第8話 黒き刃と桃色粘性体

削り出した黒曜石の塊に術式を施しただけの刀身は剣と呼ぶにはあまりにも脆く、無骨な造りであったそれは、アマデウスの魔力を喰らうかのようにぐんぐんと吸収していく。自然と刃を握る手に力が籠る。そして、名を叫ぶとソレは本来の姿を現した。


「ネガオブシディアン!!!」


光を呑み込む様な深き夜を思わせる黒い刀身は鏡の様に磨き抜かれた濡羽色へと変わり、術式が馴染むかのようにより深く刻まれ肉眼でも視認できるほどに輝きを強く増していた。本来の姿は物質と魔力の中間にある。揺らめく刀身は輪郭がおぼろげで伸縮を繰り返し、余分な魔力からなる紫煙を吐き出していた。形状から言えば大ぶりな片刃のダガーに近いが安定した形には程遠く混沌としていた。


セレスティの中にいるモノはその刃を見た途端、全身が粟立つ様な感覚に支配された。今までにない未知の感覚であった。恐怖を知らぬ怪物は生まれて初めてアマデウスの手にある【ネガオブシディアン】に対して危機感を抱いたのだ。


距離を取らなければ─────。


本能がそう訴えていた。身体を駆け巡る警鐘に従い、異形と化したセレスティは即座に動いた。肩甲骨の辺りからてらてらと光を浴びて幾重にも輝く魔力結晶の翼を広げると、自らの領域を縦へと伸張させて上空へと凄まじいスピードで飛び上がった。

羽ばたき上空へと飛翔し、感情の乗っていない視線をアマデウスに向けると人類には理解することのできない言語により紡がれた術式を行使した。幾層にも重なる方陣が天蓋のように空を覆い、数え切れない程の魔力結晶が出現したのだ。


幾千幾万の煌めく鋭利な結晶体。

それらはアマデウスを殺さんと今立っている位置を中心に放たれ、大地へとその牙を突き立てていく。


天上より降り注ぐ暴虐の雨に晒されたアマデウスに逃げ場はない。


0.015秒─────。


アマデウスが判断に要した時間である。飛来する無数の攻撃に対してアマデウスが取ったのは最も得意とする方法であった。召喚である。


虚空よりドロっとした粘液が吐き出され、ドーム状に身体を覆い隠していく。召喚対象の名を呼ぶことすら省略し、契約に基づく強制力のみを利用して引っ張り出したのはスライムだった。


何とか全身を覆い尽くしたタイミングで召喚したスライムの体表に魔力結晶が矢のように突き刺さっていく。無数の飛来物が地面に接触する影響で大地が揺れ、轟音に包まれた。その衝撃は凄まじく、辺り一帯を呑み込んでいくつものクレーターができ、その中心には柱のような魔力結晶が突き刺さる異様な光景へと変貌していく。地形すら変えてしまう絶大な力をふるいながら下界を俯瞰するその姿は天上の使者を思わせる。


(てっきりダウン系だと思っていたが……。見た目はアッパー系に近い。キルケー・プライドはセレスティナに何を仕込んだ?)


アマデウスひとりを殺すためには過剰とも思える攻撃は数分間止むことはなかった。その間、召喚したスライムが身代わりとなってくれたおかげで思考する余裕が生まれていた。


そして音と衝撃が止んだ。外は悲惨なことになっているが爆撃を無傷で凌いだアマデウスはスライムによる防御を解除した。


膨張した体組織を元のサイズへと戻していく。つるりとした弾力のあるフォルムはなんとも愛嬌がある。その柔らかいボディには数え切れないほどの魔力結晶が突き刺さったはずなのだが、不思議と無傷である。ひんやりとした感触がした足元を見るとスライムがヌルリと地面を這ってアマデウスに擦り寄ってきていた。


「助かった」


なでてやるとその弾力に富んだ身体を嬉しそうにふるわせる。久々の主人との再会にスリスリと身体を擦り付けて甘えるスライム。


「わかった。わかった。でも今は戦闘中なんだ」


その言葉を聞いてポヨンポヨンと跳ね回り、収縮、膨張、分裂、融合と一通り繰り返し、人型へと姿形を変えていく。見た目は10代半ば程。ふわふわとしたピンク色の無造作に伸ばした髪に眠たげな目をしたやる気なさげな少女が立っていた。


「主ぃー。久しぶりに呼ばれたら身体、串刺しにされたぁー」

「それに関してはすまないと思っている」


人型になったスライムは間延びした口調で文句をたれたが、その口調のせいか大して気にしているようには感じられない。だが一応謝罪はしておく。戦闘中に仲間同士で揉めても意味がない。


「詳しい説明は省くがあの飛んでるのを無力化したい」

「ん〜。主ぃー。アレ食べていい?」

「食べちゃダメ。今は暴走してるだけで新しい仲間になる奴だ」

「わかったぁー。を投げてぇー。そうすればー、きっと落ちてくる」


そう言って柔らかった身体を圧縮、硬質化させて手に納まる程の球体へと変化した。持ち上げるとその大きさからは想像もつかない程の質量を感じる。

彼女の種族名【ショゴス】。魔力を含むものならば何でも消化してしまう雑食だが、特にアダマンタイト等の魔鉱を好む。元々は大規模なアダマンタイト鉱床を食い尽してある国を傾かせた程手に負えない魔物だった。討伐依頼を受けたアマデウスが仲間と共に調伏したのだ。

その身体はあらゆるものに自由自在に変化することができ、軟化すればあらゆる物理攻撃を無効化し、硬質化すれば主食のアダマンタイトの硬度に匹敵し、魔術にも強い耐性を示すという凶悪仕様である。


ずっしりと重く伸し掛る質量の塊を魔力による身体強化に物言わせて大きく振りかぶり、空を浮遊してこちらを窺うセレスティナ目掛け、ショゴスを思いっきりぶん投げた。

ピンク色をしたアダマンタイト級の硬度ととんでもない質量をもった球体はぐんぐんと加速してゆき、対象へと流星の如く一直線に飛翔していく。だがただ速い攻撃が当たる程甘い相手ではないこともわかっていた。案の定、相手も翼をはためかせて回避しようと動き出していた。到達寸前で避けられるとアマデウスは感じた。その瞬間、球体がバラけた。1つの玉は弾けるように無数の小さな玉に分かれ、空間を埋め尽くしていく。逃げ場を失ったセレスティナは散弾の要領でばら撒かれたショゴスの身体一つ一つが先程とは逆に身体を容赦なく貫かれ、蜂の巣にされていく。

風通しの良くなった身体は蒼い飛沫を撒き散らしながら、ボロ衣のようになってぼとりと地面に激突する。最後にショゴスは身体を杭に変え、落下の勢いそのままに五体に突き刺さり、地面へと縫い止めてみせた。


「おぉー、すごいな」


そんな感想を漏らしながらも最後の仕事をこなすアマデウス。


決着を見届け、片手に握ったトヒルに魔力を込めるとそれを糧に刻まれた術式が激しく明滅する。そして、黒曜剣を横薙ぎに一閃。


最大出力の割断術式が乗った斬撃はセレスティナの創り出した世界を斬り裂いた。


世界を塗り替えていた術式が効力を失ったことで幻界は徐々に崩壊し、やがて元の地形があらわとなる。


本来の姿を取り戻した黒曜の刃によって斬り裂いた全てのものは術式の効果によって斬られた状態に固定される。それは何らかの方法で術式を打ち消さないかぎりは元の状態には決して戻れない。

アマデウスは地面に磔にされて這いつくばるセレスティナへとゆっくり近づくと、完全に異形を停止させるために虚空から別の剣を取り出し、その心臓に突き立てた。口から蒼い血の塊をゴポリと吐き出すと、ビクビクと身体を痙攣させて意識を失った状態で元の少女の姿へと戻り、暴れていた異形は完全に機能を停止した。



胸に刺した剣を引き抜くと青い血が溢れ出る。心臓を潰されて死んだように見えてもこの程度では【貴族ブルーブラッド】は死なない。死ねないのだ。

生きていることを確かめ、召喚した白い布で頭から爪先まで丁寧に布で包むとそっと抱きかかえた。


「主ぃー、早くアジトに帰ってきて」


「あぁ。わかった。なるべく早く戻るようにする。ジョゼ、ありがとうな」


ショゴスのジョゼにお礼をして送還するとアマデウスもセレスティナを抱えて境界門ゲートを潜り、家へと転移していった。 アマデウスとセレスティナが去った後に残るのは不自然に濃い魔力の痕跡だけだ。


◇◇◇


セレスティナが目覚めたのはそれから3日後のことだった。目覚めたのは見知らぬ天井の下ではなくここ数日寝起きした見知った暖かなベッドの上。アマデウス・フローライトの名を名乗る男が主の家の。


まだ頭の中に靄がかかったように記憶が朧気ではあったが、この家の主がずっと捜し続けてきた名を口にしたことははっきりと思い出せた。


(その名前を聞いて私は─────)


記憶の糸を辿り、ハッとして上体を跳ね起こして息を呑んだ。 激しく取り乱し、感情のままに魔力を暴走させたことを思い出したのだ。

家をめちゃくちゃにした挙句、命の恩人に牙をむいてしまった事実に頭を抱えた。


さらにあんな暴挙に及んで醜態を晒した相手を追い出すこともせず丁重にベッドに寝かされていたのだからますます合わせる顔がない。いっそのこと放り出してくれた方がどんなに気が楽だったかとそこまで考えて深い深い溜息が零れた。


冷たく見えてもそのような薄情なことはしない御仁だと既にわかっていたはずなのに、最後の最後で彼を信じることができなった自分に心底嫌気がさした。鬱々とした感情を持て余すあまり、もう一度布団を被り縮こまると枕元にはセレスティナの大切な短剣が丁寧に置かれているのが目に入った。武器になる物くらい取り上げても良さそうなものだが、必要ないと感じたのかそれとも大切なものだとわかっていたからか。意図は不明だが、置き方一つ見ても気遣いが感じられる。それを見てもう一度、セレスティナは大きな溜息をついた。


枕元に置かれた短剣を手に取り仰向けのままそっと鞘から短剣を抜くと鏡のように磨き抜かれた刀身を、怪物とでも対峙するかのように刀身を恐る恐る覗き込むと、そこに映し出されたのは何とも情けない顔の自分の姿だった。


不安、恐れ。


猜疑心で凝り固まっていたせいでそういった感情に突き動かされた結果がこれである。愚かしいとしか言いようがない。刀身に映る愚か者の顔。それから逃れるようにまた鞘に短剣を戻した。


そこからさらに丸々半日グダグダと悩み抜き、己を顧みるのに時間を費やしていた。何もしなくても腹は減る。枕元にはパンと果物があって、自分が拒みかけたものに庇護されているのだと嫌というほど実感し、初めてここに来た日のように泣きながらパンに齧り付いた。


1度目は生きていることに。

2度目は護られていることに。


だからだろうか。今度の涙はあまりしょっぱくはなかった。




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