第11話 焼酎①

 知っての通り、焼酎は日本生まれのスピリッツ。最大の特徴は、日本酒と同様に糖化の過程にこうじを使用すること。

 麹によって作られた成分が残ることで、糖化に麦芽の酵素を利用する他国のスピリッツとはまた異なる味と香りが出てくる。


 作り方は途中まで日本酒と似ており、まずは麦や米に麴菌を付着させて培養することで麹を作る。

 続いて麹に酵母と水を加えて糖化とアルコール発酵を行わせ、「1次もろみ」を作る。そこにメインとなる材料を加えて、メイン材料のデンプンをアルコールに変える「2次もろみ」を作る。

 こうして作られたもろみを蒸留することで、焼酎が作られる。


 蒸留の方法は基本的には単式蒸留を使うが、この際には常圧蒸留と減圧蒸留がの2通りの方法がある。

 常圧蒸留は普通の環境下で蒸留することで、蒸留といえば遥か古代から近年に至るまで、この方法が用いられてきた。

 減圧蒸留は近年になってから登場した方法で、1気圧以下の環境で蒸留を行う方法だ。気圧が低ければ液体は低い温度で蒸発するようになるので、低い温度で蒸留ができる。

 普通の蒸留法ではアルコールと一緒にさまざまな成分が蒸発して酒に入るが、低い温度で蒸留ができる減圧蒸留ではそうした成分が蒸発しないので、結果としてドライでクセのない味わいとなるという理屈だ。麦焼酎などはこの減圧蒸留で作られていることが多い


 焼酎がいつ頃、どんなルートを通って日本に伝わったのかは諸説あるが、有力なのはタイから沖縄に伝わった蒸留の技術が、貿易を通じて日本に来たという説。

 16世紀半ばには、鹿児島に来たポルトガルの商人が「日本人は米から作った蒸留酒を常飲している」と記しているので、少なくともこの時点では一般的なものになっていたことは確かだ。

 焼酎についての最古の記録は「落書き」。1954年に鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社を解体修理したときに、注連縄を括り付けている横木から見つかったものだ。

 ご丁寧なことに、横木の軽くえぐれたようになっている部分の内側に落書きをして、上から木材を当てて、釘で打って隠してあった。


 内容は「工事の時、施主が大変けちだったので一度も焼酎を振る舞ってくれなかった、とてもがっかりした」。

 日付は永禄2年8月11日(西暦1559年9月22日)で、作次郎・靏田助太郎と署名までしてある。

 これをわざわざ細工して、神社正面の注連縄のある位置に隠していたのだから、作次郎たちの恨みがましい気持ちが伝わってくる。


 このように室町時代の時点ですでに一般的になっていた焼酎は、江戸時代に入っても重要な存在であり続けた。焼酎の製造はアルコール生産の他、清酒造りに使った後の酒粕を肥料として利用するためにも行われた。

 酒粕はそのままでは肥料として使うには残留アルコールが多すぎるので、蒸留することでアルコール分は焼酎として、残った酒粕は食品や肥料として用いたのだ。


 大正時代になると、大蔵省役人(酒造技師・酒鑑定士)の河内源一郎氏が、沖縄で泡盛を作るのに使われている黒麹の中から、優れた性質を持つ物を単離培養することに成功。

 これによって日本の焼酎造りは一段と進歩し、河内氏は「近代焼酎の父」「麹の神様」と呼ばれるようになった。

 詳細は後ほど記すが、特に鹿児島や宮城でおいしい焼酎が作られているのは、ひとえに彼のおかげであると言っても過言ではない。

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