ICE BOX

 あなたは信号を待っている。


 頭の真上から照り付ける暴力的な日差しがあなたの髪やうなじを焼き、交差点の中、アスファルトからは陽炎が立ち上っている。短く、濃い色の陰があなたの足元に落ちている。Tシャツの中で一滴の汗が背中をゆっくりと滑り落ちていくのをあなたは感じる。細胞が融けて毛穴から滲み出してくるようだ。


 熱したフライパンの上に立っているかのような感覚に襲われ、スニーカーの靴底が融けないだろうか、とあなたはぼんやり考える。


 あなたは両足と両手の熱のことばかり意識していた。手汗がひどくにじむというわけでもなく、ただ熱い。スニーカーの中には熱がこもっている。サンダルを履いてきたならばもう少しましだったのだろうか。それとも、容赦ない日光の攻撃で足の甲に火傷をしたのだろうか。ひんやりと冷たい壁に今すぐ手足をくっつけられたらどんなに楽になるだろうとあなたは渇望する。手のひらは握っても熱いし、開いても熱い。


 信号が青に変わる。信号待ちをしていた人間の群れが一斉に動き出す。数歩歩きだしただけで全身からどっと汗が噴き出してくる。細身のズボンが気持ち悪く太ももにへばりつくのを感じる。歩き出した視界に入って来る空は青い。あきれるほど、嘘みたいに作り物めいた青である。


 あなたは横断歩道を渡り切り、大通り沿いを歩きだす。道の両側にはビルが立ち並んでいるのに、通りを行く人々の上にその影を投げかけてはくれない。


 ふとあなたは右手にアイスボックスを握っているのに気が付く。円柱形の容器、アルミの蓋を開ければグレープフルーツの味がする氷が入っている、あの氷菓。濃い青と水色、黄色の三色のパッケージ。あなたは鮮やかな水色と空の色を意識する。冷凍庫から出したばかりのようなそれは、表面に霜をまとい、少し握ると小さな霜の毛並みが手のひらの熱を奪いながら水となる。あなたは容器を手の中でゆっくりと回すようにして触る。すぐに表面についていた霜は水になり、あなたの手のひらはすっかり濡れる。


 あなたは左手にそれを持ちかえる。左手も濡れる。右手に風を感じた。熱気でしかない街の空気があなたの歩みによって風圧を持ち、濡れた右手を乾かしていく。手のひらの水滴が一瞬の気化熱効果を発揮しては消えていく。あなたの右手から一滴、ぬるくなった水が落ちる。


 あなたは右手をズボンにこすりつける。ズボンは水滴で染みをつくる。一歩踏み出すとき、一瞬の涼がある。


 あなたは左手から右手に容器をまた持ちかえる。濡れた左手をズボンでこする。すでに右の太ももの染みは消えている。


 あなたの右手の指は、アルミの蓋とプラの容器の境目を這いまわり始める。開け口のつまみがあなたを誘う。あなたは少し足を速める。髪の生え際の間をぬって流れてきた汗が目のすぐ横を移動していく。首筋を流れていた汗がTシャツの中へ入っていく。


 あなたは街路樹の下を選んで歩く。濃い緑色の葉は暑さでぐったりとしなだれていた。真夏の正午の狭い影から狭い影へと、黙々と影を踏みながら前に進む。


 あなたはついに自宅の玄関に立つ。ズボンの尻ポケットから鍵を引っ張り出す。鍵は気温のせいか、体温のせいか、どっちもなのか、予想よりも熱かった。ドアハンドルを握ると、鍵と同じくらい熱い。ドアを開ける。外の明るさと室内の明るさの差に、家の中はずいぶん暗く見えた。


 天国のような冷房が一瞬にしてあなたを包み込んだ。一気に全身が心地よく冷やされる。汗が見る間に引いていくのがわかる。生き返るかのようだ。あなたは夢中で靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ捨ててひんやりとしたフローリングを堪能する。足の裏からフローリングへと、ものすごい勢いで熱が放出されていく。


「暑かったでしょう。麦茶でも飲む?」


 リビングでテレビを見ていた母親があなたに聞く。目が慣れてきたあなたは返事をし、リビングへ向かう。


 右手を見下ろすと、アイスボックスは消えていた。

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