだけど。ほら、左手が無いから」


 ヒロさんはお菓子を食べ終わると、すぐに部屋を出て行った。

 親に見つかるかと、慌てて追いかけたけど、すでに姿はなかった。消えることが出来るのだ。慌てる必要はなかった。

 耳元で「元の世界に戻したくなったら言ってくれ。いつも、そばにいるから」というヒロさんの声が聞こえた。

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