変態
「月が出た出た月が出た 白くまん丸お月様 今宵今宵もお餅つき」
茂みの向こうの広場では、たくさんのウサギたちが歌を歌いながら餅つきをしている。広場いっぱいに点々と置かれた臼の周りに、それぞれウサギが何匹かずつ集まって、杵を振るったり、餅に水を加えたりしている。その周りには色とりどりの法被とハチマキをしたウサギが歌を歌い、踊っている。杵を持って踊っているものもいて、ひらりと舞いながら、時々臼の前のものと、さながら和太鼓の演のように交代している。
歌のリズムに合わせて杵を打ち下ろしたかと思えば、今度は少しだけずらして打ち下ろす。その動きもまた、奇妙な踊りのように見えた。
「いいですか、みなさんも大人になったら、あのように素晴らしい餅つきができるウサギになるのですよ」
茂みの中で、牛乳瓶の底みたいな分厚いレンズの眼鏡をかけた先生ウサギが生徒たちに言った。子ウサギたちは餅つきの様子にすっかり見入っていたので、先生の言葉にすこし遅れて「はい」とか「わかりました」とか生返事を返した。その踊りは見るものを夢中にさせる魔力があるかのようだった。
しかし、ただ一匹、ぴょんへいだけは様子が違った。皆が餅つきに釘付けなのに、ぴょんへいだけはつまらなそうに足元の砂利をいじっていた。
「そろそろいいでしょう。さ、今日はもう遅いから子どもは家に帰って寝る時間です」
先生ウサギが言って、生徒たちはやっと餅つきから目を離した。本当は、子どもは日が落ちてから外に出てはならない決まりなのだった。今日は、もうすぐ大人の仲間入りをする、学校の中で一番学年が大きい生徒だけを連れて、先生ウサギが職場見学を開いたのだった。
🌕 🌕 🌕
次の日、学校の教室の中は、踊りを練習する生徒であふれていた。
「なあ、ぴょんへいは練習しないの?」
うさきちが教室の隅で仏頂面をしているぴょんへいに声をかけた。うさきちのきれいな毛並みには汗が光っていた。うさきちの両親は代々伝わる良い餅を作る餅屋で有名だった。うさきちは両親のように立派な餅屋になるために、そのために一刻も早く一人前の大人になれるよう、踊りの練習に精を出しているのだった。
「その踊り、俺は踊りたくないな」
「どうしてさ。踊りが上手い餅屋ほど良い餅が作れるんだぜ」
「本当にそうかな。餅をつくときに踊ろうが踊るまいが、餅の味に変化なんてないと思うけど」
ぴょんへいの一家はぴょんへいのおじいさんの代からこの山に住み始めたので、あまり古参の餅屋ではなかった。ぴょんへいのおじいさんは隣の山では一番美味い餅を作れたそうだと聞いたことがある。隣の山では踊りの習慣などなかったそうだ。それを聞かされて育ったぴょんへいの父は、踊りを踊らない。
「僕の一族は踊りのおかげで美味しい餅を作り続けてこれたと思う。でも、君の一族のやり方は違うのかもしれないね。誘って悪かったよ」
小さくため息をついてうさきちは踵を返し、皆の輪の中に戻って行った。うさきちは既に教室内の誰よりも踊りの習得が早く、コーチのように皆をまとめあげてレッスンのようなことをしていた。たどたどしい踊りを踊る集団の中で、きれいな毛並みがやけに目についた。
「ふん、皆そろって滑稽な真似をしやがる」
悪態をついたとき、隣に先生が立っていることにぴょんへいは気付かなかった。
「滑稽に見えるかもしれないけどね、踊りは踊れた方がいいと思いますよ」
ぴょんへいは先生の姿にぎょっとして、数センチ飛び上がった。
「俺は、良い餅屋になりたいなら、杵の振るい方や米と水の配分を練習したほうが、よっぽど美味い餅が作れるようになると思うだけだよ」
皆に混ざらず一人でいることに言い訳するようにぴょんへいは言った。
「そういう技術も必要だと思います。でもこの山で餅屋をやりたいなら、この山のしきたりに沿うことも一つの近道なんです」
「あの変な集団の一員に俺自身がなるなんてまっぴらごめんだね。俺は踊りなんか踊らなくても純粋にただ美味い餅を作って評判になってやる」
「月が出た出た月が出た 白くまん丸お月様 今宵今宵もお餅つき」と、生徒たちは歌を歌う。
「あの歌だって、昨日は三日月だったのにまん丸なんて歌いやがって。でたらめだね。大人たちは集団で催眠にかかっているみたいだ。ああいうのを人間の言葉で『しゅうきょう』って言うんだって本で読んだぜ。ああ、呆れっちまう」
先生は眼鏡の奥で困ったように眉を寄せた。
「ぴょんへいさんがそこまで言うなら無理にとは言いません。でも、私は学生の頃、踊りをもっと真剣に練習しておけばよかったなと思うことがあります」
先生は寂し気につぶやき、行ってしまった。
🌕 🌕 🌕
やがて春が近づき、子ウサギたちは学校を卒業する季節がやってきた。学校を卒業すれば、いよいよ大人の仲間入りである。各家庭では自分の娘や息子に、その一族の色の法被やハチマキを用意し、餅つきの技術を毎晩急ピッチで教え込んでいた。
とうとう、卒業式の日までぴょんへいは踊りを練習しなかった。
ぴょんへいが卒業式が終わった後、一匹で野原に寝転んでぼうっとしていると、うさきちがやってきて言った。
「あのさ、卒業した後でも、踊りを教えてほしくなったら連絡してくれよ」
うさきちの踊りは、もうその辺の大人と比べても遜色ないほど上達していた。
「お気遣いどうも」
声色に興味がない様子を隠そうともせずにぴょんへいは言った。そのまま立ち去るかと思いきや、うさきちはぴょんへいの横にごろりと寝転がった。二匹はしばらく黙って空を見ていた。ぴょんへいはうさきちが今どんな顔をしているのかわからず、何度か顔をそちらに向けようかと思ったが、その様子をうさきちに悟られるのがなんだか負けたような気がして、しなかった。
一匹の蝶がひらひら飛んできて、ぴょんへいの鼻先に停まった。うさきちが少し上体を起こし、ぴょんへいの顔を見て少し笑った。
「僕たちって蝶みたいだよね」
「急になんだよ」
ぴょんへいは鼻先の蝶を寄り目になって見つめたまま、口をあまり動かさずに言った。
「昨日までイモムシでキャベツばっかり食べていたらよかったのに、今日からは蝶だからもうキャベツじゃなくて花の蜜を食べないといけなくなった、みたいな。地上にいたのに、これからは強制的に空で生きなきゃいけなくなってしまったような」
「……」
「変なこと言ったね。忘れてくれていい」
うさきちは立ち上がり、歩いて行った。その後を追うように蝶もぴょんへいの鼻先から飛び立って、宙高くを舞っていった。
🌕 🌕 🌕
「月が出た出た月が出た 白くまん丸お月様 今宵今宵もお餅つき」
広場ではたくさんのウサギたちが歌い踊る。その隅で、ぴょんへいは父親とともに初めての餅つきをしていた。杵の振るい方はしっかりと練習してきたので、ぴょんへいは父親と息を合わせ、力いっぱい杵を打ち下ろした。
初めて広場で月明りを浴びながら餅つきをしたが、広場の雰囲気は、ぴょんへいが今までに経験してきたどの空気とも違った。広場にあふれる歌と餅をつく音が洪水のように耳に流れ込み、しだいに頭が軽くくらくらするような錯覚を覚える。自分の足が今ちゃんと地についているのかわからなくなって、宙を歩いているかのようにふわふわした感覚に襲われた。まわりにちらりと目をやると、同じ学年だったクラスメイトたちはそれぞれの家の法被で楽し気に踊りを踊っている。カラフルな法被が視界でちらつくのを見ていると、目が回りそうだった。
その夜はなんとか餅をつき終え、家に帰ると、ぴょんへいは疲労困憊で寝床に倒れ込んだ。体調は最悪な状態であった。ぴょんへいの母は、ぐったりした様子の息子を心配しながらも、父子がついた餅を町に売りに出かけていった。
そんな日々がしばらく続いた。我慢して継続していくことで広場で具合が悪くなることにも慣れていくだろうというぴょんへいの読みは外れていた。ぴょんへいの顔はやつれ、毛並みはぼろぼろになっていた。見かねた父は、ぴょんへいにしばらく餅つきをせずに休むように助言した。
ぴょんへいは何もする気が起きず、ただ野原に寝転がって空を眺めてばかりいた。
「君のお父さんから話を聞いたよ」
ぴょんへいのもとにうさきちがやって来て、顔を覗き込むようにした。うさきちは餅つきの仕事が上手くいっているのか、少し見ないうちに、生き生きと自信に満ちた顔つきに変わっており、杵を振るう腕はたくましい若者のものに変貌していた。
「俺はもう餅をつきたくなくなってしまったんだ」
ぴょんへいは、自らの現状と友人の現状を比べてみじめな気持ちになったが、もう守りたいプライドなど自分の中に残っていないことに気付いて、胸の内を素直に吐露した。
「良い餅屋になりたい気持ちは同じように持っていたのに、今じゃ俺は仕事ができない役立たずだ。今も父に迷惑をかけているし、俺の家の餅は全然売れない」
「まだ僕たちは見習いのようなものだから、そこまで自分の無力を責めなくてもいいと思うよ。僕もお父さんにはたくさん迷惑をかけている」
「お前のかけている迷惑と、俺がかけている迷惑は全くレベルが違う。俺だって餅についての勉強はしっかりしたし、実際に餅をつくようになってから、味の改良について試したい工夫ややりたいこともたくさんあった。でももう今は杵を持つことも嫌になった。どこからだ。どこからこの差は来た?やっぱり踊りなのか?俺が踊りを練習しなかったから、こんなに俺はダメになったのか?」
ぴょんへいは頭を抱えて野原にうずくまった。
「なあ、ぴょんへい。まず、少しだけ踊りを踊ってみないか。踊りを試してみて、解決法が違ったのならやめればいい」
ぴょんへいの脳裏に、色とりどりの法被の舞と頭蓋に響くような音楽がちらついた。あの集団は異常だという思いが拭いきれない。あの歌と踊りは、脳内に麻薬的な何かを発生させているのではなかろうか。自分のこの症状はもしかしたら、それに対する拒絶反応なのではないか。
しかし、このままでは餅屋をやっていくことはできない。餅をつけるようになるためには、もう友人の言葉を聞き入れるしか道は見つからなかった。
「俺も狂わなきゃならないのか」
うさきちは黙ってぴょんへいの手を取って立ち上がらせると、「月が出た出た月が出た 白くまん丸お月様 今宵今宵もお餅つき」とゆっくりと歌いながら振り付けを一つ一つぴょんへいに教えた。
「うん、これくらい踊れれば十分だと思う。明日の夜は広場においで。それじゃ」
うさきちは立ち去ろうとしたが、足を止めた。
「僕だって、大人たちは皆狂っているように見えるさ。きっとクラスメイトの多くもそう思ってる。皆君と同じようにちゃんと考えてる。でも踊ってるんだ。自分だけが皆と違うと思うなんて傲慢だ。君が狂ってると形容する皆も、考えた上で踊っているのさ」
🌕 🌕 🌕
その夜、ぴょんへいは広場に立っていた。父はまだ休んでいた方がいいのではないかと心配したが、ぴょんへいは杵を持つ手を離さなかった。
「月が出た出た月が出た 白くまん丸お月様 今宵今宵もお餅つき」
餅つきが始まる。ぴょんへいは浅く息を吸い込み、おずおずと歌を歌い始める。杵を打ち下ろす。音楽が頭に響きだし、逃げ出したくなる衝動に駆られるが、ぐっとこらえて、今度は踊ってみる。教えてもらった通りに身体を動かす。最初はぎこちなかったが、だんだんと大胆に身体を揺らすことができるようになってきた。臼を挟んだ向かいの父がショックを受けたような顔をしていた。自分が必要ないと信じ、退けてきたものを、息子がやっていた。ぴょんへいは父から目を逸らした。自分が、今まで大切に教育してきてくれた師を裏切っているような気がした。
目を逸らした先には、他のウサギたちの色とりどりの法被があった。見ればあれほど気分が悪くなった、視界を覆うほどあふれて揺れる色が、なぜか今は心地よく感じていた。杵を打ち下ろす。杵を掴む前足から伝わる衝撃が身体を震わせ、音楽に乗る。気分が良かった。
合点がいった。踊りによって餅の美味さは全く変わらないだろうということは、ぴょんへいは今感じていた。しかし、踊りは不思議と他のウサギたちとの連帯を強め、夜の長さを紛らわせた。杵はリズミカルに餅を打ち、身体は羽のように軽く、疲れを忘れた。
「ねえ、父さんも踊ろうよ。いっしょに狂ってしまおう」
仕事が楽しい、とぴょんへいは初めて思った。
「月が出た出た月が出た 白くまん丸お月様 今宵今宵もお餅つき」
ぴょんへいは声を張り上げ、歌い続けた。
海底の泡 岡倉桜紅 @okakura_miku
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