4話「死贄・4」

「対策書、面白かったねー」

「すっげぇーよな、あの眼光。マジビビったわー」

 禍都第二高校、一年四組の教室にて――生徒たちはホームルームが始まる前の雑談に興じていた。話題はといえば当然ながら、先ほど帰ってきたばかりの見学先、怪人対策書禍都支部のことであった。

認定怪人ニンカイってさ、対策書に入って怪人と戦えるんだろ?」

「そう聞いてるね」

「っべーな、公務員でヒーローでとか最強じゃん」

「俺はもっと、身近なところでがんばりたいけどね」

 軽口を叩く田淵に、柚原はたしなめるように応える。

「この学校だって、さ」

「しっ! ダメだって、クイドが来るぞ!」

 田淵は、最低限の音量で叫んだ。周りを見回す少年に気付いて、クラス中が静まり返る。楽しげに談笑していた全員が、こわばった表情で押し黙っていた。


“クイドが来る”。それは、ごく最近になってささやかれ始めたこの街の都市伝説だった。

 曰く、この街の怪人犯罪が高校生という年齢を避け始めたのは、ある怪人が敷いたルールに従っているからである、というのだ。違反者は例外なく抹殺され、彼の正体を探ろうとする者も死ぬ。そして、禍都第二高校の生徒に手を出すものは死ぬ。その理由は、彼がこの学校に強い思い入れを持つからだという。OBあるいはOGなのか現役の生徒なのか、それとも教師なのかは明らかになっていないが、怪人はこの街のどこかから学校を見ている。もしくは、学校の中にいる。

「平和なんだ、それでいいだろ」

「そうだよ。おとなしくしてるだけでいいんだもん」

 自然に、生徒たちは「クイドを話題に挙げない」という解決策を見出した。第一高校や商業高校の生徒が死んでいるという情報を耳にしても、第二高校に所属している自分が助かっているのだからいい、と考えるようになった。あげく転校を薦めたり、運が悪かったのだと責任転嫁したりし始めた。

(誰がいつ死ぬか分からないから……ぬるま湯に浸かっていたい、そう思うのも当然なんだ。俺だって、この力さえなければ)

 柚原亮一は、中学生時に行われる第一回因子テストで陽性と判断されている。つまり、早期に覚醒した認定怪人である。そして、彼はその力を隠すことなく使ってきた。クラスメイトもそのことを知っており、おそらく学校中でもっとも好かれている認定怪人は彼であろう。

 柚原と残り一人以外の怪人は、力に溺れて暴力を振りかざす三人グループの不良だった。しかし、彼らはある日突然死んだ。校舎裏に転がっていた彼らの死骸は、気味が悪いほど真っ白くなっていた。リーダー格のよく日に焼けたスキンヘッドも、色を塗り替えたように白くなっていた。

 警察はケツラクタイの仕業だと説明し、教師陣はへこへことお辞儀を繰り返して捜査資料を提供した。その結果として分かったことは、例の怪人はカメラに映らないということだけだった。不良たちはとつぜん虚空に向けて怒声を発し、怪人態に変化したかと思うと恐ろしい力で叩き伏せられ、そのまま死んだ。加害者はいっさいカメラに映ることなく、犯行の様子がすべて録画されているにもかかわらず、映像は何の証拠にもならなかった。

“クイドが来る”。

 その言葉は、呪いのように学校中に広まった。そして、教師陣や保護者を通じて禍都全体に広がった。例の怪人のことを噂したり、正体を知ろうとしたり、彼らが敷いた裏のルールを守らなかったりすると死ぬ、という情報が流れた。

 はじめは誰も信じなかった都市伝説だが、事実として人が死に続けることで、市民はルールを守るようになった。以前ならば誰が死ぬかは分からなかったが、死なない人間だけははっきりと定まった……第二高校の生徒は、怪人の正体を探ろうとしない限り死なない。そのタブーさえ冒さなければ、平和は守られる。

(でも俺は……ここで立ち止まっちゃいけない気がする)

 今日も無事でよかった、明日もまた会いましょう。上滑りするだけの教師の言葉は、きっと誰にも響いていない。

 対策書で怪人と戦うことを志望するものが、恐怖の傘に守られた安寧に甘んじていてはいけない。少なくとも、偽りの平和を打破しなくてはならない。たとえ己が死を迎えることになっても、芽生えた力は正しく使うべきだ。柚原は、そう考えていた。


 放課後、バッグに宿題を詰めた柚原は、彼の傍らを通り過ぎようとする少年に声をかけた。

「夕月。今日は大丈夫か?」

「うん、覚えてるよ。ゆずはら……りょういち、君。だったよね」

「よかったよ、記憶がちゃんと保たれてて」

「僕だって頑張ってるんだから、心配しないでよ」

 一年四組に、認定怪人はふたりいる。ひとりは右目だけが深紅のオッドアイ、悪魔めいた異形へと変貌する柚原亮一だ。そしてもう一人は、異常に細い左腕に肌のように包帯を巻きつけた夕月透である。線の細いこの少年は、対策書への勤務を志望するほど殊勝ではなかった……それ以前に、怪人化の代償を大きく受けすぎていた。

「怪我、早く治るといいな」

「もうしばらくかかるかも。ありがとう」

 ぽた、ぽたと奇妙に耳に残る足音を遠く響かせながら、少年は去っていく。

 夕月は、入学式に出ることができなかった。怪人犯罪に巻き込まれて家族をすべて亡くし、自身も全身に大やけどをして生死の境を彷徨ったのだという。しかし、彼に宿った怪人因子は、少々の無茶をしてでも彼を生かすことを選んだ。

(見た目に障害が残って、記憶も残らないことがあるなんて……。オッドアイも少しは気味悪がられたけど、それの比じゃないもんなぁ)

 彼の記憶は大きく失われ、被害当時の記憶や義務教育で勉強してきた知識をほとんど忘れてしまっていた。にこにこと笑う素直な子供としか思えない彼の精神は、ほとんど小学生にまで巻き戻ってしまっている。里親に付きっきりで勉強を教わり、家庭学習をみっちりこなすことで、どうにか高校一年生の範囲に追いついているという話だった。

 そして、ほとんど炭化するまでに焼けただれた左腕は、文字通りほとんど骨と皮の状態で保たれた。どうにか動かすことができても、激しい運動に耐えることはできない。一生治る見込みのない傷である。

「帰ろうぜー、リョーイチ」

「ああ」

 柚原の持つ義務感は、もうひとつ、夕月の存在に支えられてもいた。

(怪人犯罪を減らさないと、あいつみたいに不幸な人間が増える。望まない力に、どうにもできない人生。そんなのを許しちゃだめだ)

 決意を抱く少年は、放課後の禍都に繰り出した。

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