第14話 ろう者と老人ホーム
バスの終点にあるのが、わたし達の目的地である老人ホームだった。
最前列に座っていた2人の乗客は、すでに降りていて、わたしと父しかいない。
途中で3人が乗り降りしたけど、終点までは乗っていなかった。
もともと利用者が少ないのだろう。
交通の便も悪く、人通りなんてない。
まるで人目を忍ぶように建てられた老人ホーム。
不意に『ウバステヤマ』という言葉が浮かんだ。
祖母が現在住んでいるのは、想像していたよりは、ずつと良さそうな老人ホームだった。
といっても、老人ホームというものを、わたしはよく知らない。なんとなく、老後に1人で生活できない人が、お世話をしてもらう場所のようなイメージがあった。
偏見かもしれない。でも、わたしの祖母はそうなのだから、それほど見当違いでもないだろう。
「それにしても……」
バスを降りて目の前、そこが老人ホームだった。けど、なんか建物が老人ホームというより、もっと別な感じがする。
古い3階建ての建物は、どこか懐かしい空気が漂っていた。
建物の中央、3階の上に突き出た部分。そこに大きな時計があった。
「そうか!」
まるで、古い映画に出てくる小学校のようだと思ったら、実際その通りだったらしい。
「廃校した小学校を、再利用してるんです」
建物の中で、老人ホームの施設長である田中さんが、わたし達を迎えてくれた。
田中さんは41才と、まだまだ若い。
見た目は、かなり体育会系な感じで、ガッチリしている。昔は、かなりヤンチャなことをしていた雰囲気が、そこかしこに漂っていた。
「キヌさん、お孫さんの事を、よく話されるんですよ」
「話す?」
「あっ、話すと言っても、手話でですけど。時間が無くて、独学でやっているので『まだまだ』ですけどね」
と、田中さんは『まだまだ』のところを手話でやってみせた。
叔母の為に覚えてくれたのだろうか。だとしたら、とても嬉しい。
父は、そんな田中さんへ、申し訳なさそうに言った。
「母の話は、妄想ですから。孫の名前は明日和なのに『知子』だと思い込んでいたり。自分と同じ『ろう者』だと勘違いしていたり」
それを聞いて、わたしは胸の鼓動が早くなる。
もしかしたら祖母は、わたしの影響を受けて、この世界で別の記憶を持ってしまったのではないだろうか? そのせいで痴呆症だと思われているのかもしれない。
とにかく会わないと。
「お祖母ちゃんは、どこにいるんでしょうか」
「キヌさんは……だいたい、いつも『指定席』にいますよ」
と田中さんは、表情を曇らせた。
「校長、娘さんか」
「校長、ここにドーンと畑作ってええかな?」
「たまには、運動でもせんね、校長」
行く先々で、田中さんはお年寄り達から声を掛けられていた。
どうやらホームの人達には『校長』と呼ばれているようだ。親しみが、声からも伝わってくる。スタッフの表情も明るい。
きっと、老人ホームとしては、良いところなのだろう。
ただ、どんなに良い老人ホームの施設長だろうと、1人で全員を見られるわけではない。必ず漏れが出てくるものだ。
祖母は、校庭の見えるフリースペースで、ゆったりとした席に座っていた。誰も近寄らないし、声もかけない。
誰にも見えない世界に、独りでいるようだった。
父と似た顔をしている。優しく丸い目と、厚ぼったい唇が特にそっくりだ。
老人ホームの入居者同士が、仲良く話をしていた。その輪の中に『よそ者』は入ることが出来ない。
わたしも聴者の学校では、同じようなものだった。
ふと、祖母は何かに反応して振り返り、わたしと目が合った。そして素早く手を動かす。
『あら、初めまして知子。知らないけど、知っている孫』
「母さん、明日和は手話を使えない……」
言いながら手話で説明しようとする父を、わたしは押しのけて、手を動かした。
『初めまして、あなたに会いに来ました』
『嬉しい』
わたしから近寄っていくと、祖母は両手を伸ばして、抱きしめてきた。
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