果汁0%

「一緒にいいかい」


 昼休み開始を告げるチャイムも鳴りやまぬうちに、青田は俺の席にやってきた。


「どうぞ」


 俺の一つ前の席の女子が友達と連れ立って教室を出ていくのを見届けると、青田にその席を勧めた。青田は椅子の向きを回して座り、コンビニのビニール袋を俺の机に置いてガサゴソやり始める。青田はクラスが違うのだが、いつも一緒に昼食を食べに俺のところまでやって来る。この高校に入学して二か月以上経つが、未だに俺はこいつ以外と昼食を食べた記憶がない。文学研究部という同じ部に入ったので気に入られたのかもしれない。


「今日も部活来るよね?」


 焼きそばパンの包装ラップをはがしながら青田が聞く。


「行くよ」


 俺は言って、水筒を出し、弁当箱の蓋を取る。俺の弁当は母が姉と父と俺の分を作る。昨日の夕食のおかずと冷凍食品をバランスよく組み合わせてある。俺は手を合わせ、食べ始める。俺と青田の所属する文学研究部は、文学と名にあるものの、純粋な文学部とは別に存在している。純粋な文学部では、文化祭の販売に向けて冊子を作ったり、せっせと自分の小説を書いてお互いに読みあうなどしているそうだ。では、俺たちの文学研究部は何をしているのか?


「今日は何する?」


 青田が聞いた。文学研究部は、かっちりとした文学部よりも、毎日移り行く柔軟な活動をしている。


「昨日みたく本を読めばいいんじゃないか」


 俺は言った。


「そうだね」


 青田は頷いた。白状しよう。文学研究部には、俺と青田の二人しか部員が存在せず、活動内容も全く具体的ではない。お互い自由に好きな本を読んだり、駄弁ったり、スマホでオンラインゲームに興じたりしている。数年前に廃部した、非公式の部活だ。当然こんな緩い活動に出る部費は無いし、あてがう教室もないので、俺たちはよく屋上か、屋上に続く階段で自称部活動をしていた。


 青田は焼きそばパンをペロリと平らげると、ビニール袋から缶のメロンソーダを取り出した。今時缶のメロンソーダは珍しいような気もするし、その缶には昔からなのか、言ってしまえば古いデザインとロゴが残っているのだが、青田はいつもこのメロンソーダを飲む。いつもどこで買っているのかと聞いたことがあるが、青田は首を傾げ、そこらじゅうで売ってるよ、と答えた。実際、そのメロンソーダはどこにでもあった。コンビニにもあったし、校内の自動販売機にもあった。意識して目を凝らすと、信じられないほどメロンソーダは日常に入り込んでいた。見ているのに見えていないものに気付かされるようで、コンビニのクーラーケースの前で手品を見たような気分になった。これがカラーバス効果とかいうやつか、と妙に感慨深くなった。


 カシュッと小気味よい音を立ててプルタブが開けられる。人工的なメロンの匂いが鼻腔をくすぐる。青田はうまそうにそれをごくごく飲んだ。


「二日にいっぺんでもそれを果物ジュースに置き換えたらずっと健康になるだろうに」


 ぷはぁ、と息をついて青田は缶を机に置く。飲み口に残る人工的で鮮やかな緑の液体を見ながら俺は言った。


「榊はわかってないね。これこそが俺の元気の源なの。果汁がないからいいんじゃないか。果物ジュースには決して補えないさ」


 なぜか胸を張って青田は言う。いつも水筒の茶を飲む俺にはわかるまい、ということなのだろうか。


 ふと、窓の外が騒がしいことに気付いて俺は窓の方を見やる。今、俺たちは校門前のロータリーを見下ろす三階の教室の窓際にいた。ロータリーにはメガホンを持った女子生徒が何やら訴えており、周囲にはやや人込みができていた。


「募金かな」


 青田もロータリーを見下ろした。校舎の窓からは俺たちと同じようにロータリーを見下ろす生徒が顔を出していた。


『ひと昔前の同調圧力や少数派の迫害!そんなのはもう古いんです!私たちは今、立ち上がるべきです!すべての個々の生徒同士が力を合わせ、多様性を守っていく時なのです!』


 大きく身振りをしながら熱弁する女子生徒の顔が見えて俺は頭を押さえた。長くつやのある黒髪を流し、制服は一切着崩さずにセーラー服のリボンは几帳面に結んである。陶器のように透き通った白い肌と、やや目じりの吊り上がった勝気な目。


「ずいぶんヒステリックだ」


 青田はつぶやいて、俺の顔を見る。


「榊、あの子と知り合い?」


「ああ、中学が同じだった」


 真宮は、いつもまっすぐだった。曲がったことが我慢できず、正しい方向へと正そうとし、その労力を厭わない。学生運動やデモなんかの極端な思想を掲げる団体に率先して参加していくタイプで、当然、面倒なことは極力避け、毎日緩く暮らしていきたい俺にとって得意なタイプとは言えず、また、彼女にとって俺は得意ではなさそうだったので、中学時代も少し距離を置いていた。


『私はこの高校のすべての生徒の皆さんに胸を張って明るい生活を送ってほしい!今、部活動の現状はどうでしょうか。ポピュラーで理解が広く得られている活動しかまともに評価されず、その他のことに興味をもっている人は、それがマイナーなことだからという、それだけの理由で部費ももらえず、部室すらないのです。人の活動したい熱意は、皆同等に評価されるべきです!サッカーや吹奏楽がしたい人はその願いがかなえられ、十分に応援までされているのに、宇宙や文学に興味のある人は、活動の部屋すらもらえないんです!多様性の危機です!』


 青田はクスクス笑った。


「別に僕らはそんなに部室欲しいわけじゃないけどね」


「まったくだ」


 俺も同意した。部活それぞれに割かれるスペースや予算は、伝統というものも関係していないと言えば嘘になるが、おおむね合理的に配分されている気がする。宇宙研究部や文学研究部はサッカー部や吹奏楽部と違って遠征も合宿もしないし、シューズやラッパなど、特殊な道具もいらない。なんなら指導者もいらない。極論、家でもできる。そんな部活がサッカー部と同じ部費をせしめたところでなんになろう。


『私は革命部をここに設立します!みんなでこの現状を変えませんか?入部待ってます!』


 真宮はそう言うと勢いよく礼をした。校舎とロータリーからはぱちぱちと生暖かい拍手が起こった。


🍈 🍈 🍈


「あ、彼女、まだやってるね」


 青田は屋上のフェンスに頭を押し付けるようにして眼下のロータリーを見下ろした。放課後となり、俺と青田は屋上に来ていた。見ると、昇降口から三々五々下校していく生徒たちに向かって真宮はまだ昼休みに開始した勧誘を続けていた。


「早く目が覚めるといいな」


「榊は冷たいな。俺はエネルギッシュでいいと思うけど」


「冷静なんだよ。エネルギッシュはいいが、エネルギーの矛先が違うってことに気付いてほしいんだよ。あの活動の成功で喜ぶ人がどれくらいいるのか。あの活動を迷惑に感じる人がどれくらいいるか。少し考えれば敵が増え、恨まれて傷つきそうなことはわかるだろうに」


「ま、たしかに喜ぶ人の人数は、敵に回す人数に対して割が合わなそうだ」


 俺は椅子に座り直し、小説をまた開く。屋上は特になんの変哲もない白いコンクリートで、四方が二メートルほどのグリーンのフェンスで囲われ、下の階に降りるための階段に通じる小さな塔屋が唐突に建っていて、そのわきに雨ざらしの教室用机と教室用椅子が二組ずつ置いてある。普段から屋上は解放されていて、この机と椅子も、昼休みに日常的に誰かに利用されているのか、雨ざらしで古い割にはきれいな状態だった。それで、俺たちがここを部活の舞台と定めたわけだ。当然、屋上なので屋根はなく、雨の日は防御の術もない。そういう時、俺たちは塔屋に入り、普段と同じことをする。塔屋の中、屋上につながる階段は、階段の横半分が良くわからない古い段ボールや、足の折れた椅子、使われていない机などが積んである。梅雨の時期などはだいたいここで活動した。


 この高校は高台に位置しているため、盆地を見下ろすフェンス越しの視界は広く、天気のいい日はビルや民家の屋根がキラキラ光る。俺たちの育った、たいして大きくもない大都市郊外のベッドタウンだが、俺はこの眺めが気に入っている。いや、ただ単に高いところが好きなのかもしれない。反対側、盆地を見降ろさない方にはグラウンドがあり、運動部の応援や掛け声が聞こえる。いわゆる華々しい青春、とは少し違うかもしれないが、ここで時々景色でも見ながらぼんやり本を読んでいたい、これが俺の願望なのだった。


🍈 🍈 🍈


 真宮はそれから毎日勧誘を続けた。朝早く登校して声掛けし、昼休み、放課後もロータリーに立ち続けた。最初は驚き、興味を持っていた生徒たちも三日が過ぎるころにはほとんどが興味をなくし、真宮の勧誘に愛想笑いを浮かべて会釈をすることもなくなった。最初のころは廊下で立ち話をする先生の会話の中にも登場したが、今は先生たちも特に彼女になにか言うでもなく、放任しているようだった。真宮にはどこか容姿や行動に神聖とでもいうべき話しかけづらさがあったので、幸いにも生徒たちはただ遠ざけ、無関心を決め込むだけで、いじめや陰口には発展していなさそうだった。


「今日、雨降りそうだけど、どうする」


 昼食を向かい合って食べながら青田が聞いた。今朝の天気予報では、午後から天気が崩れるようだった。


「うーん、モールでも行くか?」


 モールというのは、この高校から徒歩でも行ける大型複合型施設、つまりはショッピングモールのことだ。ゲームセンターや漫画の取り揃えの充実したブックストア、財布に優しいサイゼリアと、地元の中高生の庭と言っていい場所だ。


「いいね」


 青田はすぐ頷いた。またメロンソーダを飲んでいた。


🍈 🍈 🍈


 予報通り、午後の授業をしている間に雨は降り始めた。雨は降り始めから強さを変えず、放課後も降り続いていた。


 昇降口に行くと、青田がすでにいて、スマホをいじりながら待っていた。俺に気が付くとひょいと手を挙げる。両手のどちらにも傘を持っていなかったので身構えるが、青田はすぐにカバンから赤い折り畳み傘を出して開いた。俺は透明のビニ傘を開く。


「これ、姉さんのなんだ。朝、雨降るから持って行けって」


 青田は聞かれもしないのにそう言った。


 雨の日は自然と足元に目が行きがちになる。俺は昔から傘をさすのが苦手だから靴はもちろん、だいたいいつも膝くらいまではズボンが濡れる。ロータリーを横切った時だった。ふと、目の端に赤いものが入る。青田の傘ではない。顔を上げると、一人の女子生徒が赤い傘をさしてロータリーの端っこに立っていた。真宮だ。プラカードを持っている。革命部、と書いてある。


「今日もやってるんだね」


 青田も俺の視線に気づいてつぶやいた。


「相当強い意志があるんだろうな」


 青田はそう続けた。俺は黙って頷いた。真宮は昔からそういうやつだった。きっちりと校則どおりに白無地の20センチの靴下を履いた足は、雨の中やけに寒そうだった。早くやめてしまえばいいのに。


🍈 🍈 🍈


 真宮が最初の演説をぶった日から二週間が経った。真宮は唐突にロータリーに立つのをやめた。季節は急激に夏へと変わり、空は青さを増していた。


「今日はいないんだね」


 昼食を食べながら青田は言った。今日プール開きがあり、さっきまで泳いでいたのか、青田の髪は少し湿っていた。


「ああ、朝も立ってなかったな」


「心が折れちゃったかなぁ。協力はしたくないけど、ちょっと応援してたのに」


 俺は曖昧に頷いたが、内心なぜかほっとしていた。とうとう諦めたのか。


「心配ないさ。革命なんかしなくたって、高校生活には見出すべき面白味がたくさんあるんだから」


「そうだね」


 青田は相槌を打ったが、まだ少し残念そうだった。


🍈 🍈 🍈


 放課後、屋上に出ると、太陽が焼いたコンクリートの熱気でむわっとした。


「これから夏は大変だね」


 俺たちは無理をせず、早々に屋上に見切りをつけて塔屋に戻った。塔屋も決して涼しくはないが、初夏の午後の日差しは遮ってくれる。四時の夕日といえども、直射日光はもうはっきりと暴力的な暑さを感じる。


「さて、何か冷たい飲み物でも飲みたくないかい?」


 青田は言った。


「ああ、飲みたいね」

 俺たちは正々堂々ジャンケンをして、負けた俺が一階の自販機まで買いに行くことになった。


「青田はいつものだよな」


「うん、よろしくー」


🍈 🍈 🍈


 俺が自販機で冷えたペットボトルのスポーツドリンクと例のメロンソーダを買って戻ると、青田は団扇で顔を扇ぎながら階段に座り込み、スマホをいじっていた。


「なんだその団扇」


 青田は階段に積まれる段ボールの一つを指さした。


「数年前の生徒会のやつみたい。文化祭で配ったのかもね」


 よく見ると素人臭いイラストとノリだけで書いた寄せ書きのような文字がある。


「メロンソーダありがとー」


 青田は階段を上ってきて体中じんわりと汗をにじませる俺に団扇で風を送った。若干の埃臭さを感じる。


「すみません、ちょっといい?」


 急に後ろから声がかかって俺は振り向く。青田は反射的に団扇を背中に隠した。まるで陶器のように白い肌に、勝気な吊り目。真宮だった。


「何か?」


 尋ねる俺の前に真宮は一枚の紙を突き付けた。


「榊君と青田君よね。署名に協力してほしいの。あなたたちが文芸研究部に属しているのは知っているわ。そして、今のあなたたちの活動の状況というのも調べさせてもらった。私はこの部が非公式だからという理由で活動の幅を制限されているという状況を変える手伝いをしたいの」


 真宮が突き付けてきた紙には名前を書く枠と、その下に細かな文字が並んでいた。要約すると、現在非公式の部活を公式として認めること、どの部活も平等に最低限同じ額の部費を得ること、どの部活も学校内で最低教室一つ分の活動場所を得ること、の三点を生徒会に訴えるというものだった。


「革命部は諦めたわけじゃなかったんだね」


 青田は言った。真宮は唇をきっと結んだまま頷く。


「いいよ、署名くらい。俺、書くよ」


 青田は軽く言って、紙を受け取って壁に押さえると、真宮が差しだしたボールペンでさらさらと署名した。真宮は青田から受け取ったボールペンを今度は俺の方に差しだした。青田が本気でこの申し立てが生徒会に通ると思って署名したわけではないことくらいわかる。優しさだろう。もしくは、面倒を避けるために手っ取り早い方法を選んだだけかもしれない。物分かりがよいというのは、面倒を避ける上でとても便利だ。


「いや、俺は断る」


 俺は差し出されたボールペンを突っ返した。俺は手っ取り早い方法をとることにしたのだ。結果、多少面倒なことになっても真宮の目を覚まさせるのに一番手っ取り早い方法。真宮が革命部を正しく諦めないかぎり、俺の中の面倒は解消されない。真宮はボールペンと俺の顔を交互に見た。


「どうして?あなたたちにとって何も不利益になるようなことはないはずよ」


「目先はな。長い目で見れば必ず不利益だ。今、生徒会の部活予算をせしめている公式の部活と俺たち非公式の部活の活動の間には相当な差がある。全部の部に同額の部費を割り当てることは、平等かもしれないが公平じゃないだろう。すぐに今の公式の部の部員たちの不満は募り、矛先は俺たちに向く」


 俺は至極まっとうなことを丁寧で分かりやすい語彙を尽くして説明したつもりだったが、真宮は形のよい唇をややゆがめただけだった。


「そういう状況にはならないわ。今非公式の部に入る人たちはチャンスがないだけなの。適切な部費と活動場所があれば、今の公式部と同等な熱量で同等、またはそれ以上の活動の成果を出せる。不満があるなら転部すればいいのよ。不満があるっていうのはそっちの活動が魅力的に見えたってことでしょう」


 暴論だ。俺は頭を押さえる。


「部活をやる全員が全員、同じ熱量をもってなにかに打ち込もうとしてるわけじゃないんだ。そして、打ち込めるならなんでもいいと思っている人は少ない、というかきっといない。野球がやりたいから野球部に、サッカーがしたいからサッカー部に入ってるんだろ。今の非公式部への部費を増やすってことは、今の公式部への部費を削るってことだ。今よりも予算が減った公式部の人たちは怒る」


「怒ったからってなんだっていうの?今までの状況がおかしかったことに気付くいいきっかけだわ。文芸とサッカーが同じように評価されるべきものと見直すはずよ。決してサッカーをやる人がえらいわけじゃないわ。みんながお互いに価値を尊重しないと多様性が失われるのよ」


「なぜそんなに多様性にこだわる?多様性が欲しいなら、今の状態がすでに多様じゃないか。それぞれの部が、それぞれの活動に見合った多様な金と場所で活動してる。君がやってることは逆に多様なものを一つの型に押し込めようとしているように俺は感じるね」


「それは違う。あなたたちは今ある状況に押し込められて、これでいいんだと思わされているだけだわ。今の型を抜け出しさえすればもっと自由に本来やりたいことをするはずよ」


「まあまあ、二人とも。ちょっと落ち着こうよ」


 白熱してきた言い合いに青田が割り込んだ。俺は息をつく。はっきりと実感する。やはり、真宮のことは苦手だ。真宮は拳を握りしめ、俺をまっすぐに見ていた。


「そこ、ちょっと通してもらってもいい?」


 出し抜けに階段の下から声がかかって、俺たち三人は見下ろす。見ると、三人の女子生徒がそれぞれの手に金色のトランペットやらタオルやらを持って立っていた。リボンの色から上級生ということがわかる。三年生一人と二年生二人か。


「あ、すみません」


 青田は俺と真宮を階段の端に寄るように促した。しかし、真宮は階段の通り道、つまり段ボールなどが積まれていないところ、の真ん中に仁王立ちしたまま動かなかった。


「どうして屋上を使うんですか」


 真宮は上級生たちに向かって聞いた。通せんぼされるとは思っていなかったらしい上級生たちは少し驚く。真ん中の三年生と思しき一人が口を開いた。


「ええと、夏休みにコンクールがあるから、パート練を増やすことになったんだ。もしかして、今屋上使ってた?」


「いや、今は」


 と言いかける俺と青田を遮って真宮は言った。


「はい。文芸研究部と革命部が先に来て使っていました」


 上級生たちは少し顔を見合わせた。そして今度は真宮ではなく、俺たちのほうを向いて言った。


「使わせてもらってもいいかな?」


「どうぞ」


 青田が言い、俺は頷く。しかし、真宮はそれにかぶせるように言い放った。


「いいえ、だめです」


「おい、いいかげんにしろよ」


 俺は手を伸ばすが、真宮は振り払った。


「文芸研究部が使っていた場所を、後から来た吹奏楽部が奪っていい理由を説明してください」


「理由って……、それは、さっき使うのを了承してもらったし、私たちはコンクールが迫っているし」


「コンクールに出るとえらいんですか。文芸研究部の活動はコンクールに比べて価値がないから、先に来ていても譲れというんですか」


 上級生たちはますます困った顔をした。


「ええと、革命部?の真宮さんだっけ。あのね、うちの学校では公式の部になるにはいくつか条件をクリアしないといけないの。毎年申請をして部承認が生徒会から下りるんだよ。どっちの活動のほうがえらいとかじゃなくて、こっちは部活をやっていて、君たちは自主活動をしているわけ。ここは学校だから、承認の通ってる部が活動できないとおかしくない?」


 完全にこの上級生の言うことはもっともだ。真宮含め、俺たちのこれは自主活動だ。


「生徒会に認められたら何でもやっていいんですか」


「学校においてはね」


「でも、それじゃ、多様性が……」


「ああもう!」


 我慢の限界とばかりに声を上げたのは後ろで話を聞いていた女子だった。二年生のようだ。真宮はびくりと体を震わせる。


「駄々をこねるのもいい加減にしなよ!正直だれもあんたの活動に賛同してないよ。何かを革命したいんならよそでやってよ。学校じゃ、迷惑だから!」


 声を上げた二年生は、ずんずんと階段を上ってきて、真宮を押しのけるようにして屋上のドアを開けた。黙っていた方の二年生もそのまま後について上っていく。真宮はうつむいたまま振り向かなかった。


「麻野!ちょっと言いすぎなんじゃ、」


「先輩は優しすぎるんですよ。私たちはコンクールで優勝しなきゃなんですから、こんなのに構ってられないんです」


 三年生は俺たちと後輩を交互に見た。そして、「ごめん、練習はやらせてもらうよ」と言うと、真宮の脇を通って階段を上って行った。ドアは閉められた。


 目だけ動かして真宮の方を見るが、長い髪に隠れて表情は見えなかった。真宮はぱっと走り出した。走って廊下を抜け、角を曲がって見えなくなった。


 俺たちはその間、突っ立ったまま動かなかった。トランペットの音出しが始まった。俺はゆっくりと体を動かした。思ったより体が強張っていて、それを動かすたびにミシミシ、バキバキという音が聞こえてくるかと思えた。俺は床からペットボトルと落ちている紙を拾い上げた。


「さて、今日はもう帰るか」


 青田は頷く。


「ここで彼女を追いかけて行って慰められれば、俺たちももう少し男として胸を張れたのにね」


「さっきのは完全に真宮のせいだろ。今俺たちにすべきことはない」


「榊は冷たいね」


「冷静なんだよ」


🍈 🍈 🍈


 全校集会が開かれたのはその三日後だった。蒸し暑い体育館の中に生徒たちは並んで座らされる。


 この高校では七月の中盤に文化祭が執り行われる。開催まで一か月を切ったことについて、生徒会の中の、やけにテンションの高い部門である文化祭実行委員から告知と説明があった。そのまま集会は終わるかと思われたが、最後に生徒会長がマイクを取った。生徒会長は、学校内のルールがいくつか決定的に変わったということを発表した。


🍈 🍈 🍈


「で、どうして榊は署名を提出したんだい?」


 青田はメロンソーダを傾けながら尋ねる。そう、俺はあの日拾った紙に署名をして、直接生徒会に提出した。もちろん、あの条件のまま提出したわけではない。俺が紙を持って生徒会室に入ると生徒会長の男子生徒は驚いたが、俺の提案する話を丁寧に聞き、理解してくれた。


「自主活動だよ。きわめて個人的で革命的な」


 弁当を包んでいたランチョンマットが風ではためいて弁当に接触しそうだったので、水筒をランチョンマットの角に置いて重石替わりにする。屋上に初めて昼食を食べに来たが風と日差しは強い。


「ふうん、革命的」


 集会で発表されたルールというのは一言でまとめれば、放課後の屋上の利用権を予約制にするというものだった。


「とすると、君はあの日の真宮さんの主張にどこかしら動かされたってこと?」


「同情したって線は考えないんだな」


「榊は同情だけでこんなに行動しないでしょ」


「よくわかってるね」


 俺は肩をすくめる。


「これ以上面倒を避けるためだよ。放課後、屋上が誰もが予約さえすれば使えるからもめごとが減るだろ。多少手数がいるけど、予約さえすれば俺たちも堂々と使えるし、吹奏楽部も今後ほぼ今までと同様に屋上を使える。革命部は初めての革命っぽい効果が見られて、活動としては満足できて、これからは吹奏楽部と衝突しなくて済むようになる。みんな丸く収まった」


 青田は少し笑った。


「饒舌だ。榊は真宮さんのことになるとよくしゃべる」


「そんなことはない」


 俺は抑揚をつけずに言う。青田は人差し指を立てた。


「俺はこう思うんだ。君は冷たいように見えて実はやさしさがある。だからこれ以上真宮さんが他の人からヘイトを買うのを見ていたくなかったんじゃないかい?こうすれば全校生徒は真宮さんを、極端な主張をしていたように見えていたけど意外と落としどころをわかってるんだな、と見直し、しかるべき手法で生徒会に提案をし、それを通す力もある、そう思わせることもできた」


「どう思おうと勝手だけど、俺は俺の平穏を守ろうとしただけだよ」


「革命的な手段でね」


 青田はメロンソーダをあおり、空になった缶を屋上の白いコンクリートに置く。俺は何か言おうと口を開きかけるが、やはり面倒な気がして閉じた。だいたいその通りだ。フェンス越しに街へ目をやる。これからの放課後、ここは誰のものでもないのだ。今までだってもちろんそうだったのだが、公式に、より厳密に誰のものでもない。みんなの場所であって、俺たちの場所じゃない。ルールの施行は、予約のシステムが完備されてからなので発表されて次の日から、というわけではなかったが、すぐだろう。文芸研究部は、俺たちはどうなっていくんだろう、と俺はぼんやりと考える。気軽に来れた場所が、簡単な手順を踏めばいいだけなのに、ずいぶん来るのが億劫な場所に変わってしまったみたいだ。俺が変えてしまったのだ。吹奏楽部のコンクールが終わったらまた同じようなことをするのは可能だ。可能だけれど、何か違う気がする。


 スマホのバイブ音がして、青田はスマホを手に取る。


「あ、ニュースだ」


 ニュースアプリの通知らしかった。風が吹いて空になった缶が倒れてコンコンと音を立てながらフェンスまで転がった。


「うそ、メロンソーダが果汁入りになるんだって」


 スマホから顔を上げた青田はうろたえた声で言った。あまりにその声が動揺していたので俺は笑ってしまう。


「笑いごとじゃないよ。ええ、今までずっと無果汁だったのに1%にするの?今まで1%だったのが2%になるのとはわけが違う。ゼロといちは全然違うよ」


 青田はうろたえながらも立ち上がって、転がっていった缶のところまで歩いて行って拾い上げる。


「あーあ、果汁0%だから好きだったのに」


 青田は惜しむように缶のラベルを見る。ほぼ同じはずなのに全然違う。


「果汁なしが売ってるのはいつまで?」


 俺は尋ねる。青田はスマホを少しいじる。


「来月までだってさ」


「そうか」


 今日の帰り道、メロンソーダを買って帰ろう。俺はぼんやりとそんなことを思った。果汁0%の、メロンソーダを。

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