第15話 白石キヌ
キヌの両親は、キヌが特別支援学校の高等部を卒業して間もなく、2人とも同時に亡くなった。交通事故だった。
相手のトラックが信号を無視して、両親の車と衝突。キヌの両親だけが亡くなったのだ。
目撃者は複数いた。が、キヌの両親の不注意ということにされてしまう。
理由は不明。
ただ、キヌの両親はどちらも『ろう者』だった。そして、両親のどちらも、家族や親戚から縁を切られていた。
両親の親は、どちらも聴者で、2人の結婚を反対していた。それに逆らって結婚した結果、勘当されたのである。
天涯孤独な『ろう者』の娘より、家族のある
いや、諦めるしかなかったのだ。
身寄りの無いキヌは、一人で生活をするしかなかった。
親戚もいない。頼る人は誰1人として存在しない。それに加えて『ろう者』でもあった。
現在の日本で、差別は存在しない事になっている。が『ろう者』の仕事は限られていたし、低賃金でもあった。
だからキヌは、なりふり構わず働いた。
仕事に就いている『ろう者』は、10%もいないとキヌは聞いたが、事実かどうかはわからない。ただ、ろう者に対する仕事が少ないというのは事実だった。
それでもキヌは、働かなければならなかった。
24才で妊娠したのだ。
相手は、同じ工場で働いていた同僚だったが、キヌが妊娠したことを知った途端に、姿をくらました。
家族が出来ると思っていた。だが、男はもう戻らないであろう事は、容易に予想できた。
しかし、キヌには子供を産まないという選択肢はなかった。
例え苦しい生活が待っていようと、家族が出来るのだ。どうして子供を堕ろす事が出来よう。
しかし、予想外の出来事が待っていた。
生まれた子供は『聴者』だったのだ。
『ろう者』のキヌが、たった1人で『聴者』の我が子を育てることは無理だろう。
決定的なのは『言葉』だ。
キヌは『言葉』を話せない。なのに、言葉を教えるなどということか、出来るはずもない。
キヌの大切な子供の名前は、和彦という。
穏やかな人生を歩めるように、希望を込めて、キヌが名前をつけた。
大切な、たった1人の家族の為に、キヌは『聴者』に助けを求めた。
キヌは全く
だが、いまは状況が違う。子供のためなら、どんな顔をされようと、酷い扱いをされようと、それは些細なことでしかなかった。
キヌは最悪の結果を想定しながらも、人生で最大の勇気を持って、役所へと事情を説明しに向かった。
すると思ってもいない展開が待っていた。
役所の職員が、親身になって話しを聞いて(おぼつかない筆談ではあったが)くれたのだ。その結果、生活保護を受けることになり、さらに子供の相談にものってもらえた。
『聴者』にも、良い人はいるのだと、当たり前のことに気がついた。
聴者の協力も得て、子供はスクスクと育ってゆく。
和彦は、キヌと生活していくうちに、自然と手話を身につけていく。
些細なことかもしれないが、キヌにとって、かけがえのない幸せな時間だった。
キヌは働いた。とにかく働いた。
水商売でもなんでもした。
とにかく飢えさせないために! 子供のために出来ることを、キヌは他に知らなかったのだ。
キヌは、子供が自分を避けるようになったことを感じていた。
ある日、偶然、同級生らしい子供に『ろう者』とからかわれているのを見かけた。
「バカ」
「おまえの母ちゃん、キモチ悪い」
と、彼等が言っているのが読み取れた。
口話は出来なくても、悪い言葉はなぜだか、読み取れてしまうから不思議だ。
その日から、キヌはなるべく外で、和彦に近寄らないことにした。
和彦は高校を卒業すると、隣の県で働くと言い出した。付き合っている女性がいることを知っていたので、それが関係していることは、容易に予想がつく。
せっかく出来た家族。それが無くなってしまう。
キヌにとっては絶望的な話だったが、引き止めることはしなかった。
自分と一緒にいれば、この先も差別されるだろうと思ったのだ。
そして半年ほどの時が流れる。
キヌは仕事中に、いきなり倒れて意識を失った。
意識を取り戻したのは1週間後のこと。
キヌは、多くのことを忘れていた。
それとは別に、体験したことのない記憶を、持っていることに気がつく。
まるで、もう一人の自分が存在する世界の出来事のように。
何が現実か、何が虚構かがわからない。
孫が出来たと『記憶』で知った。
孫は『ろう者』だ。
キヌは涙を流した。
なぜだか、キヌ自身にもわからない。
ただ、血の繋がった孫が、自分と同じ『ろう者』だったことが、理屈抜きに嬉しかったのだ。
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