第10話 楽しい晩ご飯

「妹さんが、この世界にいないのが、納得できないんだね」

 わたしはうなずく。

 するとヒロさんは大げさに肩をすくめ「ちょっと用事が出来たから」と、文字通り『姿を消して』しまった。

 ヒロさんのいない間に、わたしが『カミカクシ』に襲われたら、どうしたら良いのだろうか?

 いろいろと不安はあったものの、考えても仕方が無い。

 開き直ってシャワーを浴びると、2階へ上がった。2階には、わたしの部屋があるからだ。

『あすわの部屋』

 わたしの部屋のドアには、そんなプレートが掛かっている。

 この世界の、わたしの名前。そして、このプレートを取り付けたのは、わたし自身だ。

 記憶があった。

 ドアを開け、部屋の中へすべり込む。その勢いのまま、ベッドに突っ伏した。


 コンコン。


 扉を叩く音で、わたしは寝てしまっていたことに気がつく。

 窓の外に目を向けると、辺りはすっかり暗くなっていた。

「はい」

「夕飯よ。お父さんも待ってるから、早く降りてきなさい」

 父がいる。

「いま行く」

 父に聞かなければいけないことがあった。それは、たぶん妹が生まれなかったことに関係しているから。

 父さんは無口(手話もほとんどしてくれない)で、母さんともあまり話さない。

 わたしでは、どうにもできない風景。けれど、妹がいると違った。

 明日和がいるときは、両親とも普通に『会話』をしていた。

 母や明日和は、話しながら手話をしてくれる。だから、話の内容がわかるけど、父は会話だけだった。

 父は、たぶん私が嫌いなのだと思う。

 ダメだ!

 悪いことばかり考えてしまう。


 わたしは飛び起きると、軽く身だしなみを整えて、階段を駆け下りていった。

 テーブルには、スーツ姿の父さんが座っている。帰ったばかりなのだろう。

 父さんの斜め前の席へと、わたしは座った。

 父の正面は、妹の席だったから。

「はい、お待たせ」

 そう言って料理を運んできた母さんは、パジャマ姿だった。いままで、こんな無防備な母は、見たことがない

「おっ、これは美味そうだな!」

 父まで浮かれた感じだ。

 いつもの父なら、パジャマで食卓につくことなんて、許さないはずなのに。

 これも、わたしが聞こえる影響?

「スーパーで買ったお惣菜だけど、皿に移したのは母さんよ♡」

「それは間違いのない味だな」

 と、やはり浮かれたような父。

「まるで、いつもが『間違いのある味』みたいじゃない」

 母はそう言って、父と一緒に笑った。

 絵に描いたような楽しい食卓。でも、わたしが聞こえなかった世界は、こんな楽しそうなものじゃなかった。

 少なくとも、わたしがいる前では。

「さて、いただきましょうか」

 言いながら、母が父の隣に座る。

 このまま、楽しく食事をするのも悪くない。悪くないんだけど、そうはいかなかった。

「父さんに聞きたいことがあるんだけど」

「ん? なんだ、いきなり」

 と、ここで重大なことに思い当たる。

 わたし、なんて聞けば良いんだろう?

 この世界では、耳も聞こえるし。どう質問したら、不自然じゃないんだろう。

 とにかく、自然に、自然に。

「もしも、わたしの耳が聞こえなかったら…」

「耳に何かあったのか!」

 自然にはいかなかった。けど、それにしたって、父さんの慌て方は、普通じゃない。

「ううん、何もないよ。もしもの話だけど、耳が聞こえないで生まれていたら、いまと何か違っていたのかな? とか思っただけで」

 すると母は、父の方を見た。

 父はうなずく。

「お前には、黙っていたけど、どこからか伝わったんだな。父さんの母さん。つまりお前のお婆ちゃんは、聞こえない人なんだ」

 母に触れたとき、わたしに流れ込んできた記憶の中に、確かそんな話もあったっけ。

「そ、そうなんだ。生きていたら、会いたかったなあ」

 祖母は亡くなったと聞いていた。

「実は、生きているんだ。痴呆が進んでいるようだし、手話しか出来ないから、明日和とは話も出来ないだろうから……」

「会いたい!」

 意識せず、わたしの口が言っていた。

 父は、何かを感じとったのだろう。

「よし。もともと明日行くつもりだったんだ。会いに行こう」

「だったら、お母さんも休みを取って……」

「良いんだ、二人で行って来るよ」

 と、何か含みがある父。

 わたしは右手を、父の前に出した。

「父さん、わたしと握手してもらえる?」

「なんだよ、急に」

 父を黙って見詰める。

「わかった」

 父は大きな手で、わたしの手を包み込むようににぎった。

 瞬間、記憶が流れ込んでくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る