シン桃太郎
「今日は映画に誘ってくれてありがとう。僕、そんなに映画に詳しくないからあんまり気の利いた感想とか言えないかもだけど」
「何、いいってことよ。映画オタクの感想ばっか聞いてても気付きがないしな。この映画は新時代的でありながら親しみやすく、誰が見ても大丈夫な映画だ」
「そう、なら良かったよ」
僕はポップコーンを食べる。会場の照明が落ちて暗くなる。僕は自然とわくわくしてくる。映画研究部の友田に誘われて久しぶりに映画館に来たが、大きなスクリーンと完璧な音響の中で映画を楽しむのはやっぱりいいな。今日公開されたばかりの映画で、日本中で期待値の高い作品だ。それを最初の会で観られることに誇らしさのようなものさえ感じる。
黒い画面にタイトルが現れる。『シン桃太郎』。ナレーションがゆったりとした声で入る。きれいな発音で抑揚のないナレーション。おしゃれなオープニングクレジットとともに画面には山道を走る軽自動車が真上から映される。
『昔昔、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました』
軽自動車はガードレールに激突して止まる。歪み、煙を上げるフロント。高齢者運転のなせる業である。中から舌打ちしながらおじいさんが出てくる。かなり高齢で、足元が心配になるほどおぼつかない。おじいさんは乱暴に車のトランクを開け、中から洗濯板とたらいを出す。軽自動車と洗濯の方法の時代の乖離がすごい。
『おばあさんは川へ洗濯へ』
おじいさんは山に入って言って小川で洗濯を始める。
そろそろ違和感に耐え切れなくなった僕は友田に耳打ちする。
「どういうことかな。洗濯しているのはおばあさんじゃなくておじいさんじゃないの?」
「しーっ、映画は静かに観るもんだ。あとな、お前、最近の時代、そんなこと言ってると白い目で見られるぞ。見た目はおじいさんだけど、中身は立派なおばあさんの可能性だってあるじゃねえか」
「性自認の話?」
友田はスクリーンに顎をしゃくる。シーンが切り替わって今度は別の山が映し出される。山の中腹に建てられた山小屋風の若干おしゃれな家の庭で、芝を芝刈り機で刈っている人物にクローズアップされていく。芝を刈っている人物は金髪ピアスでちゃらちゃらしたアクセサリーで身を固めた若い青年だった。鼻歌を歌い、咥え煙草をふかしている。
『おじいさんは山へ芝刈りに行きました』
「ちょっと待って。おじいさんはどこ?」
「馬鹿かお前は。目の前にいるだろうが」
「このチャラい若者のこと?もしかして年齢自認?」
またシーンがおじいさん、いや、おじいさんの見た目をした、性自認が女性のおばあさんのほうへ戻される。
『おばあさんが洗濯をしていると、川の上流のほうから、どんぶらこ、どんぶらこと大きな桃が流れてきました』
『おやまあ、立派な桃だこと。持って帰っておじいさんと一緒に食べましょう』
おばあさんは桃を拾い上げ、洗濯物を一緒にたらいに入れて軽自動車に戻っていった。フロントのへこんだ軽自動車は山小屋風の家まで戻って来る。
『おじいさん、芝刈りお疲れ様です。川で桃を拾ったので一緒に食べましょう』
『おお、ありがとう。おそらく上流の桃農家の商品だろうけど、その敷地から出たものはもう所有権を主張できないからな。俺たちが食べても問題ない!』
チャラい若者、いや、年齢自認が高齢者のおじいさんは芝刈り機をしまって家の中に入る。
「なんか説明くさいな」
「法律を著しく破ったりする映画は観る人に悪影響を与えかねないからな。炎上を防ぐためにもこれは合法だという説明をしっかり入れておく必要があるんだよ」
おばあさんは包丁を桃に当てた。その瞬間、桃はひとりでに真っ二つに割れて中から元気な赤ん坊が出てきた。
『桃が孕んでる!』
赤ん坊はきちんと戸籍登録などを経て、合法的にすくすくと育った。おじいさんとおばあさんはその子に桃太郎と名前を付けた。ちなみに女の子だった。
「もう驚かないぞ。そうだ、別に女の子が太郎って名前に入ってたって、鬼退治したっていいんだからな」
僕は自分に言い聞かせる。
女の子の桃太郎はやがて成長した。おじいさんとおばあさんと桃太郎の間には確かに性別や年齢を超えた愛情があった。ある日桃太郎が言い出す。
『おじいさん、おばあさん、私は向こうの島に住む悪い鬼たちを退治しに行きたいと思います』
『それはなぜじゃ?』
『あの島はもともと我々の国の領土であります。それを鬼たちが不法に占拠し、独自の法律で自治しているのです。見逃しておくわけにはいきません』
『でも、あの鬼たち相当やべーよ。手ェ出さねえほうがいいんじゃねえかな』
『それはなりません。全員が見て見ぬふりをしていれば、この問題は永遠に解決しません。退治と言っても私はやつらと同じように暴力で事を解決しようとは思っていません。対話です。裁判所にこれを持ち込み、それでも解決できなかった場合、しかたないのでプランBとして政府にさらに防衛費の予算をつけてもらえるように申し出ます』
『無理はすんじゃねーぞ。相手はICBMを持ってる。やばくなってきたらすぐに実家に戻って来いよ』
『ありがとうございます、おじいさん』
三人はひしと抱き合う。
『よっしゃ、俺、桃太郎にきびだんご作ってやんよ。パワーが出るのとか、忠誠心がアップするような成分もたっぷり入れておくからよ』
おじいさんは台所に立ち、きびだんごを作り始める。スクリーンには突如、某動画投稿サイトのようにコメントが流れてくる。多くは『料理する夫って最高!』『イクメンだわ!』という旨のコメントである。
「今まで一度も料理してこなかった男が何回か料理したくらいでイクメンって騒がれるの、むかつくな。あー、おばあさんがおじいさんの気ままに汚したキッチンの片づけやってるよ。これでイクメンだなんて最悪だな」
「まあ、落ち着けって」
思わず興奮する僕を友田がなだめる。僕はなんとか自分を鎮め、ポップコーンを数粒口の中に入れて気分を落ち着ける。
桃太郎はやがておじいさんが作ったきびだんごを持って出発する。道中、猫が道端で前足をなめているのに遭遇した。
『やあ、犬。お前も私の仲間になりませんか?』
猫は反抗的な目つきで桃太郎を見上げる。桃太郎はきびだんごを差し出す。猫が一口食べると、やや挙動がおかしくなったかのように見えたが、猫は桃太郎の後をついてくるようになった。しきりに桃太郎の腰の巾着を気にしている。
さらに道を行くと、樹の上に小汚い少年が座っていた。
『やあ、サル、お前も私の仲間になりませんか?』
少年は桃太郎の差し出すきびだんごは警戒して食べなかったが、ついてくるようになった。
「人間の少年をサル役にするのは彼の尊厳を傷つけたりしないのかな?」
「お前のその発想こそが前時代的な差別だよ。勝手に人間はサルより上等なものと決めつけている。少年の自認はサルなんだよ。サルを馬鹿にすることは少年の尊厳を直接傷つけることだぞ」
「そっか、それはごめん」
こういう問題はデリケートで扱いが難しい。僕は、思わずそういう人からは距離を取ってしまいたくなるタイプだ。
桃太郎が犬とサルを連れてさらに道を進んでいくと、やがて海沿いの街に出た。
『やあ、キジ、お前も私の仲間になりませんか?』
桃太郎は、桃太郎自身の体の何倍も大きなお相撲さんに話しかけた。
「いやもうわけがわからないよ。客観的な見た目で見たらこのパーティーは女の子と猫と男の子とお相撲さんになっちゃうよ」
「本人たちの心がそうならそうなんだよ。いいから黙って観ろ」
お相撲さん、いや、キジは首を振って言った。
『いや、雇用の前にはまず労働条件の提示と雇用契約をきちんと結ばないと嫌でごわす』
『確かにそれもそうですね。報酬は日給一万円で、きびだんごに換算して、毎日一つずつ支払います。基本的に土日は休み、残業が発生すれば、八時間ごとに一日分とみなしてきびだんごを追加で支払います。何か資格を持っていれば毎回のきびだんごの支払いを1.1倍にします。社会保険など、福祉も充実させます。どうでしょう』
『副業はありでごわすか?』
『なにをなさっているんですか』
『ブロガー』
『まあいいでしょう。こちらの業務に支障がなければいくらそちらで稼いでいただいてもかまいません』
キジが仲間になった。桃太郎一行は海辺へと向かった。と、思いきや、まず桃太郎が入っていったのは船舶免許取得センターだった。
「いや、なんで!?」
「そりゃ、2馬力以上のボートを運転するためには船舶免許がいるからな」
「そうなんだ……。まあ、法律順守は大事だよね。法律を守らないならず者の鬼たちに物申しに行くんだから自分たちが破っちゃダメだよね」
「そうだ。まあ、キジを仲間にしなけりゃ2馬力以下の海釣り用ボートで鬼ヶ島まで簡単に渡れただろうけどな」
桃太郎は数か月の勉強を経て無事免許を取得した。そして、小さなモーターボートを買って満を持して鬼ヶ島へと出航した。鬼ヶ島はきれいな花が咲き乱れ、白い砂浜青い海の素敵な南国だった。
『鬼!出てこい!裁判所から書類を持ってきた!私と話をしよう!話の内容によっては和解の選択肢もなくはないぞ!』
『ふっふっふ……、よくぞここまで来た。しかし、我々は貴様らの侵略に屈服することはない!』
南国風な木の生い茂る林の中から声がする。そこにカメラはクローズアップしていく。そこにいた鬼は――パイナップルだった。
「パイナップルがしゃべってる!」
「うるせえな。もう慣れたろ。パイナップルの自認は鬼なの」
「もうめちゃくちゃだよ。さっきの桃には自我がなかったのにパイナップルにはあるの?それに、ここまでくるともはや話の筋すら違ってきたよ。鬼は怖そうだから脅威なんでしょ、キャスティングを軽んじない方がいいって。見た目って意外と大事だって。原作者もこんなことを意図して作ったんじゃないと思うよ」
「そういう時代なんだよ。見た目なんか今はどうでもいいの。大事なのは中身なんだよ」
桃太郎と鬼は話し合いを始めた。二人(?)は火花を散らすように激しく口論している。やがて決着がついたようで、桃太郎と鬼はしっかりと握手をした。正確に描写すると、女の子がパイナップルの葉っぱの部分をしっかりと握った。手のひらがチクチクした葉っぱで切れて痛そうだ。
『私たちは今まで、種族が違うから分かり合えないものだと思って相互理解を怠ってきた。しかし、今日心行くまで話し合ってみて気付いたよ。私たちは言葉によって分かり合える!同じ人間なのだから!』
『そうだ。話し合えてよかったよ、桃太郎。またこの島に来てくれよ』
桃太郎は鬼ヶ島を後にして山へと戻った。
『桃太郎、お帰り。鬼退治をしてくれてありがとう。示談金のおかげで年金問題もすっかり解消されたよ。もうスズメの涙ほどの年金をケチケチ心配しながら老後を過ごさなくてもいいなんて夢のようだよ』
おばあさんは桃太郎に通帳を見せる。そこには鬼から振り込まれた1億の示談金があった。
『桃太郎、ありがとう!』
三人はひしと抱き合った。
年金暮らしの夫婦はこういうことを期待して桃太郎を養育したんじゃないのかと無粋な想像が僕の頭に浮かんできたので、首を振って振り払う。
ナレーションが入る。
『犬、サル、キジはその場で解雇された。家来三匹はその後、桃太郎だけが総取りした巨額の示談金を巡って裁判を起こしたが、それはまた別の話である。めでたし、めでたし』
次回予告が映し出され、荘厳な音楽とともにエンドロールが流れる。映画館の照明が点いて明るくなる。僕は自分がどっと疲れていることに気付く。
「これが時代に合った新時代的な映画なんだね……」
「ああ、昔の作品のリメイクの成功の秘訣は今の人間に共感されやすいエッセンスをどれだけ詰め込めるかにかかっているからな」
「友田はこの映画、いいと思った?内面がその人物なのであれば、その役をやる人の見た目はどうでもいい、そんな時代を映した映画」
友田は指先で顎をさするようにする。
「映画研究部の奴らや、SNS、雑誌の記者はみんなこの映画を絶賛している。俺の脳は麻痺して、あまり違和感に気付けていないのかもしれないな」
「僕は犬は犬、サルはサル、キジはキジ、鬼はせめて顔が怖そうな人間のキャストがやってる映画が観たかった」
「映画のいわゆる
ポップコーンは半分以上残っていた。
「時代に合わせて昔の作品をリメイクしていくってなんだか危険なことのように僕は思えるな」
「その時代だからこその表現とかもあるわけだし?」
「そう。昔のものは昔のまんまで楽しむのが、一番作品を創った人の思いが伝わるんじゃないかな」
僕らは映画館を出る。ロビーの明るさにやや目がくらむ。
「お前の意見を聞けてよかったよ」
「僕こそ、映画を観れてよかったよ」
「その感想をSNSとかで発信する予定はあるのか?」
僕は肩をすくめる。
「やめとくよ。すでにネットはこの話題で持ち切りだろうし、いろんな意見を持つ人がいて当たり前だ。それを全部見て、さらに自分の意見をその中で主張して声を張り上げるのはなかなか大変そうだし、不毛な気がする。それに僕らは、SNSに書かないようなことを体験するために生きているようなものだからね」
友田と僕は駅前で別れた。二作目はおそらく観ないだろう。
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