第9話 彼方より

いつのまにか寝入ってしまったようで外はすっかり闇に覆われ、静寂が支配する時間帯にあった。真夜中も過ぎ、日の入りよりきっと日の出の方が近い頃合いなのだろう。


静か過ぎて衣擦れの音やベッドの軋みがやたらと大きく感じられた。


そんな静寂の中でセレスティナ以外に音を発する侵入者が現れた。チリンと鈴の音を響かせて、ソレはセレスティナのいるベッドに飛び込んで来たのだ。


「猫?」


「なぁー」


返事にしては何とも気の抜けた声でひと鳴きするとセレスティナの上に飛び乗ってきた。そして撫でろと言わんばかりに身体を擦り付けてくる。そっと顎を撫でてやると満足そうに目を細める姿に自然と顔が綻んだ。


それにしてもこの家に来てそれなりに経つが猫は初めて見る。首に鈴を付けているのだから飼い猫だろう。


「猫ちゃんどこから来たの?」


「にゃあー」


綺麗な毛並みをした美人だが、見たことのない色合いをしている。光の具合によって幾色にも表情を変える暈色の毛並みはふわりと手触りが良く極上の撫で心地である。


抱き上げて撫でてやっていると満足したのか飽きたのか腕の中からするりと抜け出すと少し距離を空けたところに落ち着き、毛繕いを始めた。そんな自由な振る舞いはいかにも気まぐれな猫らしい。


毛並みを整えている姿を眺めて癒されていると猫と目が合った。自然と見つめ合う形となった1人と1匹は互いの青い瞳が交差する。


「何を迷っているの?」


「ふぇッ!!えっ!?」


驚きのあまり大きく仰け反った結果、激しい音が部屋に響いた。勢い余ってベッドから転がり落ちたのだ。


唐突に猫が流暢な人語を介して話し始めたのだ。勢いよく打ち付けた腰を擦り、涙目のセレスティナは何とか起き上がると猫とまた、目と目が合った。猫は驚き戸惑うセレスティナを無視して再び同じ質問を繰り返した。


「何を迷っているのかって聞いてるの」


迷っているのかと言われても状況に理解が全く追いつかないでいた。一体何を期待しているのか分からず、セレスティナは戸惑うばかりだった。


「あなたは魚。あの方に釣られる魚。ただ目の前にたらされた糸に食いつけばいい。そうしたら釣り上げてもらったら全て委ねればいいの。ワタシ達はそうした」


先程までの愛らしさはすっかりなりを潜め、全てを見透かすような視線に身震いがする。その目には確固たる知性の輝きが見て取れた。釣られる云々はよく分からないが、あの方とはおそらくあの男のことを指しているのだろう。


「あの方は私に価値を示せと言いました。今私が差し出せるのはこの身だけ。それで足りるのかは分かりません。それでも彼がアマデウス・フローライトであるなら……。母の言う方であるなら、助けてほしいです。怯えて暮らすのも、家族や同胞が酷い目に合うのももう沢山です……」


腹の底から絞り出すような声で望みを口にし、祈るように手を組んでギュッと目を閉じるセレスティナの姿に猫は「なぁー」と憐れむようにも、気遣うようにも聞こえる声で鳴いた。


「ならあの方に伝えなさい。あの方ならきっと応えてくれる」


「どうして初めて会った私をそんなに気にかけてくれるのです?」


「私に様子見を頼むくらいには、あの方はあなたを気にかけてるってこと。私もそれを了承するくらいには興味があるってだけ。ただの気まぐれ」


ふんと鼻を鳴らし、顔を背ける姿は素直じゃないが、気まぐれだろうとその気遣いがたまらなくありがたい。


「ふふっ、そうですか」


「それでももらうものはもらうから。タダで働く程暇じゃないんだから」


「私にあげられるものなら」


「あなたはそこで少しじっとしていてくれればいいわ。あとは勝手にもらっていくから」


猫の前脚がセレスティナの胸に触れると、思いもよらぬ衝撃とともにその背から勢いよく虹色に光る魚が飛び出した。

セレスティナの身体から飛び出た魚が優雅に宙を泳ぎはじめると身体から一気に力が抜けていく。身体から魚の形をした何かを抜き取られたセレスティナは力なくベッドに仰向けになって倒れ込んだ。

猫はというと空中で器用に魚を咥えて捕まえると部屋の隅の影に溶けるように姿を消した。


◇◇◇


魚を咥えた猫の足取りは軽い。何せ今日はご馳走だ。ルンルン気分でしっぽを揺らし、主の元へとやってくる。アマデウスの膝へと勢いよく飛び乗ると、口にくわえた獲物をぱくりとひとのみ、満足げに舌なめずりをするマイペースな使い魔にアマデウスは眉をひそめた。


不穏な空気を感じてか猫は主人に身体を擦りつけて甘え出した。


「胡麻すりはいい。それでちゃんと彼女の様子は見てきたんだろうな。ゼナ」


「まったく。つれない人。言われた通り様子も見てきたし話もしてきたけど?なかなか可愛い子ね。ああいう子が最近はいいのかしら」


「邪推はやめろ」


「ふーん。それなりに気に入ってるから面倒見てるくせに。素直じゃないわね。過剰な魔力も抜いておいたから当分は心配いらないでしょう。貴族の魔力なんて初めて食べたけど芳醇でとっても美味しかったから癖になっちゃいそう。また魔力をいただきたいから契約するなら私は賛成」


「ゼナ、お前な。いくら膨大な魔力を抱える貴族だからといって味を占めて矢鱈に魔力を抜き取るなよ。底なしのお前にしゃぶり尽くされたら干からびる」


「わかってますけど?ちょっとよ。ちょーっとだけたまにでいいから分けてもらうだけだから。それならいいでしょ?」


「俺に聞くな」


「契約しちゃったら主様の許可なしに魔力なんてもらえないじゃない!わかってるくせに!」


「契約するとは限らないだろ。まぁ手を貸してやるなら契約してもらうが。こちらもタダ働きするつもりは毛頭ない。落ち着いたら考えるだろう。もう少し様子を見てからだな」


「身体を捧げる云々まで宣言したのでしょ?だったら、もう腹は決まってると思うけど?」


「それでもだ。こちらはあくまで頼まれる側であって、必ずしも手を貸さなければならない立場にはない。多少思う所もあるがそれはそれ。向こうが対価を払い、俺が手を貸すという流れでなければ力は貸せん」


「まぁそれはそうだけど。身も心も傷ついた少女の弱みに漬け込んで身体を差し出させるなんて鬼畜ね」


「ふん。何とでもいえ。世の中ただより高いものはない。しっかりとけじめをつけなければならないんだ。今後のためにもな」


「はいはい。解りました。主様の仰せのままに。どうせ契約する流れになってあの子の為に動くことになるんだから招集はかけておくわ。人手はどのくらい必要?」


「全員だ」


「はぁっ!?」


その言葉にゼナは目を丸くした。

全員に招集をかけるということは長らく活動休止していたクランの再開を意味するからだ。


「全員に必ずこいと伝えてくれ」


「かしこまりました。ご主人様」


セレスティナのためにクランを動かす決意をした主にゼナは先程まで軽口を叩いていたのが嘘のように恭しく頭を垂れるとまた影に溶けるようにゆっくりと消えていった。

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