第4話 開示

挽きたての芳ばしい香りが部屋中に広がっていく。入れたてのコーヒーから苦味を含んだ白い湯気が立ち上る。


薄暗い地下から這い出た男は部屋の灯りがやかけに明るく感じ目を細めながらコーヒーを入れ、ソファに身体を預けた。湯気の立ち上るカップを満たす酸味の効いた仄暗い液体に口をつける。


男はカップを片手にひとり、物思いにふけっていた。思考の大半は捕らえた者たちの処遇についてだ。あれこれ巡らせるためにこの味は欠かすことの出来ない。この苦味が思考の潤滑剤なのだ。

男の様にコーヒーを愛飲する者は少ない。嗜好品としてあまり浸透していないこともあるが、何より驚く程に高価なのだ。一部の物好きな商人が別の大陸から自身のために仕入れてきているため市場に出回ることも稀で、その物好きに高い金を払って分けてもらっているのだ。紅茶ですら王侯貴族の嗜好品なのだから、このカップに注がれた黒い液体には金と同じ位の価値がある。金を溶かして飲み干している様なものなのだから男がいかに財を持っているのかはなんとなく想像がつくだろう。

そんな高価なコーヒーを味わい、寛ぐ男にとって今捕らえているふたりを処分するか、利用するかはどちらでも良いのだ。情報源としてはあまり役には立たず、使役するにはそれなりのリスクがある。安全面に対してだ。この場所について知られていることと少女がいることを突き止められていること。どちらもどこぞの貴族である雇い主に伝わっている可能性があり、其奴らが諦めない限りこのような襲撃が続くというわけだ。襲撃は脅威ではない。だが脅威ではなくとも煩わしくはある。あのふたりを生かそうが殺そうが男にとっての静かな生活に別れを告げなければならなくなる。

いっそのこと少女共々放逐してしまおうかとも考えたが男の中に微かに残った良心がそれを咎めた。


すると少女が男のもとへとやって来た。男の不穏な考えを感じ取ったのかその表情はどこか暗く、沈んでいた。


「あのー…………」


おずおずと男に少女は声をかけた。


「どうかしか?」

「あの、その………」


男の問いかけにもなんと答えたらいいか分からないといった様子でどうにも歯切れが悪い。少女は何か話したいことがあるのだろうが、言葉にすることを躊躇っているあるいは恐れている様に見受けられた。


「とりあえず座って。何か飲むか?」

「いえ、あの……。大丈夫です」


男は遠慮する少女をあえて無視して飲み物を取りに席を立った。男は瓶から水を鍋に移し火にかけると戸棚から茶葉を取り出しポットに入れ、沸かした湯をゆっくりと注いでいく。中の茶葉が開くまで少し時間をおく。


キッチンから漂う優しい香り。茶葉の香りだ。男が紅茶の入ったポットとカップを手に戻ってくる頃には少女も幾分か落ち着きを取り戻していた。そっと差し出された紅茶の香りを嗅ぐと少しばかり心が安らいだ。


「あの、ありがとうございます」


そうして紅茶を口に運ぶと自然と深い吐息が少女の口からもれた。香り高い紅茶の旨味とほのかな甘みがすっと喉に広がり、じんわりと身体を温めてくれる。ゆっくりと身体の緊張が解けていくのがわかった。


「落ち着いたか?」

「はい」

「それでどうかしたのか?」


机を挟んで向かいに座る男をじっと見つめ、少女は意を決して話しを切り出した。


「その。助けていただき、ありがとうございます!」


勢いよく頭を下げる少女。男は表情を変えることなく礼など不要とばかりに黙ってコーヒーを口に含んだ。冷めたせいだろう。砂糖もミルクも入れていないはずのコーヒーの苦みが少し減った気がした。


「襲撃者のことなら気にするな。ああいう手合いには慣れている」

「それだけではありません。行き倒れていたところも助けていただきましたから。それに食事や寝る場所まで。本当に何とかお礼を言ったら良いか」

「俺が好きでやったことだ。気にするな。そちらにも事情があるのだろうからな」

「そのことなのですが……。どうか今一度私に力を貸していただけないでしょうか?」

「襲撃者の件なら捕らえた奴らも金で雇われただけで詳しいことは知らないようだが?」

「その件も含めて私の話を少し聞いていただきたいのです…..」


「まぁ聞くのはタダだが。見ての通り、俗世を離れた隠居の身だ。力になれることは少ないと思うが?」


「とりあえず話だけでも。私は。私の名前はセレスティナ・レノックスと申します。人を捜して旅をしております。ただ宛もなく途方に暮れ、さらには生命まで狙われる始末。どうか私と共に人を捜してほしいのです。できる限りの報酬もお支払いします。無理を言っているのは重々承知のうえ。ですがどうかお願い致します」


椅子から立ち上がると深々と腰を折り、少女は改めて男に頭を下げたのだ。


「人捜しか」


男はゆっくりと脚を組みかえると椅子に深く座り直し、じっくりと時間をかけてカップの残りを飲み干す。時間にして、数十秒といったところ。だが少女にはその無言の時間が果てしなく感じられた。


男には確かに力があった。少女を守るくらいはなんの問題もないくらいだ。だが人捜しはというと全くの専門外だ。最悪、探し人とやらはいつまでも見つからず時間だけを無駄に消費することになりかねない。男とって何より重要なのは失うものと得るものの天秤がつりあうことなのだ。


「それで力を貸したとして俺にどんな報酬を支払うつもりだ?先に言っておくが、こちらもそれ相応の報酬でなければ力は貸さんぞ」


男の態度は冷たく思えるが、それは至極真っ当なものであった。目の前の少女は、生命を狙われている。彼女を助けるということは生命を賭けることと同義なのだ。

セレスティナも一筋縄でいかないことは承知している。見ず知らずの者のために何の利益もなく生命を賭けるのは愚かなことだ。ましてや既に生命を救われている身。本来これ以上望むべくもない。だからこそ、セレスティナは男を頷かせるだけの報酬を、生命に見合う代価を支払わなければならない。


「当然です。私が今、提示できる報酬。それは私自身です。協力していただけるのならこの身体、好きにしていだいて構いません!」


セレスティナは一切の躊躇なく目的のため、男に身を捧げると宣言したのだ。その瞳に宿る覚悟。それを見た男もそれ相応の覚悟をもってこの少女と向き合わねばと居住まいを正した。


上から下へセレスティナの身体に沿って流れていく男の視線。

野山を駆け回る鹿のようによく引き締まったしなやかな肢体。肉付きという点では歳相応で別段発育が進んでいるということもないが、それでも各所の膨らみはしっかりと見て取れた。

男の好みが大輪の薔薇だとしても野に咲く白詰草の花も好ましく感じるものだ。


「どんなことも受け入れるということは俺が靴を舐めろと言ったら舐め、腰を振れと言えば振るということだと理解しているか?」


セレスティナの覚悟は伝わっていたが、男はその言葉の意味を理解させるためにあえて試すように問うた。


「はい。理解しています」


まゆひとつ動くことなく返された返答に男は静かに目を閉じた。


「なるほど……。望みのために己を捧げる覚悟は賞賛に値する。だが、それだけでは俺を動かすには不十分だ。申し訳ないが赤の他人の君のために生命を賭けて旅をして回る程暇ではないし、女にも苦労はしていない。お前の身体を欲しがる腕の立つものなら俺でなくとも見つかるだろう。他を当たってくれ」


どんな条件を提示してくるかと期待していた男は興ざめとばかりにすげなくその申し出を突っぱねた。セレスティナの覚悟は男を動かすには至らなかった。


だがセレスティナはまだ諦めていなかった。


「いいえ、貴方は私を見捨てない。見捨てることなどできない。貴方の魂の輝きは人を救い導く色をしているのですから」


魂の見えができると分かった途端、男の纏う雰囲気が変わった。その瞬間、凄まじい威圧感プレッシャーが押し寄せてくる。


(息がッ……!!?)


上手く息ができない。陸に打ち上げられた魚のように空気を求めて口をパクパク動かすことしかできないず、肺に空気が入ってこない。身体自身の毛という毛が逆立ち、汗が吹き出る。

恐怖のあまり男がとてつもなく恐ろしい怪物か何かのように見える。


セレスティナは下唇を噛み切る勢いで思いっきり自分の下唇を噛んだ。恐怖を痛みで上書きするためだ。唇からは蒼い血が吹き出し、滴り落ちていく。恐怖を飼い慣らすことに成功したセレスティナの瞳は真っ直ぐと男を、男の魂を見定めていた。


「あなたの魂は今まで見てきた中でも比べ物にならないくらいに強い黄金の輝きを放っております。黄金の輝きを放つ魂を持つ者は古くから王の器とされております。そしてあなた以外にも強い輝きを放つ魂や繋がりを幾つも感じます。網目のように繋がり合う魂。それはあなたが幾つもの魂を所有しているか、魂の契約を結んでいるということ。それはそれだけの力を持っている証。だからです。どうか私に力を貸してください」


これほどの眼を持つ者がいることに男は驚きを隠せずにいた。男も魂を見通す眼を持つ者がいることは知っていたし、何度も会ったことがある。だから自分の力を悟らせないためにそういった類の力を阻害したり、無効化するための術式には余念がなかった。そのお陰で誰にも見つかることなくこの森の奥で楽隠居できていたのだ。だがセレスティナはその術式の数々をいとも簡単にすり抜け、男の魂とそれに付随する力の一旦を正確に読み解いてみせたのだ。


「凄まじいな。その眼。そこまで魂を正確に捉えられるとは恐れ入った。それではその蒼い血についても説明してもらおう。興味が湧いた」


「私は蒼き民です……」


これは賭けだ。


セレスティナにとっての最大の秘密にして、狙われる理由わけ。それこそが碧き民であるということなのだから。


貴族ブルーブラッドか。なるほど。それが襲撃の理由か。狂気の天才キルケの最高傑作にして最大の功罪。蒼き血の民か」


男の威圧感が鳴りを潜め、身体の自由が効くようになっていた。その表情は今までの態度と打って変わり、多少の熱を帯びているように見える。セレスティナを見る目にも興味の色が窺えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る