多様性

『日本人は目立つのが嫌いだ。集団の中に溶け込み、大きなものの一部となってつつましく暮らす。それは一昔前までは美徳とされ、社会生活に欠かせないスキルでもあったでしょう。しかし、今の国の現状を見てみるとどうだろうと思うんですね。出る杭を嫌う文化のせいで、せっかくの突出したすばらしい才能が埋もれて消えていく。または、息苦しさを覚えた天才が海外へ流出するという有様だ。ちっとも国力が伸びない』


 テレビの中でコメンテーターが力説している。


『その現状を打開し、才能に周囲が気付いて伸ばす素地が必要です。そのためにまず、何事にも個性を大切にする仕組みを、社会の中に早急に取り入れなくてはなりません。ですから、新たな大学入試制度について、私は深く賛成しているんです』


 その演説を聞いていた政治家らしき男が、深く頷きながら口を開いた。


『ありがとうございます。私は、未来ある若者にもっと個性を出していいんだ、いやむしろどんどん出しなさい、と背中を押すべく、大学入試を、完全個性試験というまったく新しい方式に革新しました』


 テロップが出て、最近施行された新たな政策について説明される。完全個性試験とは、以前のような学力ばかりではなく、高校生時代にどんな個性的な活動をしてきたのか、それでどのような成果を得たのかを重視して入試を行うというものだった。


「まじかぁ。本当にこの政策が施行されちゃうなんて」


 テレビを見ながらハルタはつぶやいた。いつもはよそ見をしていないでさっさと食べて勉強しなさい、とうるさく言う母も、今日ばかりはこのニュースに釘付けだった。母と息子は不安げに顔を見合わせた。


「どうしましょう。もう三年生の夏休みだし、今更個性的な活動で結果を出すなんて厳しいわよね」


 ハルタは黙って食べかけの冷やし中華を掻き込み、席を立った。


「ごちそうさま」


 二階の自分の勉強部屋に戻ろうとして、さっきまで自分が食事をしていたリビングのテーブルに、単語帳を置き忘れてきたことを思い出す。


 リビングではまだ母がニュース解説番組を見ていた。


『いきなり個性重視にしたら、今まで好きなことをやる時間を犠牲にして真面目に勉強してきた子がかわいそうじゃないですかね』


『勉強してきた子は、勉強ができるという強烈な個性があるではありませんか』


「母さん、今日は午後からパートじゃなかったの」


 声をかけられてようやく母はテレビの電源を切った。玄関で母を見送ってから、ハルタは使い込まれた単語帳を回収し、勉強部屋に戻った。


 ハルタの家庭は貧乏というほど貧乏でもないが、決して裕福ではない。両親はハルタを大学に行かせるつもりであるが、私立大学の学費は到底出せないことは、両親は隠しているつもりだろうがハルタも感じている。多少難易度が高くても、ハルタは国公立大学に合格しなくてはならないのだった。


 勉強机には使い込まれた参考書が大量に堆積している。国公立大学に合格するために、ハルタは高校生活のほとんどを勉強に捧げ、良い成績もキープしてきた。このままいけば合格ラインに手が届く見込みは十分あると自分でも思っていた。


「個性、か」


 勉強ができるという個性はあるが、自分より勉強ができる高校生はいくらでもいる。


「でも、がんばるしかないよな」


 ハルタは胸に広がる不安を押し殺すと、自分に気合を入れなおし、勉強机の前に座った。こうなったら冬まで全力で勉強を頑張るしかない。自分にはそれしかできないのだから。それに、もしかしたら、大幅で急な試験制度の変更に国が手間取って、やっぱり来年から導入しますなんてことになる可能性だって全然あるじゃないか。ハルタは自分にそう言い聞かせ、一心に机に向かった。


〇 〇 〇


「よお、調子はどうだい」


 ずいぶんと涼しくなってきた駅のホームでハルタが単語帳を繰っていると、久しぶりな声が聞こえた。顔を上げると、秋も深まって来たというのに半そでのアロハシャツを着た男が手を振っている。


「久しぶりじゃん、イオリ。ハワイでのボランティアはどうだった?」


 イオリはハルタのクラスメイトで、半年ほど前からハワイに語学研修兼ボランティア活動のために留学していた。最近帰国したようだ。


「最高だったぜ。英語ペラペラになれたし、現地の人とも仲良くなった。サーフィンも得意になったぜ」


「へえ、サーフィンなんかする時間あったんだ」


「おう。あっちの高校は日本より早く放課だし、塾も無ければ宿題も少ない。俺はハルタと違って勉強好きじゃないから天国だったよ」


「そっか」


 その後も電車が来るまでの間、イオリは海外での貴重な体験についての思い出を語ってくれたが、ハルタの耳にはあまり入ってこなかった。


 不平等だ。ハルタは自分の胸にどす黒い感情が芽生えるのを感じた。新たな入試制度が発表されて数か月が経つが、国はいっこうに取り下げる気配を見せなかった。個性を重視して学生を採るというのだ。


 イオリが留学できるのはイオリの家が裕福だからだ。ボランティアなどと言っているが、ハワイは観光名所であって、別にスラムがあるわけじゃないし、栄養失調の子供もいない。ボランティアごっこだ。せいぜい、海の家で慈善事業を少し手伝った程度のことなんだろう。僕が必死に勉強している間、こいつは親の金で遊び、「ボランティアをした」という貴重な体験を得た。たぶん、僕とイオリを並べたとき、大学はイオリを取るだろう。個性重視とはそういうことだ。僕は言われたことをやった。真面目に真面目に積み上げた。でもそれは、個性的には映らない。もっと華々しい何かがあれば、僕の頑張りは相対的に地味だ。


「ごめん、僕、今日はちょっと帰るわ」


 ハルタは電車の到着する放送にかぶせるように言って、イオリに背を向けた。


「あ、おい、今日全校集会じゃなかったっけか?」


 イオリの声が追いかけてくるが、ハルタは構わずにホームを出た。どうせ全校集会でも単語帳を繰っているだけだ。


〇 〇 〇


「ハルタ、お前も『計画的休業』か?」


 駅を出て自宅に帰ろうとする道すがら、クラスメイトのユキオが話しかけてきた。『計画的休業』とは、勉強するためにわざと高校を欠席することだ。高校の授業を聞いているより、面倒な移動教室や雑音が無く、自分のペースで学習できることから、塾や自宅で勉強した方が効率がいいと信じる生徒はままいる。


「そうだね。化学の問題集、今日中に一周終わらせちゃいたくて」


「そうか、俺も今から塾行くところ」


 ユキオは進学塾に通っている。毎年何人もの国公立大学合格者を出している優秀で歴史のある名門塾だ。


「さっきイオリと話してたよな。あいつ、いいよな。親のおかげでいい経験できてさ」


 まったく同じことをユキオも考えていたことを知って、ハルタは少し嬉しくなった。


「だよね。でも、新しい入試制度ではああいうやつが受かっちゃうんだ。僕らの努力ってなんなんだろって、時々思っちゃうな」


「そうだよな。こんなに頑張ってる俺らが落ちて、遊んでたあいつが受かるのが気に入らない」


 そこで言葉を切り、ユキオはいきなりハルタに顔を近づけ、声を潜めて続けた。


「なあ、俺、塾ですごい噂を聞いたんだ。ハルタに教えたい。ああいうチートを出し抜いて、合格する道があるんだ」


「出し抜く?」


 ユキオがあまりに回りを気にするので、ハルタは少し不安になる。


「まさかとは思うけど、カンニングとか、わいろは駄目だと思うよ」


「違えよ。もっと普通のやり方だ。あいつに勝るような珍しくてすばらしい体験を俺らもするのさ」


「僕んちには留学できるような金がないの知ってるだろ」


「知ってるさ。多少金はかかる。でも、本当に留学に行くよりもはるかに安く体験を得られる方法があるんだ。体験って言ったって所詮は記憶だろ。面接のときに話せるディティールがあればいい。つまりだ、誰かからその経験の記憶を買えばいいんだ」


「記憶を買う?」


「そうだ。実際に行ったやつからその話を詳細に聞き出してファイリングしたものを売っている、個性屋って商売をしているやつがいるんだ。そこからそのファイルを買って学習し、本当は行ってないけど行ったことにすることができる。当然、同じファイルの内容を喋るやつが二人現れたらバレるから、個性屋は細心の注意を払って売っている。同じ記憶は世界に一つだけになるように日々気を張っているということだ。二つあったら受験生に深刻な被害があり、今後のビジネスができなくなるからな。だから、個性屋の仕事は信用できる」


「個性屋……」


「俺の塾の連中は皆買うって言ってるぜ。それで受かるなら安いもんだってな」


 気付けばもうユキオの塾の前まで来ていた。ユキオはそのまま塾へ入って行った。


〇 〇 〇


「母さん、『個性』を買いたいんだ」


 ハルタは母に打ち明けた。窓の外には雪が降っている。受験本番にはあと一か月を切っていた。


 秋にユキオから話を聞いてからというもの、ハルタの頭の中ではいつも個性屋についてがぐるぐる回っていた。


「まあ、個性を?」


 ハルタは頷き、個性屋について説明した。


「そう、それで、もし個性を買うとしたらいくらくらいなの?」


「それが……50万円くらいなんだ」


 母は口元を手で押さえる。喉がヒュッと音を立てるのが微かに聞こえる。当然だった。ハルタの家庭で50万はぽんと出せる額ではない。ハルタはぎゅっと拳を握りしめた。実は、直近の模試の結果がC判定だったのだ。個性を判断する設問が増え、今まで純粋な学力だけならばA判定だったところが、急に判定が落ちてしまった。


「もう、個性を買うしかないんだ。個性さえあれば僕はきっと合格できる。母さんを失望させることはないよ」


 しばらくの沈黙の後、母は口を開いた。


「わかったわ。50万円はなんとかする。だから諦めちゃだめよ」


 母の歪んだ顔は、藁にもすがるような顔をしていた。


〇 〇 〇


 ハルタに聞いた住所を訪れると、そこは廃ビルだった。


 事前に怪しいネットのサイトを通じて予約は入れてあった。サイトに届いたメッセージのとおりに裏口にまわる。出入口にはナンバー付きの南京錠がかかっていて、この開錠ナンバーもすでに指示されていた。少しかじかんだ手でダイヤルをいじると、あっけなく南京錠は開いた。


「ごめんください、誰かいますか……?」


 ハルタは廃ビルの中に入り、暗い廊下を進んだ。昼間だというのに照明がないせいでビル内は真っ暗だった。


 暗闇に目が慣れてくると、奥の部屋から微かに明かりが漏れているのがわかった。ドアの前に立ち、ハルタは深呼吸した。母から受け取った50万円の札束が入った封筒をダッフルコートの上からさする。行くしかない。


「こんにちは」


 ノックをして扉を細く開けると、会議室のようなレイアウトの部屋が現れた。パイプ椅子に腰かけて一人の男がこちらを見ていた。ドン・キホーテで買ってきたのかと疑うほどの薄っぺらい赤いナイロン製のコスチュームに身を包んでいて、頭には三角の帽子をかぶり、わざとらしい口髭を着けている。


「いらっしゃい、個性屋です」


 サンタコスプレの男はそう言った。声は中性的で少し高く、顔も半分隠れているため年齢がよくわからない。若干英語のような訛りが混じっている。外国人だろうか。


「真面目な受験生君、君はどんな個性が欲しいのかな?」


「大学受験に受かるための個性が欲しいんです。ボランティアとか、人助けとか、個性的な受賞の表彰とか」


 サンタは口髭をいじった。


「さて、それを売るのが私の仕事ではあるけれど、売る前にひとつ説明しなくちゃならない。それは、私が売る個性はまぎれもなく本物であるということだ」


「この世に一つしかないということですよね」


「その通り。よく知っているね。でも、多くの学生はちょっとした勘違いをしているから念のため説明を聞いてくれ。私の売る個性は、本当に、まじで、完全に、世界に一つだけだ。君は友達から噂を聞いているんじゃないかな。個性屋は詳細な記憶が書かれたファイルを売るんだって。でも、そのファイルが世界に一つだとして、オリジナルの存在を数えないわけにはいかないよ。その記憶を提供してくれた人だね。その人がいる限り、ファイルに書かれている記憶は世界に一つだけのものじゃない」


「どういうことですか」


「要は、私が魔法使いだということだよ。私は、オリジナルの記憶提供者から記憶そのものをすっぽりと買い取って、純粋なその記憶を君みたいな個性を求めるお客に売っているんだ」


「どういう手法で?」


「だから魔法って言ってるだろう。信じられなければ別に今帰ったって良い」


 帰れるわけがなかった。ポケットの中には、重い札束が入っていた。


「魔法についてはとにかく今は認めることにします。僕に個性を売ってください」


「ふむ。個性か。つまり君は今の個性では満足できないんだな」


「今の僕には個性はないですよ。大学に合格するには強烈な個性が必要なんです」


「わかってないな。君は今の状態でも十分個性的だ」」


「お世辞は必要ありません」


「大学に受かる受からないの話は今していないよ。今一度、個性の意味について考えて欲しいだけだ。私は個性を買った客の頭にそっくりその記憶を入れることができるんだ。本棚に本を立てるくらい簡単にね。これは確実に個性を売ったということになるけれど、君の元あった個性を消してしまう可能性があるんだ。上書き保存だね」


「僕の今の考え方が変わってしまうんですか?」


 もしかして、今まで必死に頭に詰め込んできた勉強の知識も消されてしまうのだろうか。


「いや、知識や記憶は変わらない。でも、個性、つまり性格や趣味嗜好はすっかり変わってしまうかもしれない。そうすると、君のオリジナルの個性、例えば、コツコツと毎日勉強する勤勉さとか、地味なことでも腐らずやる根性とか、家族を大切に思う親孝行な一面とかも消えてしまうかもしれない」


 ハルタのことを見透かすような怪しげな口調でサンタは言った。


「やむを得ません。大学に受かりたいんです。これは僕の人生の重大な転機で、これを逃すわけにはいかないんです」


 大学に行けなければ、良い企業に就職もできない。そうなれば両親を経済面で支えることは叶わない。今まで必死に育ててくれた両親のために、そして、ずっと必死に努力を続けてきた自分自身のために、どうしても合格が欲しかった。


 サンタがパイプ椅子から立ち上がってこちらに歩いてきたので、ハルタはポケットから封筒を出して差し出した。サンタは黙って封筒の中身を確かめた。


「一か月後にまたおいで」


「一か月?本番直前ですよ」


「本番の直前にここに寄るんだよ」


 サンタはハルタの肩のあたりをトンと押した。少しよろけて数歩下がったところで部屋から出され、ドアが閉まった。


〇 〇 〇


 個性を売ってもらえなかったということは、母には打ち明けられなかった。


 あの後、ハルタはドアを叩いて今すぐ売ってくれるように懇願したが、ドアはもう開くことはなかった。詐欺に引っかかってしまったのだ、とハルタは自分を悔いた。母は貯金をすべて使い、方々からお金を借りてなんとか50万円を工面してくれたが、うさんくさい男にあっさりと取られてしまった。もしあの日取引なんかに行かず、勉強をしていれば、少しは成績が上がったかもしれないのに、と思えば思うほど悔しさが募った。


「もう、いいか」


 そうだ、勉強なんかして数点成績が伸びたところで、もうそれを重要だと評価してくれる機関はこの国のどこにもないんだった。頬を涙が伝った。何が国力増進だ。貧乏人でも努力すれば活躍できるようにしてくれよ。僕は十分頑張ったし、学校の中ではよい成績を収めてきた。それなのに貧乏人だから貧乏人相当の人生を生きろなんて、そんなの出る杭を打ってるだけじゃないか。


 ハルタは参考書を掴んで振りかぶり、壁に投げつけようとした。しかし、それを買ってくれた母の顔がちらつき、どうしてもできなかった。


 ハルタは息を一つ吐き出した。そして、パーカーの袖で顔を拭い、勉強机の前に座り直した。


〇 〇 〇


 試験の日の朝、ハルタは大学の校門前に立っていた。結局、サンタのビルには行かなかった。50万円は働いて母に必ず返す決意をしていた。


「よし、精一杯やるだけだ。思えば、大した個性もない僕には最初からこれしかできない」


 試験会場には、さまざまな色とりどりの服を着た受験生が集まっていた。髪の色やアクセサリーも多種多様で、まるでカーニバル会場にでも来たかのようだ。ファッションでも個性を出す競争は始まっている。ハルタはダッフルコートの前を掻き合わせ、少し速足で受付へと向かった。試験は午前に筆記で、午後は面接だ。この形式はすべての国公立大学で義務付けられている。個性がないため、面接に希望がないハルタが受かるためには、午前の筆記が最重要の得点源になる。


 これだけやってダメならもうしょうがない。この国のファッキン制度と国直営の大学にツバを吐き、就職しよう。半ばヤケクソのような精神状態が、ハルタに最後の一か月を猛然と勉強させたせいで、ハルタの成績は全国でみてもトップにまで位置していた。


 筆記試験は少しミスをしたものの上々の手ごたえだった。後はもうなるようになれ、と気楽な気持ちでハルタは自分の面接の順番を待った。


「失礼します」


 面接室に入る。大学の職員たちが一斉にハルタに注目する。彼らも自由な服装をしていたが、受験生ほど派手で主張的ではなかった。


「君の個性は?」


 疲れたように面接官が聞いた。


「特にありません」


「ボランティア、留学、起業その他大会表彰経験は?」


「ありません」


「なるほど」


 面接官は手元のメモに何か書き込んだ。


「次!」


 ハルタは面接室を出た。


〇 〇 〇


「今日はいろんな大学の合格発表日と重なってるから、あんまり人いないな」


 卒業式の入場の待機列で、ユキオが話しかけてきた。ユキオは式典の日だというのに、すっかりトレードマークとなったサングラスを外そうとしない。彼の買った個性なのだろう。金髪をツンツンにとがらせているのも、以前のユキオとは雰囲気がまるで違った。


「そうだね」


 ハルタは言った。実は、ハルタの受験した大学の合格発表は今日の正午だった。式が終わった後、写真撮影などが始まってしまうので、母が確認してくれることになっていた。式の途中、ハルタは特に結果にそわそわすることもなく、自分でも驚くほど落ち着いていた。


 式が終わり、クラスごと集合写真を撮る。卒業式に来ない生徒もいるので、その生徒の場所は開けておいて、後で合成するらしい。


「ちょっと待て、嘘だろ。お前、もしかしてイオリか?」


 自分のすぐ前に立つ地味な男の顔を見て、ハルタは初めて気が付いた。そこには、短く切った黒い髪をワックスで上品に固め、着崩すことなくスーツを着ているイオリがいた。以前の万年アロハシャツの日焼け男の風貌はそこにはなく、ただ『無個性』な男がいた。


「そうだぜ。俺のイメチェンにビビったか?」


「撮りまーす。こっち見てください。はい3、2、1」


 イオリは口角を上げ、カメラに笑顔を送る。ハルタは驚きで引きつった顔しか作れなかった。


「お前、まさか個性を売ったのか?」


 写真撮影が解散した後、ハルタはイオリを人気のない教室に連れて行った。


「ああ、売った。買い取りの定価はたしか30万円くらいだったかな」


 イオリはさらりと言った。


「なんで売ったんだよ」


 そのなんでもないように言う態度に、思わずハルタは厳しい口調で言った。ハワイに行った経験は、お前の両親がお金を出してお前にさせてくれた経験じゃないか。絶対に30万円以上は留学にかかっているし、それをただのしょうもない小遣いにしようとする神経が理解できない。それを売ることでお前の大学合格や将来設計にも大きく響くかもしれないんだぞ。いや、違う。僕が喉から手が出るほど欲しかったそれを、なんでもないものみたいに簡単に手放すなよ。それをたった30万円で売るんじゃねえよ。


「ハルタ、俺は『個性』で優劣をつけるこの国が嫌いなんだよ」


 イオリは落ち着いた調子で、言い聞かせるように言った。


「僕だって嫌だ」


「個性個性言ってるわりに、特定の個性しか優遇してない。おかしいよな。個性なんて、この世の全員が一個ずつ持ってるはずなのに。俺は、この受験の新制度のことをハワイから帰って初めて知った。最初聞いたときは呆れたよ。個性的で多様な人材を採りたいなんて言ったら、他の人と同じってだけで、それがすごく悪いことになっちまう。それがたとえどんなにいい性格だったとしてもだ。みんな狂ってる。十分自分は個性的なのを無視して、優遇される個性に飛びつく。多様性なんてありゃしねえ」


 確かに、この国の高校生からは少しだけ多様が減った。受験会場にいたどぎつい色の主張を思い出す。個性的になろうとして、むしろ埋もれている。


「俺は思ったんだ。みんなが喉から手が出るくらい欲しがってるその派手でわかりやすい個性を、みんなが持ったらどうだろうって。俺はハワイでできた友人の魔法使いにすぐさま連絡を取ったね。迷える受験生たちに、彼らの望む個性をあげようと思った。魔法使いは誰かの個性を抜き取って、他の誰かに差し替えることができたから、俺の個性をまず抜き取った」


 魔法使い、という言葉にはっとする。ハルタが廃ビルで出会ったサンタコスプレの男は魔法使いと名乗っていた。


「面白いことに、個性を抜いてみても俺は俺のままだった。俺は変わらず異文化の人と交流するのが好きだったし、困ってるやつの力になるのが好きだった。俺はまた俺という個性を獲得した。そして俺は、新しく俺の個性を獲得しなおしていくたびに、魔法使いにそれを抜き取ってもらった」


 イオリは短くなった自分の髪をなでた。


「個性を抜かれるたびに俺という人間の芯が見えて来るみたいな気がしたよ。俺は実は派手なアロハみてえな服装がそこまで好きじゃないこと、一度着てみたらスーツもなかなかしっくりきてること、サーフィンが好きなわけじゃなくて仲間と練習をする行為自体が好きだったこと」


 イオリは手を広げる。


「見ろ!俺の芯は十分個性的だ。秋から今まで毎日抜き取って来たから100は個性を抜いた。そして俺は、みんなが求める画一的な個性を売った」


 イオリのスマホが音を立てる。時計を見ると正午だった。イオリは何気ないしぐさで受験のマイページを開くと軽く頷いた。どこかの大学に受かったのだろう。


 ハルタの尻ポケットでスマホが震えた。母からの着信だ。イオリが自信たっぷりと言った様子で「取れよ」と言わんばかりで顎を出す。


「……もしもし、母さん?」


『確認したわ!合格よ!しかも、筆記試験よりも面接の結果がよかったわ!』


 手が震えている。


「逆転だ。ハルタ、お前は個性的なんだよ。だから受かったんだ」


 あのどぎつい色の集団の中、ひときわ地味な自分は、ひときわ目立っていた。つまり、それは一番個性的だったということだ。個性が無いことが個性になるほどに、イオリは周りを『個性的』にしてしまった。


「どうして僕を受からせてくれたの?」


「ただ、あのビルに来たのが一番遅かったからだ。そうサンタが言ってたぜ。最後まで自分にできることを貫き通したうえで絶望してあそこに来たお前を、サンタは助けたくなったんじゃねえかな」


 イオリは口角を上げてにっと笑った。


〇 〇 〇


 卒業式の後、感動で泣いている母をなだめ、いっしょに少しいいレストランで夕食を食べた。


「やっぱり、個性を買ってよかったわ。受かって本当に良かった」


「母さん、実は僕、個性を買っていないんだ」


 ハルタはようやく打ち明けた。


「僕は僕のままで合格を勝ち取った。なぜなら僕は、僕のままで十分個性的だったんだ」


 ハルタは疲れたような顔の面接官たちを思い出した。過剰な個性のアピールに辟易していたのだろうと今ではわかる。


「大学の先生や、多くの社会人、大人たちはたぶん、特別なものを全員に求めてはいないんだ。ただ、本当に特別なものを持っている生徒がいたときに、その生徒がそのままでいてもいいという環境さえ作れればいい。だから、僕は普通だけど、普通のままでいいんだ。だって普通が個性だからね」


「私、誇らしいわ」


 母は泣いていたが、笑顔だった。


「ちょっとここに寄ってもいい?」


 ハルタは廃ビルの前で立ち止まった。


「いいけど、危なくない?ここ、人がいなさそうよ」


「すぐ戻るから」


 母を道で待たせ、ハルタは廃ビルの裏口から入り込んだ。もしかしたらまだサンタがここにいるかもしれない。一縷の望みをかけてドアの前に立つ。大切なことに気付かせてくれた友人の友人に一言お礼が言いたかった。


 ドアには鍵はかかっておらず、簡単に開いた。会議室には誰もおらず、がらんとしていた。まるで最初からだれもいなかったかのように魔法使いは消えていた。しかし、正面の机に封筒が置いてあるのがわかった。あの日、ハルタが渡した50万円がきっちりとそのまま入っていた。封筒の表面には、商品取引不成立のため返金します、と汚い字で書いてあった。

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