18話「しろくしろくしろ・5」

 対策室には、被害者宅から得られた証拠品が集められていた。

「すまねえな、あちこち移動させちまって」

「それが仕事ですから。何かあったんですか」

「これなんだがな。端末のロック解除に成功して、中身も見た」

「メモ……なんでこんな、同じことばっかし書いてるんです?」

 今日は冷蔵庫に何を入れた、仕事で何をした、洗濯をするといったメモがそれぞれ二~三十枚束になっている。レシートも一週間ごと日付順にクリップで留められており、どうやら家計簿も几帳面に付けていたようだ。

「どうもな、二週間くらい前、職場で大ポカをやらかしてクビになったらしくてな。単なるアルバイトなのに、仕事の手順を忘れたんだそうだ」

「記憶力、ですか」

「メモを見る限り、だんだん漢字も書けなくなっていってる。端末のパスワードを忘れる前日と思しき日に書かれたメモが、これだ」

「……『かんじがわからない。もじのかきかたわすれてきてる』……フリック入力じゃなきゃ、このメモも残らなかったかもしれませんね」

 メモ帳と書かれたアプリの「帳」も、最後には読めなくなっていたのかもしれない。あるいは「記録」というアプリなら、これさえ残らなかったのだろうか。城田は、万が一の奇跡に感謝した。

「解剖の結果なんですが……皮膚の下に寄生虫がいて、そいつが蝋を出しまくっていたから肌色や指紋に変化があったということでした」

「虫の正体は」

「今のところ、似たような成分を残す虫は記録にないそうです。それでなんですが、虫がこんなにフンをしてるなら、とんでもない量の何かを食ってたはずだと」

「……繋がってきたな。まともな指紋と潰れた指紋は混在してた、生活の中で徐々に変化していったってのが鑑識さん方の推測だ」

 奇妙な体質の変化と、部分的な記憶喪失は同時に進行している。寄生虫が食べているものは記憶だった、と現状で判断することも、あながち間違いではなさそうに思える。

「さっき聞いた「天音の家」だとかいう組織な。怪人の疑いは限りなく薄い」

「本当ですか? いや、平和でけっこうなんですが」

「単なるNPOだな。何かやってるとしても詐欺くらいだろう」

「はあ。活動内容の方は……」

 貧困層やら怪人被害の救済だよ、と資料の束が投げ出される。

「安い食堂やら一時避難シェルターの経営、それに仕事のあっせん。分かりやすい弱者救済のやり方だな」

「囲い込みビジネスと同じに見えますがね」

「そりゃそうだろう。何もかも失くすのとどっちがマシかってことなら、世話になりたい人の方が多いんじゃあないか?」

「外での怪人被害なんて、そうそうないと思いますけどねえ……」

 禍都での仕事に慣れると麻痺しがちだが、ひとつの街で年間四百件以上も怪人犯罪が起こることはまずない。怪人の数も人口比で千人にひとりいれば多い方だと言われており、覚醒直後にトラブルを起こして拘束されるか認定怪人になるか、あるいは隠し通して一般人として振る舞うのが普通である。早々に社会からドロップアウトして警察組織に追われる身になるものは少なく、怪人犯罪自体も起こらない。

「実際のとこ、昔は潰れた商店街の生き残りで立ち上げた組織だったらしいからな。空きスペースで賃貸をやったり、食堂やらバイトのあっせんでより効率的に、って話なら、それなりに賢いやり方だろう」

 商店街の生き残り戦略が定着率を賭けた囲い込みであるというのも、あまり良いことのようには聞こえないが……居場所や仕事がない若者も数多く存在する、という団体の紹介文には、うなずけるところもあった。

「怪人被害救済を謳えば、補助金は引き出しやすいですからね。指定悪鍋都市ならともかく、わりかし平和な隣でやるかって話ですが」

「実際に被害者が加入してるって点だけはクサいが、そこを除けばだいぶまともだ。ほんとにこの街で名前が挙がってきたのか?」

「立田さんが嘘をつくとは思えませんがね」

「誰かをかばう義理なんぞ感じる立場じゃないからな。どいつが「天音の家」について言ってたのかってところも、この街で何をしようとしてるかも……城田、頼めるか」

 うなずく――より深い裏側にコンタクトを取ってこい、という合図であった。


 警察組織――「怪人対策書」に媚びを売ろうとする怪人は、意外に多い。城田があえて顔を売っているのは、敵対組織の情報を流そうとするものどもの存在が絶えないからである。もとより警察は怪人の味方ではないため、利用できるだけしてしまおうと考えることもある意味では当然だ。

 よその縄張りを荒らしまわる怪人や、この街のタブーを犯した怪人などは、いち早く対策書に情報が渡る。薄暗いダンスホールで、真っ先に城田を見つけたのは、イヴニングもまぶしい五十がらみの女だった。

「あらシロくん、思ったより耳が早いのね?」

「どういうことだ、ノボリ」

「ハウスにちょっかいかけたおばかさんがいるって、ここ三日くらいその話題で持ち切りなのよ。知ってるでしょ、“駅前での活動禁止”」

「のわりに、やつらを見たことはないがな。それで」

 こーれ、とノボリはバーカウンターに置かれていたビラを手に取った。不安定な照明に照らされつつ、ぬらぬらした質感がやけに目につく。

「天音の家の勧誘ポスター……何もおかしいものじゃないだろう」

「これを配ってたのが、怪人だったのよ。何もなくてもアウトよ」

「あいつらの勝手に合わせるのも勝手だが、しかしな……」

「ハウスの子がちらっと見てたのよね。もうダメ」

 またどうでもいい抗争が始まるのか、とうんざりした城田は「甘いのをくれ」と適当な注文をした。

「クイドちゃんがよそ者を食べたとかって話題が出てたんだけど、その三日くらい前に公園でカップルごちそうさましたじゃない? 成長期なのかしら」

「いや、別の怪人みてえだな。タイプは分からん」

「分からんって、専門家さんじゃないのよ。覚醒型、継承型、それとも伝聞型? あれが欠落体じゃなかったらなんなの」

「相手の体内に、虫を潜り込ませる……どうやったもんだか、そいつがどこに行ったんだか、そこんところがさっぱりだ」

 あらやだとわざとらしく体をかきいだき、ノボリは赤いカクテルのようなものを出した。ノンアルよと微笑んでから、近寄ろうとする客を牽制したらしく、遠くをきっと睨む。

「天音の家の怪人は、どんなやつだった」

「ヒゲのおじさんね。この人よ」

 二十人近くが肩を組んだ写真に、指差された中年男性もはっきりと写っていた。小太りでヒゲの濃い、ずいぶんと愛嬌のある男である。

「後村、か」

「あっちのお抱え、かなり多いみたいよ。ビラを配ってたのは全員怪人だったって、うちに来た子がみんな言ってるもの」

「なんだそりゃ、禍都でもねえのにそんなに揃ってんのか? こっちでも、頭数のためにそれっぽい人間を入れてるとこが大半だが」

「そうなのよねぇ。外から来たのに街が乗っ取られるんじゃないかって、戦々恐々な子たちも多いみたいなの」

 様子を見ていた何者かが多いのは、そういった理由もあったようだ。

「お前らの情報をどのくらい信用するかはともかく、対策書もこの件で動いてるってのはキッチリ伝えといてくれ。余計な抗争は起こらねえようにな」

「オッケーよ。おばちゃんに任せなさい」

「頼んだ。お前のところがいちばん拡散力があるからな」

「うふふ、評価してくれてるのねぇ」

 明らかな異常に動揺しているのは、こちらも同じだ。もともと死者も犯罪件数も多い状態で、さらなるトラブルの種が増えることは避けたい。対応能力の限界を迎えないためにも、どちらかは押さえなければならない。

 カクテルを飲み干した城田は、今後の方針を決めた。

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