第3話 家族について

 わたしの家は4人家族だ。

 父、母、私、妹。

 ろう者(聞こえない人)なのは、わたしだけ。

 つまり、わたし以外は『普通』で、わたしだけが『障がい者』ということだ。

 この意味を最初に知ったのは、わりと幼い頃のことだった。幼稚園に上がる前のこと。


 近所の人が、口をパクパクさせて、笑っているのを見て、違和感を感じた。

 わたしは家に帰って、母にそのことを尋ねた。(その当時、まともに手話を出来るのが、近くに母しかいなかったから)

 すると母は、この世界には『音』があり、わたしはそれを知ることが出来ないのだと、教えてくれた。そして、どれだけ頑張っても、聞こえることはと。

 だからこそ頑張って『普通』になる努力をしなさいと。

 全部を理解したわけではなかったけど、母の表情を見て、大切なことだというのはわかった。

 

 母は、わたしに厳しかった。

 手話を覚えさせる一方、聴者ちょうしゃ(聞こえる人)の前では手話を禁止された。

 小学校から、ずっと聴者と一緒の学校に通わされ、ろう学校は週2回(読唇と口話を覚える為)だけ通っていた。

 聴者の前では、読唇どくしん(口の動きから言葉を読みとる)と口話こうわ(言葉を発する)で話せという。ろう者なのに、完全な矛盾。

 どれだけ大変なことなのか、聴者はわかっているのだろうか? 自分で聞くことの出来ない『声』を、正解がわからず発するのだ。

 合っていても、間違っていても、とにかく実感が持てない。ただ、ただ繰り返して、感覚で暗記していくしかない、この無限地獄。

 でも母が望むなら、そうするしかなかった。


 理由なんてどうでも良いのだと思う。母は自分の娘が、ろう者であることが許せないのだ。

 わたしは、母が歌手だったことを知っている。隠されるように、押し入れの奥にしまい込まれた、CDと写真を見つけたのだ。

 そこには20年くらい昔の母が写っていた。


 わたしは、ただただ母に従い、逆らうことなど出来なかった。

 わたしは、ろう者でありながら、ろう者の世界をよく知らない。そんなわたしが、独りで生きていくのは難しい。

 父に助けを求めても、見て見ぬふりをされるだけ。いつも、そうだ。


 父は、わたしが嫌いというより、興味が無いようだった。

 わたしのことには関わらず、いつも遠巻きに見ているだけ。

 手話も積極的に覚えてはくれない。

 わたしとの会話は、ほぼ全てが口話。だから自然と会話は減る。


 あとは名前について。

 わたしの名前は白石知子しらいしともこ

 父は白石和彦しらいし かずひこ

 母は白石智佐しらいし ちさ

 わたしの名前は、母の智佐の『智』の字(上の部分)から取ったらしい。あと『智』は『とも』と読むことが出来るから。

 そう、父の字は入っていない。

 妹の名前は明日和あすわ。父(和)と母(『智』の下の日の部分)から、名前を受け取った、愛された子供。

 わたしと違い、聞こえる子供。


 妹は、わたしから全てを奪っていく。

 父も妹とは普通に会話をした。

 妹は優しい。

 母が仕事でいない時や、わたしが病院へ行く時など、通訳をやってくれる。それも、嫌な顔せず。

 だから両親からも、周りからも愛されている。

 両親から、妹が叱られていた記憶は、ほとんど無い。

 ただ、妹が中学1年の時、軽音部に入ったのを母がひどく叱った。

『姉が聞こえないのに、どういうつもり!』と。

 けれど、わたしは母に、妹の部活を許してあげるようにお願いした。

 そうでもしないと、あまりにも惨めじゃないか、わたしが。誰かの足を引っ張ってばかりなんて!


 けれど、1年後に妹は部活を辞めてしまう。そして、わたしが手伝い始めたボランティア活動に参加し始めた。

 妹は優しい。優しすぎる。


 わたしは妹が大好きだ。

 それと同じくらいに、わたしは妹が大嫌いだ。

 でも、妹の助けが必要なときもある。だから、わたしは微笑む。

 嘘で塗り固められた微笑み。


 わたしは死にたいと思っていた。

 ここは、わたしの理想としていた世界なのかもしれない。

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