第1話 聞こえる世界
手に何かの触れる感触があった。
誰かが、わたしの右手をつかもうとしている。男の手だ。
視線を上げ、その男と目が合う。
同じクラスの
いつも、わたしを苛める男。
なんで、コイツがここにいるの?
あれ?
どうしたんだろう。わけがわからない。
落ち着いて、とにかく現状の確認だ。
ここは駅前。
最寄り駅ではなく、よく買い物に行くときに使う駅。
わたしは制服を着ていない。桐咲も私服だ。
桐咲の手がいままさに、わたしの手をつかもうとしている。
わたしを捕まえて、どうするつもりなの?
また嫌がらせに決まっている。
「やめて! どういうつもりよ!」
桐咲の手を振り払う。するとアイツは、思ってもいない反応をした。
『信じられない』という目で、わたしを見たのだ。
途惑いと不安の混ざった表情。
「ごめん……なにか気に障ったかな」
と桐咲。
本気で言ってる。
これが演技なら、役者で食べていけるのではないかと思えるくらい。
わたし、好かれている? いや、それはあり得ない。
わたしは何年も何年も、この男に嫌がらせを受けてきたのだから。
「帰って!」
「……わかった。また、電話するよ」
桐咲はそう言うと、納得がいかないといった表情で、何度も振り返りながら去って行った。
はたから見れば、まるで恋人同士の痴話ゲンカに見えるんじゃないかな。
考えるだけで気持ち悪い。
もちろん、わたしは電話番号を桐咲に教えた覚えなんてない。
「あの男は、よほど嫌われるようなことをしたんだね」
男の声が、右耳のすぐそばから聞こえた。
息が、わたしの耳にかかり体を引く。
「えっ?」
わたしよりは年上に見えたけど、せいぜい20才くらいの男がいた。
見覚えは全くない。
男は、肩より少し長い髪を、後頭部あたりで無造作に縛っていた。
黒いジャケットに、薄汚れたジーンズ姿。
今日は、変な男と縁がある日なのかもしれない。
「わたしと、知り合いではありませんよね?」
「知らないね。でも、キミが混乱していることは知っているよ。だって『匂う』から」
この男! いま、わたしの事を『におう』って言ったの!?
「しっ、失礼な! 今朝だって、シャワーを浴びて……」
わたしは今朝のことを思い出そうとして、違和感を覚えた。
『身に覚えのない記憶』が、次々と浮かんできたからだ。
えぇと……わたしは今日のデートの為に、今朝は早めにシャワーを浴びたんだっけ。
デートの相手は『桐咲』だ!?
「えっ、えぇ? だって桐咲は、わたしをイジメていて……なのに、なんなの、この記憶は?」
「あの男は、君をイジメていたのか。イジメの原因は?」
この男は何を言ってるの? すぐわかる事じゃない!
「そんなの、わかるでしょ? わたしが話せないから! ろう者(聞こえない人)だからよ!」
あれ?
「ふ~ん。ろう者なのに、僕の質問は聞こえるし、話し言葉の発音も完璧だ」
男は大げさに肩をすくめて見せた。
「どうして? 聞こえるし、話も普通に出来てる?」
男は驚きもせず、頭をポリポリかくと、わたしにこう言ったのだった。
「説明してあげるから、何か食べ物をおごってくれないかな。なんでも良いから」
「そんな見ず知らずの人の話なんて、信じられるわけが……」
男は手を上げて、わたしの話をさえぎった。そして、代わりに彼が話し出す。
「僕のことはヒロって呼んでくれ。『ヒーロー』だから、ヒロ。君の名前は?」
「
「じゃあ、これで見ず知らずじゃなくなったわけだし、知子さんよろしく♡」
男……ヒロはそう言って、とびきり無邪気な笑顔を浮かべた。
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