第10話 決意の契約

猫が影を渡るために開いた僅かな世界の綻びの影響で部屋全体を照らす魔力光が微かに揺らめいた。騒がしい使い魔が去ったことで訪れた静寂の中ではちょっとした物音もよくわかる。それが微かな衣擦れの音や戸を開け放つときの僅かな軋みだとしてもだ。


「立ち聞きとはあまり褒められたものではないな。気になるなら堂々と聞きに来ればいい」


すると空のグラスを胸に抱いたセレスティナがヤハおずおずと物陰から顔を出した。バツが悪そうに視線をさまよわせて俯き、小さくなっていた。悪戯が見つかった子どものような反応に苦笑してアマデウスはソファに腰を下ろすように促す。


申し訳なさそうにちょこんと座ったセレスティナの持ってきたグラスに水差しから水を注いでやった。セレスティナはすぐにグラスに口を付けることはせず暫し沈黙が場を支配し、カランと氷が溶ける音だけがよく響く。

自分用に氷を用意してグラスに入れてそこにボトルから琥珀色の液体を注ぎ込むとふわりと甘い酒気が広がる。グラスを傾け、ゆっくり酒精を味わう。いつもは一人で楽しむ酒精だが今日は違う。


「どうだ?付き合ってくれると嬉しいのだがな」


そう言って酒の入ったボトルを振ってみせるアマデウス。セレスティナは水の入ったグラスを一気に煽って空にするとアマデウスの前に差し出す。

それを見て嬉しそうに微笑み、グラスに氷を入れて酒を注いでいく。


「ありがとうございます。いただきます」


グラスを受け取りグイッとひと口。カッと喉の奥が熱くなり、その熱が身体全体へと広がっていくような感覚。強い酒だが口当たりはまろやかでほのかに甘みを感じ飲みやすい。


「美味いだろう?色々な酒を試したがこいつが一番肌に合う。〈龍王連盟りゅうおうれんめい〉からわざわざ取り寄せるのは手間だがな」


「はい。とても美味しいです。私には少し強いですが。すみません。立ち聞きするつもりはなかったんです。水を貰いに来たら話し声が聞こえてきてしまって。出るに出られなくなってしまったというか……」


「気にするな。さっきも言った通り聞かれて困ることは何一つない」


「はい……」


ちびちびとグラスの中の酒を啜り、先程の会話について踏み込むべきかセレスティナが悩んでいるとそれを察してかアマデウスが口を開いた。


「このまま酒を楽しんで部屋に戻ってもいいし、朝になったらここを出て行っても構わない。だがひとつだけ言っておくがお前が対価を払うならこちらは手を貸す用意があるぞ?決めるのはお前自身だ。よく考えて決めろ」


(あぁやっぱり……)


ただ手を取ればいいというゼナの言葉が蘇る。セレスティナは意を決してグラスの酒を一気に飲み干した。


「私に力を貸してください!この身を捧げる代わりにどうか!」


グラスがテーブルに置かれ、カツンと甲高い音が鳴る。その真剣な眼差しにセレスティナの決意を見たアマデウスは愉快そうに口角を吊り上げた。

その獰猛な笑みに、僅かにのどをならす。アマデウスも残りの酒をグッと一気に飲み干して立ち上がった。


「場所を移そう」


そう言って外へとセレスティナを連れ出した。


◇◇◇


木々が連なる黒々とした森には星の光も届かず、風に揺れる枝葉のざわめきが五感を刺激する。夜風に触れて酒で火照った身体から熱が抜けていくのが分かる。闇に包まれた森の中に立っても不思議と怖くはない。それどころかなんだか心地よくさえある。そうやって風を感じているとアマデウスが話を始める。


「俺には【隷属ティトラカワン】という固有能力スキルがある。この固有能力は屈服した相手を従わせることができる。お前が暴れて倒した際に俺に屈服したとみなされてコレが発動した。つまり今、セレスティナ・レノックスという人物は俺の支配下にあってどんなことも強制することができる」


セレスティナが暴走したことで図らずもアマデウスに身を捧げる結果となったのだ。

これにはさすがにセレスティナも困惑するばかりである。


「それでは……。私はあなたの所有物に堕ちたということですね……」


「そうだ。だから別の形の【契約】を差し込む。俺が命令、つまり強制的に何かをさせることができる代わりに契約対象の出した条件を呑む必要がある主従の契約をな」


【契約】とは魔術を行使して決して破ることのできない誓いを互いに課す【儀式魔術】全般のことである。契約内容は互いに利益と不利益を均等にもたらす内容でなければならない。一方が生命をかけるならばもう一方もそれに釣り合うものをかける必要がある。そうすることで互いの望みをそれぞれに強制させることができるのだ。


「つまりあなたに守ってもらう代わりに命令に従うという契約を交わすことで一方的な支配を受けている私の状態を緩和するというわけですね」


「その認識で間違いない」


セレスティナは魔術まで行使して願いを聞き届けてくれるというだけで十分すぎるというのが本音だった。些か短い付き合いではあるがそれでもこれまでアマデウスの言葉に嘘偽りはなく、その上でこの言葉と姿勢を聞いて、見せられたらもう何も言えない。


「わかりました。【契約】を結ぶには具体的にどうすれば?」


「まず互いの魔力を繋げて循環させて霊的経路パスを通す─────」


今回行われる契約の儀式の手順はこうである。


互いの魔力を繋げ霊的経路を通す。

誓約を口に出して述べる。

誓約の言霊の魂への刻印。

契約の証として身体の一部を交換する


差し出された手を力いっぱい握り返すとアマデウスの熱が伝わり、魔力が掴んだ手を通して流れこんでくる。身体を駆け抜けた魔力が今度はアマデウスへと流れ込んでいく。そうやって循環させていくと互いの魔力が混ざり溶け合うように一つとなり、深く結びついていく。


アマデウスは充分に互いの魔力が結合したことを確認するとタイミングを見計らって次の段階へと移行させることにした。


「セレスティナ・レノックスを生命をかけて護ると誓う」


アマデウスの誓いは二人の魔力によって焼かれるような痛みと共に魂そのものに深く刻みつけられていく。額に脂汗が滲む。魂への刻印が完了するとやがて痛みは消えてなくなる。


「我、セレスティナ・レノックスはアマデウス・フローライトにこの身を差し出し、付き従うことを魂に刻み誓う」


続いて誓約を口にしたセレスティナにも同じ痛みが襲いかかる。奥歯を噛み締めて何とか耐え抜く。やがて痛みは過ぎ去り誓いが成ったことを理解した。


「これで最後だ。今から互いの肋骨を交換する。動くな」


そう言うとセレスティナを勢い良く引き寄せた。その命令にセレスティナは逆らうことができない。アマデウスの言った通り、見えない力で縛り付けられるかのように眉一つ動かすことができない。


セレスティナの脇腹へとゆっくりとアマデウスの手が滑り込む。まず衣服の布を貫くと、爪が喰い込んでいく。そしてそのまま皮膚を裂いて、肉を抉りながら奥へ奥へとやってくる。血が溢れだして手首位までが身体の中に押し込まれる。その手は肋骨の一部をしっかりと掴むと勢いよくむしり取る。


メキメキメキッ!!!!


鈍い音と共に激痛が身体を駆け巡る。セレスティナは声にならない悲鳴をあげ、涙を滲ませた。普通の人間なら死んでもおかしくない。


「───────────────────ッ!!!!!!」


肋骨の一部を握り締めたままセレスティナの身体から一気に青く染まった血塗れの手を引き抜くと今度は自分自身に手刀を突き立て、同じように肋骨を抉り出し、セレスティナの一部だったものを自分の中に入れて結合させる。

そして自分の骨をセレスティナへと埋め込んで 瞬時に治癒の魔術を施すと互いの一部が入れ替わった状態で傷が塞がっていく。


「……これで契約は完了だ。魂の繋がりと肉体の繋がりができた今、俺たちは強固に結びついている。どんなに離れていても互いに意思疎通ができ、お前の生命の危機には距離を無視して駆けつけられるようになった」


傷は消えたものの、まだ脇腹をえぐられた衝撃から立ち直ることができていないセレスティナを尻目に淡々と互いの血で濡れた手を拭うアマデウス。


「命令だ。今は自分の部屋に戻って休め」


命令を聞いた瞬間、弾かれたように小屋へと歩き出したセレスティナの姿を見送り、自分も家の中へと引き返して飲み直すことにした。明日からはまた忙しくなる。だから今日この時だけは新しい配下の誕生を肴にグラスを傾けるのだ。



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